2022年2月1日、この世を去った石原慎太郎氏(享年89)。

鮮烈な作家デビューから、 弟・裕次郎との絆、そして政界へと足を進めた男は、時に物議を醸す発言の一方で、多くの人々に愛された。

そんな石原氏の晩年のプライベート写真を撮影したカメラマンがいた。

カメラマン・黒崎彰氏(※黒=旧字、崎=たつさき)が見た石原氏の素顔や、2人の最後の会話を聞いた。

カメラマンが見た石原慎太郎の一面

石原氏が亡くなるまで、10年以上に渡りプライベートの姿を撮り続けた黒崎氏。

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コマーシャルや雑誌などで、人物撮影を中心に活動をする中で、石原氏と出会ったのは2009年、石原氏が皆既日食を見にいく際に乗船した船に同行した時の事だった。

石原氏からは「一緒に本を作ろう」と声をかけられたが、当時都知事だった石原氏にどうレンズを向けるかという戸惑いもあったという。

黒崎彰氏が撮影した石原氏のプライベートショット
黒崎彰氏が撮影した石原氏のプライベートショット

しかし、この同行した日々の中で、黒崎氏は、石原氏に対するイメージを変えていく。

道中の屋久島で、食事する場所を探していた石原氏が入っていったのは、ごくごく普通の小さな町中華だった。

店内に入るや、その庶民的な雰囲気をいたく気に入った石原氏は、連日店に通い続け、すべてのメニューを注文したという。店内では常に店員に細やかな気遣いを欠かさず、満面の笑みで記念撮影に応じる姿に、黒崎氏は驚いたという。

また、別の機会に、ファミリーレストランに入ったときの事。石原氏は初めての体験だったようで、ドリンクバーをとても気に入り、ハンバーグセットをおいしそうに食べていたという。

そんな気さくで庶民的な一面に黒崎氏は惹かれていった。

石原氏の優しさが伝わる最後の言葉

しかし、2013年に脳梗塞で倒れてしまった石原氏。毎日のように自宅の周辺を黙々と歩く姿もカメラに捉えられていた。

その頃の様子を黒崎氏は次のように語った。

「著書にサインもできなくなっていた。サインをお願いしたいって言われたときに、『紙くれ』って何回も練習するんですよ。これだけ自由にすべてをこなしてきた人がたった1回の軽い脳梗塞を経て、こんなになるのかって、とんでもないショックだったんじゃないですかね」

さらには、2020年の初めにすい臓がんが判明。健康に人一倍気を遣っていただけに、癌が見つかったときのショックは大きく、急激な身体の衰えと孤独を間近で感じたという。

2020年8月、海に浮かぶ石原氏のプライベートショット(撮影:黒崎彰氏)
2020年8月、海に浮かぶ石原氏のプライベートショット(撮影:黒崎彰氏)

そんな石原氏から連絡があったのは同年、年の瀬だった。

「海が見たい」という石原氏のため、車を用意し助手席に石原氏を乗せて海に向かった。その道中で「海はいいな」とぽつりとつぶやいたという。

結局、約束した本を出版することができなかった事を石原氏は最後まで気にかけ、「仕事回せなくて、悪かったな」と電話で詫びた。それが石原氏と交わした最後の言葉だった。

石原氏が亡くなって1年となる節目に、フジテレビでは2月4日(土)16時30分から4人の息子たちへのインタビューや未公開音声などを交えた特別番組『波風を立てる男、石原慎太郎~没後1年 その生き様が今ニッポンに問いかけること~』を放送する。

番組では、石原家の長男・伸晃氏、次男・良純氏、三男・宏高氏、四男・延啓氏の4人の息子たちへインタビューを行い、彼らだけが知る父親としての素顔、そして、病と闘い、死と向き合い続けた、慎太郎氏の最期の言葉・秘話を伝える。さらに、未公開の音声やプライベートのホームビデオを番組初公開。フジテレビの貴重なアーカイブ映像などを交え、父、兄、作家、政治家、夫として五つの人生を生きた男の89年の生き様を余すことなく伝える。