海を超えた異国の地で、口ずさまれる「マジンガーZ」の歌。

12月6日、肺がんのため74歳でこの世を去った“アニメソングの帝王”こと、歌手の水木一郎さん。
耳に残るそのパワフルな歌声は、国境を越え、世界から“アニキ”と慕われました。アジアや南米、ヨーロッパなど、まさに世界中にその歌声を届け、日本のアニメ文化を発信してきた水木さん。

この記事の画像(11枚)

代表曲「マジンガーZ」の「ゼーット!」、キレのいい決め台詞と共に歩み続けて、ちょうど50年でした。

2021年4月、声帯不全麻痺の症状をきっかけに検査を受け、肺がんが見つかった水木さん。その後、入退院を繰り返しながら、放射線治療や薬物療法を受けていたといいます。
2022年7月にはステージ4の肺がんであることを公表し、8月にはフジテレビの番組に出演。

「歌える場所があれば本当に変な話、つえをついてまでステージで立って歌いたい。声さえ出ればいいわけですから」

「“生涯現役“目指してがんばるので、応援たのむゼーット!」

と話していました。

亡くなる9日前にも、2003年から続けているコンサート「ふたりのアニソン」に車椅子に乗りながら出演。これが最後のステージとなりました。

まさに“生涯現役”を貫いたアニソン人生。

小学校の教材にも…水木さんの「知られざる過去」

常に笑顔で「Z」と叫び続けてきた水木さん。
しかし、アニソンと出会うまでの歌手人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
水木さんの半生が掲載された、小学3年生の「道徳」の教材には、こんな一文も…

歌手としてデビューしたのは二十さいのときのことです。
水木さんは、どんな歌でも上手に歌えました。
しかし、人気はあまり出ませんでした。
「あなたの歌にはこせいがない」とお客さんに言われたこともありました。

(「3年生のどうとく」文渓堂より)

水木さんがデビューしたのは、1968年のこと。
歌謡曲を歌っていましたが、人気は鳴かず飛ばず。歌手としての人生を諦めかけていたその時、依頼を受けたのが「アニメの主題歌」でした。

当時、アニメの主題歌の仕事といえば、レコードジャケットやテレビに顔が出ないため人気がない仕事だったといいます。
ところが、他の歌手が見向きもしなかったアニソンの仕事に全力で打ち込んだところ、水木さんの歌声が評判となり、次々と仕事が舞い込むようになったのです。

「そうか。アニメの主題歌は、主人公になりきることが大事なんだ。」
(「3年生のどうとく」文渓堂より)

「個性がない」と言われた水木さんだからこそ、個性を消してアニメのキャラクターになりきれる。アニソン歌手はまさに天職だったのです。

そして出会ったのが、代名詞ともいえる「マジンガーZ」でした。
マジンガーZをきっかけに数々のアニメ・特撮番組の主題歌を担当し、水木さんが魂を吹き込んだ楽曲は1200以上にも及びます。

「生涯現役」森口博子さん語る“ぶれないアニキ”

水木一郎さんと、これまで何度も共演してきたという歌手の森口博子さん。
「めざまし8」の取材に涙ながらに語ったのは、最後の共演となった11月8日のステージでのことでした。

歌手・森口博子:
元気なままで、また次のステージでねって約束をしたので。突然ですね、まだ信じられないっていうか。
衝撃受けたんですよ。リハーサルから、私の中でお客さんが見えるくらいの熱量で、本当にしびれたんですよね。「生涯現役でがんばります」って宣言をしていたので。さすがだなって思って。
闘病中だったんですけど、駆けつけてくれて。「パイルダーオン!」って。闘病していて声も出しづらいはずなのに。

最後の最後まで「生涯現役」を体現し続けた水木さん。

歌手・森口博子:
ぶれないで、アニソンを届け続けたパイオニア、偉大なアニキの存在はもう、地球の誇りです。みんなの幸せのために、それが伝わるんですよね。
時代を超えても、国境をこえても、私も子供のころから勇気づけられましたし、ぶれない。アニキは。地球の誇り、この星の誇り。

(めざまし8 12月13日放送)