ひめゆり平和祈念資料館の館長を務めた本村ツルさんが2023年4月7日、97歳で亡くなった。資料館の設立や運営、次世代への平和の語り部の育成にも尽力してきた本村ツルさんの足跡を振り返る

戦争の愚かさや恐ろしさ、命の尊さを訴える。

セーラー服でお澄ましした表情の少女たち。

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前列の左端のおさげ髪の子が本村ツルさんだ。

青春を謳歌するはずだった少女たちは戦場へと駆り出された。

20万人あまりの尊い命が奪われた沖縄戦。
沖縄陸軍病院などに動員されたひめゆり学徒隊も学生・教諭を含む136人が命を落とした。

1989年に開館したひめゆり平和祈念資料館は、元ひめゆり学徒が自らの戦争体験を通して戦争の愚かさや恐ろしさ、命の尊さを訴え続けてきた。

本村さんが生涯悔み続けたこと

ひめゆり平和祈念資料館 元館長 本村ツルさん:
若い人に見ていただきたい。何を考えて資料館を建てて、ひめゆり学徒戦後展というのをやっているのかを知っていただきたいです

元学徒のリーダー的な存在で資料館の設立・運営に力を尽くし、2002年から8年間館長を務めた本村ツルさん。

戦場で負傷した下級生を連れて逃げられなかったことを生涯悔み続け、自らの戦争体験については積極的に語らなかった。

ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳 館長:
どんな事を話しても亡くなった学友への言い訳になってしまうんじゃないかと話されていました。なかなかみんなの前で話さなかったのは、おそらくそういう思いが心の奥にあったからなんだろうなと思います

次世代への継承、本村さんから託されたバトン

亡くなる1週間前に面会した普天間館長は、戦後生まれの学芸員たちによって2021年にリニューアルされた資料館の展示について、本村さんから感謝の言葉をかけられたと話す。

ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳 館長:
「とにかく良かった。皆さんのおかげよ」と喜んでいました。本村先生たち体験者と一緒に仕事をしながら、戦争体験をずっと継承してきた、後世に伝える努力を一緒になってやってきたからだと話を聞いて思ったのです

元学徒が高齢化するなか、本村さんは次世代への継承として、戦後生まれの若い職員を採用し育成してきた。

4月10日の告別式には生前親交のあった400人が参列し、バトンを託された学芸員たちも決意を新たにしていた。

ひめゆり平和祈念資料館 古賀徳子さん:
本当に支えだったので支えが無くなってしまうんですが、私たちがくよくよしていたら本村先生に申し訳ないのでもっともっと頑張っていきたいです

ひめゆり平和祈念資料館 前泊克美さん:
教えていただいた事とかを次の人たちに、また、私たちが繋いでいけるように努力していきたいと思います

安保3文書が改定され先島諸島で軍備強化の動きが強まる中、普天間館長は本村さんが魂を込めて伝えてきた平和の尊さを発信し続けると力を込める。

ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳 館長:
沖縄を2度と戦場にしてはいけないよっていう訴え続けていたメッセージを、今度はバトンを受けとった私達が本村先生たちの体験者に代って多くの方々に伝えていかなければならないと思っています

沖縄テレビ
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