10月、神戸市に「注文に時間がかかるカフェ」という名前の店が、期間限定でオープンした。なぜ時間がかかるのか?このカフェで働くことで、人生の大きな一歩を踏み出した大学生を取材した。
「話したいのに…」20歳の大学生 吃音に悩んだ日々
このカフェでは“時間が止まる”…。そんな瞬間が訪れる。スタッフは全員、接客業の夢を持つ吃音の当事者たち。吃音とは、話し言葉が滑らかに出ない発話障害で、100人に1人いるといわれている。
この記事の画像(22枚)スタッフのうちの1人、細川杏さん(20)は強い思いで接客に挑戦した。
細川杏さん:
国語の時間で1人ずつ文章を読む時間があって、それが本当に怖くて。体中汗びっしょりでガタガタ震えて、心臓もすごくバクバクして…。いざ、自分の番になるとクラス中が私のことを笑っていたので、本当にその時間が地獄でしかなかったです。
細川杏さん:
周りの子は吃音症という言葉を知らないために、私のことを「気持ち悪い」とか「本当に死んだほうがいいよ」とか…
話し方に違和感を覚えたのは幼稚園のころ。小学生になると周りからからかわれるようになり、徐々に口数が少なくなった。
高校1年生から始めたアルバイト。人と話すのが苦手だからと、荷物を仕分ける仕事を選んだ。
細川杏さん:
人と話すのが本当はすごく好きなので、接客業とか、障害をお持ちの方のサポートとかがしたかったっていう気持ちはあります
ショックだった「治らない」の言葉 訪れた転機
吃音の症状の7割から8割は成長とともに自然に治るが、残りの人たちは症状が固定化すると言われている。父の太郎一さんも、小学生のころ吃音に悩んだ。
Q. 杏さんにどう声をかけるか迷ったりしましたか?
父・細川太郎一さん:
僕も笑われた経験があって、心のダメージは計り知れないものがあった。娘に「こう言われたら、こう返しなさい」というのは言えなかった。大人になったから言えるんですけど、吃音とうまく付き合ってくれたらと思います
細川さんは、高校生のときに「吃音者の生きづらさ」と題した論文を書いた。これが大きな転機になった。
細川杏さん:
一番ショックだったのが「治らない」って言う言葉。分かっていたとしてもどうしても受け入れられなくて…。すごく論文を書くのはつらかったけど、自分自身と向き合えるいいきっかけになったのかなと
これまで表に出ることを避けてきたが、吃音を持つ自分を受け入れようと「注文に時間がかかるカフェ」に応募した。
スタッフと顔合わせ 自己紹介の一言が出てこない…
「注文に時間がかかるカフェ」のオープン当日まであと3日、細川さんは神戸市内にある神戸学院大学に向かった。
カフェでサポート役をつとめるのは、社会福祉士などを目指すこの大学の学生たちだ。この日は、彼ら学生スタッフとの顔合わせ。しかし、自己紹介をする場面では「細川杏です」という一言がなかなか言い出せない。
細川杏さん:
頭の中に言いたい言葉はちゃんとあるんですけど、声を出すときに、なんかこう上から何かで押されているというか…。出そうとしても出ない
約1分かけて自己紹介ができた。すぐに話せなくても話したい。その気持ちは強くある。
神戸学院大学の教授:
学生たちに何か聞きたいことはありますか?
細川杏さん:
はい!この「注文に時間がかかるカフェ」の企画に参加された理由を教えて下さい
細川さんは何度も手を挙げ、学生たちに質問していた。
「もし良かったら来て」初めて友人を誘う
カフェのオープンが近づいたある日、細川さんは中学時代からの友人と2人でたこ焼きパーティーを開いた。安心できる人の前では症状はあまり出ない。冗談を言い合いながら、楽しいひと時を過ごした。
つらい学生時代もそばにいてくれた友達に、伝えたいことがあった。
細川杏さん:
「注文に時間がかかるカフェ」って知ってる?
