市川修一さんと増元るみ子さんが北朝鮮に拉致されてから、44年が経った。
鹿児島で市川さんの帰りを待ち続ける兄・健一さんは、これまで期待と失望のはざまで揺れながら、今も弟が帰ってくることを強く信じている。事件発生から44年、あらためて拉致問題について考える。
被害者奪還を訴え 死亡通告も「生きていると確信」
2022年8月12日、鹿児島県日置市の吹上浜近くの県道で、北朝鮮の拉致被害者家族・市川健一さんが道行く車に情報提供を求めた。

市川健一さん:
拉致問題を忘れないでください
1978年8月12日、市川修一さん(当時23)と増元るみ子さん(当時24)は、夕日を見に訪れた吹上浜で北朝鮮に拉致された。

弟を取り戻す…。市川さんの兄・健一さんら拉致被害者家族は1996年に家族会を設立。署名活動や講演会を行い、政府に一刻も早い拉致被害者の奪還を訴えてきた。
2002年、当時の小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記(当時)と首脳会談を行った。
小泉純一郎首相(当時):
拉致問題の進展がなければ国交正常化交渉には入れませんから
北朝鮮は拉致の事実を認め、拉致被害者5人が帰国。歴史が大きく動いた瞬間だった。しかし、市川修一さんや増元るみ子さんを含む8人は「死亡」と通告された。当時、健一さんは会見で涙ながらに「両親、本当に高齢なんです。心配なんです。どのように伝えていいかわかりません」と訴えた。

市川さんの実家は当時、現在の鹿屋市輝北町でスーパーを営んでいた。健一さんが「相手の言うことを信じたって」と話すと、レジで店番をしていた父親の平さんが「生きてるかな?」と一言。すかさず健一さんは「絶対生きてるよ!」と強い口調で返した。
2022年8月、仏壇の遺影で父・平さんと母・トミさんが微笑む実家で、鹿児島テレビの取材に応じた市川健一さんがあの時を振り返った。
市川健一さん:
いろんな報告があったが全部矛盾点があって。確信を持ちましたから、生存しているんだって。だから必ずや、近い将来帰国を果たすんじゃないかと、そういう期待を大きく持ちましたよね

コロナ禍で活動縮小も 米朝首脳会談に希望持ち
トップ同士の対話で実現した一部の拉致被害者の帰国。市川さんが再び期待を募らせたのは、それから約20年後の安倍元首相とアメリカのトランプ前大統領の取り組みだ。
安倍晋三首相(当時):
あらゆる支援を惜しまないと力強い支持をいただきました
拉致問題解決に向けて、「条件をつけずに首脳会談を行う」としてきた安倍元首相。そして、トランプ前大統領は北朝鮮の金正恩総書記とも面会を果たした。
市川健一さん:
トランプ大統領は、拉致問題解決を迫ったんですよね。金正恩総書記が安倍首相に会ってもいいという肯定的な態度を示してくれたんですよ。あの時はものすごく期待しましたよ

しかし、安倍元首相と金総書記との首脳会談は実現せず、2020年に安倍氏が退陣。翌年、トランプ前大統領もバイデン氏に敗れた。
市川健一さん:
なかなかチャンスというのは巡ってこないんですよね。そのチャンスを逃したのは大きかったです
この間、新型コロナウイルスの感染が広がり、市川さんたちは署名活動や講演会の自粛を余儀なくされた。

一方で北朝鮮は弾道ミサイルの発射実験を活発に行い、国際社会からの孤立を深めている。一見するとネガティブな方向に進行しているかに思えるこの状況だが、市川さんはあえて前向きに望みをつないでいる。
市川健一さん:
北朝鮮はなんでこんな蛮行をやるのかなという思いはありましたが、北朝鮮が何か動けばまたアメリカとの米朝首脳会談につながっていくんじゃないかと

2022年5月にはバイデン大統領と初めて面会に臨んだ市川さん。その後の会見で、市川さんは「大統領、力をお貸しくださいと言うのが精いっぱいでした」と話した。
「弟に会いたい」期待と失望に揺れた44年
市川さんの自宅には300を超えるカエルの置物が並んでいる。「修一さんが早く“カエって”きますように」と、これまでの講演会などで贈られたものだ。

市川健一さん:
今こういう先の見えない状況の中でも、ある日突然ぱっと開けるかもしれない。それを信じて闘っていく決意でいる
2022年8月12日、新型コロナの影響で市川さんが吹上浜で呼びかけを行ったのは3年ぶり。
市川健一さん:
拉致を忘れないでください
車内で呼びかけを聞いた人:
今ちょうど話しながら来ていた

拉致された修一さんの写真は44年前のままだが、弟の帰りを待ちわびる健一さんは77歳になった。期待と失望のはざまで揺れ続けた44年、健一さんは涙ながらに弟への思いを話した。
市川健一さん:
弟に会いたいですよね。「ただいま」という声を聞きたいです

突然家族を奪われ、今なお世界と向き合い続けなければならない人たちがいることから、私たちは目を背けてはならない。
修一さんに「お帰り」と言える日が来ることを信じて、市川さんは世界に訴え続ける。
(鹿児島テレビ)