石原信雄さんが1月29日に亡くなられました。享年96歳。
7人の歴代総理の事務方トップ・内閣官房副長官を7年余り務め、歴代内閣を裏から支え続けた方です。
この記事の画像(14枚)その仕事には、昭和から平成へと時代の変わり目における法制度や行事を取り仕切った方でもありました。
官房副長官から都知事選に出馬も…
私が初めて石原信雄さんと関わりを持ったのは、私の都庁担当記者時代でした。
1979年から1995年までの4期都知事を務めた鈴木俊一氏の後継として、都知事選に立候補したものの、青島幸男氏に敗れます。
都庁担当記者としての仕事は、自民党が石原氏を擁立するのか、その動きを取材するものでした。
実は、その前の1991年の都知事選挙は、党本部は小沢一郎氏主導で元NHKキャスターの磯村尚徳氏の擁立を決めたものの、自民党東京都連は鈴木俊一氏の四選を支持。
分裂選挙となったのです。
鈴木氏は当選しましたが、そのとき80歳。五期目は考えられませんでした。
早くから後継とみられていた石原氏ですが、阪神淡路大震災の後処理などで、内閣官房副長官を退いたのは、選挙前の2月。しかも、東京都議会は、オール与党を目指し各会派との相乗りを目指しましたが、2つの信用組合の破綻処理をめぐり、時間がかかってしまいます。
ようやくまとまったものの、立候補を表明したのは告示16日前でした。
それでも、石原さんは精一杯の選挙戦を繰り広げます。
表舞台に出ることの少なかった石原さんは、支持者にアピールを続けた姿は、未だに目に残っています。
しかし、敗戦。
前回の選挙で分裂した傷はこの時の都知事選にも残っていたのでした。
新憲法下で初の「改元」を取り仕切る
私が皇室の関連で、当時地方自治情報センターの理事長だった石原さんをインタビューしたのは2011年のことでした。
この時にお話を伺ったのは、元号を改める「改元」についてでした。
石原さんは、昭和から平成へと変わる時期に、内閣官房副長官という事務方トップとして御代替わりのの行事について具体的にどのように進めるか諸問題の対応に当たっていたのです。
日本国憲法ができて初めての天皇の葬儀であり即位ということもあり、決めねばならない問題がたくさんあったのです。
元号については、1979年(昭和54年)、大平内閣の元で「元号法」が成立していますが、
・第1項:元号は、政令で定める
・第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める
とあるだけで、具体的にどう改元するのか、法律では規定されていませんでした。
そこで、改元のタイミングをどうするのか、亡くなられた当日改める「即日改元」か翌日改める「翌日改元」か検討し、同じ日に2つの元号が存在するのを避けて、「翌日改元」に決めたことなどについて語ってくれました。
ちなみに、年末に改元しなければならなくなった場合には、「翌年改元」も考えていたことなども明かしてくれました。
またインタビューでは、大喪の礼や大嘗祭など、特定の宗教色の濃い皇室行事と国がどのように関わっていくかについて、整理し具体化をしていった話も伺うことができました。
こうしたことは、昭和天皇が100日を超える闘病により、検討の時間がとれたことに感謝の気持ちも示していました。
そして「今振り返ってみて、関係者の大変な御苦労もあって、新憲法にふさわしい形でかつ、伝統的な形式も残して実行できた」「いい形での先例ができたのではないかと思います」と振り返っていました。
満面の笑みがこぼれた場面は…
このインタビューでは、石原さんが満面の笑みで話してくれたことがあります。
即位礼正殿の儀が行われた後に行われた「祝賀御列の儀」、つまり祝賀のパレードのことでした。
この頃、即位礼正殿の儀とそれに続く大嘗祭に対して、左翼過激派の活動が激しく、皇居に向けてロケット弾が発射される事件が相次いだのです。
警備当局は、屋根の付いた車でのパレードも進言したといいますが、石原さんとしてはなんとしてもオープンカーに乗っていただきたいと考えていたこともあり、最後の最後まで検討を重ねたといいます。
そして「状況が許せばオープンカーでお願いしたいと両方の車を用意したんです。これは出発間際までですね。最終的には、警察の方でもなんとか安全な中でやれそうだという確信を持ったので、オープンカーでお願いしたのです」「国民の目には、あの日の印象はパレードが一番印象に残るんですから。いい形で、当日は天気も大変良かったですから」。
パレードは、出発直前に、オープンカーで行うことになったといういうのです。
そして、天皇皇后両陛下を乗せたオープンカーが無事に当時の東宮御所に着いたときの事を笑顔で懐かしそうに語ってくれました。
「パレードが無事に終わって、東宮御所にお着きになったときに陛下が『よかったですね』とおっしゃられたんですよ。その後も陛下とお会いするとき、そのときのことが思い出されますよ」「『よかったですね』と言われたことは忘れないですね」
私には、この時本当にうれしそうな笑顔の石原さんは忘れられません。
石原さんとはその後もお目にかかる機会は何回かありました。
BSフジで放送している「プライムニュース」に生出演し、地方自治、分権、防災など多岐にわたるテーマについて提言し、活躍を続けられました。
そんなご縁から、プライムニュースの集いというパーティーでお会いしました。80歳を超えていましたが、頭脳明晰、さら健啖家な姿には驚かされました。
石原信雄さんという、歴史の裏舞台を支えてきた方が亡くなられ、また一人時代を知る方が世を去ったことに一抹の寂しさを感じています。
【執筆:フジテレビ 解説委員 橋本寿史】