福島県内に100歳以上は1577人、この20年で約6倍になった。全国には、約9万人いるという。超高齢化社会で何歳まで仕事を続けるのか?福島市に100歳を迎えてもなお現役で仕事を続けるスーパーレディーがいた。

天職が長生きの秘訣?
編み物なんてお手のもの!慣れた手つきで靴下作りに励むのは、福島市で暮らす堀野智子さん(100)

「私は自然なんだから。いつの間にか100になったって感じなの。うふふふふ」
大正12年・1923年生まれ。21歳で結婚し、子ども3人と孫5人に恵まれた。15年ほど前に夫を亡くしてからは1人で暮らしているが、身の回りのことはすべて一人でこなす。
何よりも話すことが大好きで「これ言うと長くなるから言わないけど…」と言いつつも、夫との馴れ初めを話してくれたのだが…

記者:45分ですよね?バスの時間
掘野さん:え!?バス45分だよ。え、え、え、え…

時間いっぱい、夫の話を聞かせてくれた堀野さん。軽快な足どりでバス停へと向かい、ひょいっとバスに乗り込む。バスに揺られること15分、タクシーに乗り換えて到着した先には15段の階段が待ち構える。しかし、これを物ともせず上っていく堀野さん。

着いたのは「職場」…堀野さんは、100歳になった今でも、37歳の時に出会った“天職”に情熱を傾け続けていた。

努力するのは当たり前
堀野さんは100歳の現役化粧品販売員。これまで60年以上に渡って化粧品を販売し、これまで売り上げた化粧品は1億円以上。今でも新商品の勉強は欠かさない。客からの問い合わせに対応できるよう、夜の10時まではお風呂にも入らないんだとか。
堀野智子さん:お客様がきれいになったときが一番うれしいでしょ。それはね私が勧めてきれいになっていく、その姿を見たら嬉しくて良かったなって思うものね

この日の客は、同級生の難波マサ子さん(99) 2人の付き合いは、小学校の頃から90年続いている。
難波マサさん:(堀野さんは)姿勢はちゃんとしているし、物事はきちんとやるし、忘れないし何でもわかってるし。手は器用だし、もう言うこと無いんだ!

実は他の従業員と同様、会社から毎月のノルマも課されているという堀野さん。
堀野智子さん:目標をちゃんとやらなきゃならないと思って努力するわけだから(Q:大変じゃないですか?)でもそれはもう当たり前のことなんで、ずっと何十年もやってきたことですからね。続けて死ぬまでやりたいと思っています

ノルマ達成へ奮闘しながら、掲げているのは「生涯現役」。100歳のキャリアウーマンは、これからも努力を続ける。
歴史と共に半生を振り返る
歴史上の出来事と合わせて見てみると、堀野さんが誕生した大正12年・1923年は「関東大震災」が発生。
その後、時代は昭和へ。1939年「第二次世界大戦」が開戦。この時、堀野さんは16歳。その後「太平洋戦争」も始まる。その真っ只中で堀野さんは21歳で結婚。1年後に日本は「終戦」を迎える。青春真っ只中の若い時に、戦争を経験している。
その後「カラーテレビの放送」が始まった1960年、堀野さん37歳の時に化粧品販売の仕事に出会う。時代は進み2011年「東日本大震災」が発生。この時堀野さんは88歳。
そして、2023年4月に100歳を迎えた。

スーパーレディーからの金言
まさに激動の時代を生きてきた、堀野さんの気温や考え方は貴重なものと言える。最後に、100歳の化粧品販売員・堀野智子さんから、新人の営業マンへメッセージをいただいた。
「信念持ってお仕事するっていう他ないわね。一生懸命やるっていう信念を持ってやれば、何とかなるんじゃないですか?一生懸命が大事ね」

堀野さんが所属する化粧品メーカーのポーラでは、今後現役セールスマンとして、ギネス申請を検討しているという。
(福島テレビ)