2001年、鹿児島・奄美大島の沖合で、海上保安庁の巡視船が北朝鮮の工作船と銃撃戦になった事件。この時、銃撃を受けた巡視船が2022年11月25日、32年の役目を終えた。
この歴史的事件の舞台となった「きりしま」の当時の乗組員は今、何を思うのか取材した。

「あ、撃たれている」 頭上に抜けた銃弾

宮崎県の港に停泊する、海上保安庁の巡視船「きりしま」。小回りが利き、時速65km以上と機動力があるため、現場にすぐに駆けつけられるのが強みだった。

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南九州の海の安全を守ってきた「きりしま」は2022年11月25日、巡視船としての役目を終えた。この「きりしま」は、2001年に鹿児島の海域で起きた未曾有(みぞう)の事件に遭遇した。北朝鮮工作船事件だ。

鹿児島・奄美大島沖で見つかった工作船。当時、串木野海上保安部に所属していた「きりしま」を含む、巡視船4隻が対応にあたった。当時「きりしま」の乗組員だった第10管区海上保安本部の田中航二郎警備救難部長は、当時を次のように振り返った。

第10管区海上保安本部・田中航二郎警備救難部長:
漁船を擬しているので、外観だけで工作船と断定はできなくて

再三の停船命令に応じない工作船。巡視船は、ついに威嚇射撃を始めた。射撃を受け、船体から火が上がっても船は止まらない。この時、田中部長は万一に備えて準備を進めていた。

第10管区海上保安本部・田中航二郎警備救難部長:
強行接舷の時に「飛び移れ」と言われたら、すぐに飛び移れるよう、甲板上で待機していた

工作船を止めるため接近を試みた「きりしま」。その時だった。
工作船から突如鳴り響く、何発もの銃声。工作船の乗組員からの銃撃だった。この時、甲板にいた田中部長は、頭の上を弾が飛んでいったと振り返る。

第10管区海上保安本部・田中航二郎警備救難部長:
「何だ?」と思って上を見たら、えい光弾が船橋に打ち込まれていた。「あ、撃たれている」とわかって、防弾措置がされている船橋の方に待避した

その後、反撃を受けた工作船は自爆した。当時のニュース映像に、記者に囲まれた10管の職員が「ふたふたひとさん(22時13分)、該船沈没」と発表するや否や、「沈没!?」と口々に声を上げる記者の驚く声が記録されている。

海の底へと沈んだ船は約9カ月後に引き揚げられ、中からはミサイルや銃など100点を超える武器が見つかった。

工作船の目的は、覚醒剤など不正薬物の取引だったとみられている。

「よく32年間も…」役目終え 民間業者に売却へ

北朝鮮の脅威を日本が、鹿児島が痛感させられた事件。自らも命の危険にさらされた田中部長は、事件を今、このようにとらえている。

第10管区海上保安本部・田中航二郎警備救難部長:
当時の北朝鮮への社会的な論調は、今の時代の北朝鮮に対する論調とは全く異なっていて、北朝鮮に対する政策や世論が大きく変わった。そういう意味で意義ある事案だった

そして巡視船「きりしま」は11月25日、引退の日を迎えた。

宮崎県日向海上保安署・池田栄作署長:
工作船から被弾しながらも、工作船が沈没するまで追跡を続け、任務を果たした姿は永遠に記憶に残るものです

今後、民間業者に売却されるという巡視船「きりしま」に、田中部長はねぎらいの言葉を贈った。

第10管区海上保安本部・田中航二郎警備救難部長:
「きりしま」でたくさん経験を積んだ。よく32年間も現場で活躍してくれたなという思い

相次ぐミサイル発射に、解決しない拉致問題。北朝鮮の脅威は、ますます増加している。さらに、中国海軍の測量船が鹿児島・屋久島沖に侵入するなど、日本の海は一層、緊迫感を増している。

刻一刻と変化する南九州の海を守ってきた一隻の巡視船は、32年の役目を終えた。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
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