長崎市に住む高校生の中山波音(はお)くん、15歳(2022年1月当時)は魚に関する知識が豊富だ。そんな彼を周囲は「こざかなクン」と呼んでいる。
「こざかなクン」の日常を追うと、そこには親子の葛藤と支えとなった魚の存在があった。

「こざかなクン」誕生のきっかけは“海外旅行”

お店に並べられた2種類のブリ。「こざかなクン」こと中山波音くんに身の色の違いを聞いてみると…。

中山波音くん:
養殖は脂を付けて太らせるけん、その分、身も白くなるから。でも天然のヤツは生きた魚とかそういうのを食べてるから、あんまり脂がなくて赤っぽい身になる

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3歳の頃から魚の図鑑を見るのが大好きだった波音くんは、小学生になると近所の魚屋でさばき方を覚え、家で実践するようになった。魚を買い過ぎてお小遣いがなくなり、魚釣りも始めた。

笑顔で魚を持ち上げる幼少の頃の波音くん
笑顔で魚を持ち上げる幼少の頃の波音くん

お母さんの聡子さんは、勉強や身の回りのことを後回しにしがちな波音くんをどう育てるか悩んでいた。

母・中山聡子さん:
あんまり魚のことを言うから、そんなことはいいから他にやることあるでしょとか怒ってしまうことも正直あったんですね。彼の好きな魚のことを否定しなきゃいけないっていうのが、私自身もつらくなってきて

中山波音くんの母・聡子さん
中山波音くんの母・聡子さん

転機となったのは、家族で出かけた南国フィジーへの旅行だった。

母・中山聡子さん:
こんなに伸び伸び生き生きしてる息子を見たのは初めてかもしれないっていうくらいキラキラ輝いてて、それをまた周りの大人達とかがすごく面白がってくれて。初めて才能の塊に見えた瞬間だったんですよね

南国フィジーでの中山波音くん
南国フィジーでの中山波音くん

魚好きが評判となり、波音くんにイベント出演の声がかかるようになった。中学生の時、初めて人前で魚の解体を披露することに。
この日は老人ホームを訪れた。

中山波音くん(当時中学生):
長崎日大中学校から来ました、中山波音です。みなさん、こざかなクンと呼んでください

解体するのは体長60cm、重さ6kgのブリ。50年以上も魚の仲買人をしていたという83歳の男性も、涙を流しながら刺身を味わっていた。

大きなブリをさばく波音くん
大きなブリをさばく波音くん

中山波音くん(当時中学生):
こんにちは、お刺身です

波音くんの解体ショーを見たお年寄り:
美味しそうね、よくやりましたね。たくさん作ったね。手が疲れた?大丈夫?

ご老人にお刺身をふるまった
ご老人にお刺身をふるまった

母・中山聡子さん:
何か一つ、絶対これっていうものを持っていれば、そんなふうに世界って広がって行くんだなっていうのを、波音を通じて今まさに見せてもらってるところなんですよね。だから思いやりだったり、いろんな学びとか思いやりとか、生きていくうえで必要なことっていうのを波音の場合は何でも魚が教えてくれてるなぁっていう風に感じてます

中山波音くん(当時中学生):
水中写真家になりたいなと思います。自分だけじゃなくて、自分が見たきれいだった魚とか、きれいだった海とか、そういうのを写真に残すことによってシェアできるので、だからそういうのがいいかなって思って

高校生になっても変わらぬ“魚への愛”

それから月日が過ぎ、高校1年生になった波音くんは相変わらず魚に夢中だ。波音くんの母・聡子さんは助産師をしている。

波音くんが3歳の時にご主人と別れ、その後33歳で助産師の資格を取った。聡子さんは女手一つで2人の子どもを育ててきた。
休日、波音くんは聡子さんの運転でよく釣り場に来る。

中山波音くん:
ゴンズイ、あれはゴンズイ。ゴンズイはナマズの仲間だね、毒ある

母・中山聡子さん:
もうすぐ彼は16歳になるから、魚のことを語るんだったら、ちゃんと魚をさばいたあと片付けようよみたいなことを思ってたけど、今はもう高校生になっても「ねぇ、お母さん聞いて聞いて。魚がね、ルアーがね」と私は興味なくふんふん聞いてるだけなのに一生懸命話してくるのを見てたら、こんなに好きなものがあるって良かったねっていう