杏さんの友人:
知らん
細川杏さん:
接客業に挑戦したい吃音の若者の夢をかなえるカフェで…
「あのえっと、えっとあの…」と繰り返す細川さんに対し、「ゆっくりでいいよ、大丈夫。いつやったけ?」と優しく声を掛ける友人。
細川杏さん:
10月8日と9日に神戸で開催されるんやけど、もし良かったら来てほしい
杏さんの友人:
店員さんやるの?
細川杏さん:
そうそう店員さん
杏さんの友人:
行きたい!
自分から友達を誘うのは初めてのことだった。
ゆっくり、しっかり、自分の言葉で
そして、「注文に時間がかかるカフェ」当日を迎えた。2日間の期間限定オープンだ。
細川杏さん:
昨日は途中で何回も目が覚めて、“注カフェ”の夢を見た。すごく怖くて、カフェにゾンビが来る夢を見て…。でも楽しみながらできていました
最初は笑いながら冗談を言っていた細川さん。しかし、不安もある。
細川杏さん:
吃音症を知らない人が来た時に、どのような反応をされるのか不安なんですけど…。吃音症のことをきちんとお伝えできればと思います
いよいよカフェがオープン。細川さん念願の接客が始まった。
細川杏さん:
ご注文をお願いします、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか
お客さんにゆっくりと、しっかりと、自分の言葉で話していく。
注文に時間はかかるが、来店した赤ちゃん連れの親子にも一生懸命笑顔で話し掛ける。
細川杏さん:
お子さんかわいいですね。おいくつですか?
赤ちゃん連れの親子:
1歳5カ月です
細川杏さん:
ほっぺたがプニプニして可愛いですね
話すのはゆっくりだが、ありのままの自分の言葉で一生懸命接客する。たこ焼きパーティーの時に誘った友人もカフェを訪れ、頑張る細川さんの姿をスマホで撮ってくれた。
カフェに来た女性客:
見た目では全く分からないので、本当に普通にすればいいのだなって学べたので良かったです
息子が吃音症の親子:
この子が吃音なので、仲間の人がいるんだなというので来たいなと
吃音症の息子:
接客業を目指しているのがすごいなって。(自分自身が)吃音を持っている人なので、どういう人なのかなって
「いっぱい仲間がいる。大丈夫よ!」
「誰かの力になりたい」と思っていた細川さん。この日は、接客を通してこんな出会いも…。中学生の女の子が細川さんのところにやってきた。
細川杏さん:
今日はなんで来てくれたん?
中学生の女の子:
吃音がある人と話したいな、と思って
細川杏さん:
どこかで見てくれたん、この注文に時間がかかるカフェ?
「はい」と答える中学生の女の子に、優しく「ありがとう、来てくれて」と声を掛ける細川さん。
カフェのスタッフ:
俺らも吃音持っているけど頑張っている。中学生でしんどいと思うけど、吃音の人の集まりとかあるから。仲間がおるよ
細川杏さん:
いっぱい仲間がいる。日本には100人に1人おるから、いっぱい仲間がいる。大丈夫よ
女の子を励ますように、一生懸命話す細川さんたち。
カフェのスタッフ:
中学生が一番きついと思う
細川杏さん:
笑う人たちは本当に子ども。周りの理解してくれる友達を大切にしたらいいと思う。周りと比べずに自分らしくやっていたら大丈夫
「無理せずにありのままでいいで。頑張ろう、一緒に。1人じゃないよ!」と力強く伝えた細川さん。女の子の顔には、笑顔が広がった。
カフェに置かれたメッセージボードには、訪れた人たちの言葉がつづられていた。
「勇気をくれてありがとう」
「うちの娘も吃音があります。こういうのがあるととても良いです」
「チャレンジする姿、素敵です」
細川杏さん:
今までの人生の中でチャレンジをしてこなくて、私には無理だと決めつけていたんですけど、吃音症の自分でもやりたいことをできるのだと思えて、すごくいい機会です。ほんとに生きてるだけで…ここまで正直、生きられると思っていなかったです。こんなに報われる日が来るとは思っていなかったので
吃音があっても、吃音がなくても…。ありのままで話せる、そんな社会を願っている。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年10月24日放送)