ニキータ・チブリンさん(27)と待ち合わせしたのは、スペイン国内のとある街だった。
彼は、ウクライナの首都・キーウ近郊の街などに侵攻していたロシア軍の元兵士。プーチン大統領が「英雄」と称え、名誉称号を贈った部隊に所属していた。
この記事の画像(12枚)どんな殺気だった男が来るのだろうかと緊張していたが、声を掛けてきたのはごく普通の青年だった。笑顔が印象的なニキータさんだったが、いざインタビューを始めると、彼の口から発せられる言葉は、彼自身が経験してきた過酷な日々だった。
徴兵逃れられず侵攻8カ月前に入隊
ニキータさんは、2021年6月10日に契約軍人として入隊した。ロシアとウクライナの軍事的緊張が強まる、約半年前のことだった。
元ロシア兵・ニキータさん(27):
契約兵士だと、勉強も出来るし、兼業してアパートを借りることもできました。戦争が始まる前は、入隊は(貧困から脱出できる)社会階層のエレベーターだったんです。
――入隊した時には、ウクライナ侵攻のことは予想していましたか?
ニキータさん:
当時は戦争についての噂もヒントもありませんでした。
ロシアでは、徴兵制度がとられていて、18歳から27歳までの男性は1年間の兵役義務が課せられている。実際は学業などを理由に免れる人が多いそうだが、ニキータさんはそれが出来なかった。結局、26歳になり、徴兵よりも待遇のいい契約軍人を選んだという。
「ぶっ壊しに行くぞ」 突然始まった“本当の戦争”
当初は書類作成といった事務仕事や通信の任務についていたが、2022年2月24日、事態は一変した。
ニキータさん:
24日の朝5時に起こされて「さあ、ぶっ壊しに行くぞ、準備しろ」と言われました。僕は拒否したのですが、「殺す」と脅されたんです。襟をつかまれて、戦闘車に入れられました。
ベラルーシで訓練をしていたはずのニキータさんは、まさか「特別軍事作戦」が本当の戦争になるとは思ってもおらず、当初は命令に背こうとした。
報酬はロシアの平均月収の約7倍が約束されていたが、そんなことはどうでもよかったという。
――他の兵士で、ニキータさんのように拒否した人はいましたか?
ニキータさん:
いいえ、いませんでした。僕は泣いていました。戦闘に参加したくないし、プーチン宮殿のために死にたくありませんでした。
ベラルーシとウクライナの国境を越える車中は、とにかく静かだったそうだ。
ニキータさん:
車は全て荷物で埋まっていて、僕はその隙間にいました。車の中で唯一聞こえていたのは、車が動いている音だけでした。緊張していました。ウクライナ兵士は自分の国を守るからヒーローだけど、ロシア軍はジェノサイド(集団虐殺)を犯す側でした。唯一自分を救ったのは、「生き残りたい」という気持ちでした。
ニキータさんが所属していたのは歩兵部隊で、見た限りでは100~200人の兵士がいたという。
――部隊に与えられた任務は何ですか?キーウを攻め込むことですか?
ニキータさん:
銃を持って攻撃する、一番近くまで行く部隊です。でも、部隊の役割は、正直知りません。それに興味もありませんでした。「早く逃げたい、その場に残りたくない」としか思っていませんでした。僕自身は、最初に(侵攻を)拒否したことで裏切り者として扱われていました。罰として後方支援の(料理などの)仕事に回され、重要な会話の時には、みんな僕から遠ざかっていました。情報を漏らすことを恐れていたのでしょう。
上層部の作戦のままに前線へ
部隊は、ベラルーシからウクライナへと国境を越え、南へと侵攻した。
ニキータさんはキーウから約50キロ西に離れたマカリウ周辺の村で、1カ月ほど警戒にあたっていた。
ニキータさん:
人が住んでいない家で寝泊まりしていました。この村では、塹壕(ざんごう)にいたのですが、近くに砲撃がありました。体が震えるほど衝撃が強かったです。砲撃は横に外れましたが、とても怖かったです。
結局ロシア軍は、ウクライナ軍や市民の激しい抵抗に遭い、首都攻略を目指した作戦は軌道修正を迫られた。3月末、ニキータさんの部隊はベラルーシに一時撤退した。
ニキータさん:
この時はすでに、戦争から逃げる方法を探していました。いったんネットに接続できたので、携帯でロシアの知人に「絶対こっちに来ないで」と送りました。
ニキータさんは、ケガを理由に離脱を願ったが、それは許されなかった。4月に入り、ロシア軍は主戦場をウクライナ東部と南部に移し、占領地域を広げていく作戦に切り替えた。ニキータさんの部隊も、東部ハルキウ州の都市イジューム近辺に再配置された。
ニキータさんは、ウクライナで撮影した動画を見せてくれた。そこには、軍用車両でイジューム周辺を走っている様子が残されていた。
後ろには、ロシア軍のマーク「V」と書かれた軍用車両が続く。車両の荷台には、銃を持った兵士や、同じくスマートフォンで撮影している兵士も映っていた。
道路脇には、市民とみられる人たちが歩いている様子がみてとれる。
他国の領土を、ただトラックに乗せられ、目的地へと運ばれている兵士たちは、一体何を考えていたのだろうか。
兵士の多くがアルコール依存症…士気が高い兵士は「黒い袋」で帰国
侵攻当初から士気が低かったニキータさんは、部隊では“ストレスのはけ口”として扱われていたそうだ。同僚兵士のいじめの対象となり、銃を片手に「撃つぞ」と言われることが日常だったという。
ニキータさん:
落ち込んで、精神的に壊れていました。ストレスで過食になってしまうと、僕のせいで食糧が減っていると指摘され、「歯を抜いてやる」とも言われました。手榴弾を投げてやりたかったですが、僕にその勇気はありませんでした。
降伏しようと考えましたが、どうすればいいのか分かりませんでした。(最近は)ウクライナの一般住宅に入って「私をかくまって下さい」と言って(降伏する)兵士がいるようです。でも、その当時、僕はそういう方法を知らなかったのです。
――過酷な状況でしたが、何を支えに過ごしていましたか?
ニキータさん:
唯一の支えは4歳の娘でした。もう一度、彼女に会いたかったです。
――他の兵士はどのような精神状態だったのでしょうか?
ニキータさん:
全体的には、アルコール依存症状態の兵士が多かったです。頭が狂って、酒ばかりを飲んでいました。(ある時)精神的な理由で、戦うことが出来ないという兵士がいました。すると、司令官が「家に帰らせてやれ」と言って車に乗せたのです。でも、それは嘘で、本当は最前線に送られていました。銃も弾薬もなしで。司令官は、自国民(ロシア兵)を死なせていました。
部隊では、2~3人に1人は常に泥酔状態だったという。“軍の駒”になるしかないという状況で、兵士は酒に逃げるしかなかったのだろうか。いずれにせよ、泥酔状態で銃を構えることなど決して許されてはならない。
一方で、士気の高い兵士は「戦死」していた。
ニキータさん:
最初から戦闘したいという兵士は、ロシアに黒い袋で(遺体として)戻って行きました。
(FNNパリ支局 森元愛)
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