息子の魚への思いの深さを認める一方で…。

中山波音くん:
(今朝も)部屋を片付けないので怒られてしまいました

母・中山聡子さん:
使ってない部屋があるんですよ。使ってない部屋を空気入れ替えようと思って窓を開けたら、カメとスッポンがいたんですよ。で、何これっ!って言って、さっき怒りました。勝手に連れて来てますね

中山波音くん:
すいません。川で泳いでたんで捕まえてきました

親と子の対話を通して…

聡子さんはずっと子育てに悩んできた。波音くんが幼少の頃、聡子さんは自分の子どもが周りの子どもとは少し違うと感じていた。自分がやりたいことを最優先したり、時間を守らなかったり…。成長するにつれて「どこか違う」という疑問はだんだんと大きくなっていった。

母・中山聡子さん:
中学校に入った頃、思春期も重なってすごい親子ゲンカの絶えない日々があって、ものすごく私が消耗してしまって。家族もこの子は何かあるかもねっていうのは小さい頃から感じてて、ただ診断の必要性を感じていなかっただけなんですけど

中学1年の時「発達障害」と診断された。

母・中山聡子さん:
いざ診断名がついた時も、別にもうそれはそうですよねぐらいで、なんのショックとかもなく。
何よりも私自身は彼の人格を否定するわけではなく、これは病気というか障害の仕業なんだと彼自身を責めなくてよくなったっていうのは、少し気持ち的に楽になったかなっていうのはありました

診断をされ、ようやく息子と向き合えるようになったという。
波音くんも苦しんできた。この時初めて親の前で当時の心境を語ってくれた。

中山波音くん:
やばいって分かってんのにできないのが一番嫌だよ。嫌だけど、できなくて怒られてイラついて

母・中山聡子さん:
それでお母さんが落ち込んだりしてるじゃん。泣いたり怒ったり

中山波音くん:
それを見たらもういいやってなって、どうでもよくなる、その瞬間

母・中山聡子さん:
その時どう接して欲しかったの?いいよいいよって全肯定して欲しかったの?

中山波音くん:
違う違う!いいよいいよじゃなくて、何もしないで怒りもしないで、その時はそもそも話しかけないで欲しかった

母・中山聡子さん:
タイミングが違ったのかな

中山波音くん:
そうだね

母・中山聡子さん:
波音はでもさ、一貫して魚のことはずっと好きじゃん、ずっと

中山波音くん:
だって魚って何も言わない。自分のことを否定しないじゃん。魚って見たいときに見れるし、釣りたいときに釣れるし食べたいときに食べれるってことは、こっちがしたいことは全肯定してくれてるわけよ。魚って

母・中山聡子さん:
じゃぁ、波音にとっては魚は自分を認めてくれる存在だったの?

中山波音くん:
うん。たぶんそうだったんだと思う。だから続いてるんだと思う、こんなに

波音くんの胸の内を初めて聞いた聡子さん。子どもとどう向き合えばいいのか波音くんが気づかせてくれた。

母・中山聡子さん:
ちょっと救われたような気もしましたね。ずっと怒ってたし、ずっと彼のことで涙を流し続けていたんですけど、全然彼の為にはなってなくて、むしろ追い詰めてたんだなっていうのを感じましたね

波音くんと聡子さんの辛い日々を救ってくれていたのは、やはり魚だった。

中山波音くん:
やりたいことは、水族館建てたいです。下関水族館っていう水族館があるんですけど。その日本海の水槽がすごいきれいで、修学旅行で行ったんですけど、それを目指してそういう風な水族館を作りたいなと思っています

波音くんは「水族館を建てたい」という夢を語ってくれた
波音くんは「水族館を建てたい」という夢を語ってくれた

「こざかなクン」こと中山波音くん。波音くんの魚への思いがつきることはない。

(テレビ長崎)

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