85歳の被爆者が9月、自身の被爆体験を伝えるため広島からアメリカへ渡った。証言を聞いた大学生は、原爆の惨状を伝える必要性を感じとった。ウクライナ情勢を受け、核の脅威が現実味を帯びる中、世界各国で被爆者の証言に関心が高まっている。

あの日の記憶を伝えるために8600キロの旅

自身の被爆体験を英語で外国人に伝えている小倉桂子さん、85歳。

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アメリカ北西部、アイダホ州で、あの日の記憶を伝えるために、飛行機を2度乗り継ぐ8600キロの旅に出た。

小倉さんは8歳のとき、広島市東区の自宅で被爆した。

小倉桂子さん:
毎日毎日人が亡くなっていく。本当にひどいその状況を私が見た。目の前で人が亡くなっていて、それって私のせいかもと思って。それがトラウマになって、ぜったいこれは一生人に言うまいと

小倉桂子さん(85)
小倉桂子さん(85)

トラウマと差別への不安。目に見えない傷に口を閉ざした。20代で結婚。英語が堪能で平和記念資料館の館長も務めた夫は、小倉さんが42歳の時、突然他界。

はからずも亡き夫に代わり被爆者の通訳をするようになる。すると外国人から小倉さんの被爆体験を求められるようになる。

小倉桂子さん:
見えない苦しみを伝えられるんじゃないかなという風に思うようになって、被爆証言を始めた。

独学で英語を磨き、各国の政治家など年間2000人ペースで国内外で被爆証言をしてきた。

今回はアメリカの北西部アイダホ州。

8600キロをはるばる、アイダホ州に到着
8600キロをはるばる、アイダホ州に到着

モスコー市で出迎えたのは、東條梓さん。5年前、ニューヨークで小倉さんの講演を聞き感銘を受け、今回、自身が日本語教師として働くアイダホ大学で被爆証言をしてほしいと依頼した。

アイダホ大学で日本語を教える東條梓さん:
小倉さんに初めてあった5年前のあの時から、自分の中で何か変わったというのがある。小倉さんに来ていただいて、小倉さんの声で、話をしてもらうというのはすごく大きな意味があるんじゃないかなと思います

小倉桂子さん:
自分の経験では行った場所によって全部受け取り方、反応が違う。受け取る側の気持ちというのはどういうものか、それが一番心配

小倉桂子さん
小倉桂子さん

アイダホ州モスコー市、広大な小麦台地に覆われたのどかな町で、町の中心となるのが今回の講演の場所、州立アイダホ大学。

石井百恵記者:
人口約2万人の街モスコー。その半分以上がここアイダホ大学の関係者が占める中、町の人は広島や原爆についてどんな感情を持っているのでしょうか

広島、長崎の原爆については詳しいことは知らない市民が多い

モスコー市民は…
A:本当にほとんど知らない。調べた経験もないし

B:それについて十分には覚えていない
C:若い人たちは学校で習うけれど、影響について必ずしも理解していないし、その重さを理解していない。だから今回紹介されることはとても重要なことだと思う。ロシアとウクライナのことで、私たちは現実に直面しているから。

D:広島の原爆は確かに戦争を終わらせるためと教えられましたが、二度とそんなことが起こらないことを祈ります。でもウクライナやロシアで起きていることには、とても恐怖を感じる

ロシアによる核の脅威が高まる中、世界でヒロシマに目を向ける人が出てきている。

小倉さんを招いたイベントは、「リメンバリングヒロシマ~ヒロシマを忘れない」と名付けられ、大学内では、広島市の平和記念資料館協力のもと被爆の実相を伝える小さな原爆展も開かれた。

アイダホ大学での原爆展
アイダホ大学での原爆展

アイダホ大学の学生にとっては、初めて知ることばかり。
小倉さんはそんな学生に働きかけることにした。

小倉桂子さん(英語):学生に会うのは興奮する
スタッフ:彼らは驚くだろうな
この日サプライズで訪問したのは…東條さんの日本語クラスの授業。

広島の高校生らが作った紙芝居で被爆体験を伝える

手にした紙芝居は、3年前広島市立基町(もとまち)高校の生徒たちが、小倉さんの被爆体験を聞き製作したもの。日本の若い世代の手による被爆の継承。小倉さんは、これをアメリカの若い世代に披露した。

小倉さんの体験を紙芝居にした高校生ら
小倉さんの体験を紙芝居にした高校生ら

小倉桂子さん:
(英語)突然の閃光があり、そして原爆が投下されました。(日本語)水、水、水をください

小倉桂子さん:
(英語)これは紙芝居といいます。(日本語)あなたたちは日本語を勉強しているでしょ。だからみなさんはしっかり勉強をしてこれは何が書いているかをわかってほしい。

(英語)そしてこの物語の英語版を作ってください。そして私の経験をこの地方の小中学生や子供たちに、あなたたちが伝えてほしいの。それが私の願いです。あなたたちが英語版の紙芝居を彼らにやってみせてちょうだい。

(日本語)なぜなら、あなたたちは日本語ができる人だから

「時間はかかってもやりとげる」と学生たちは約束してくれた。
アイダホ大学生 マイカリス・デヴィンさん:
原爆の惨状とそれを若い世代に伝える必要性について受け取った。紙芝居を英語に訳すことをぜひともやってみたい

マイカリス・デヴィンさん
マイカリス・デヴィンさん

小倉桂子さん:
ローカルのものがあっという間にグローバルになる。だからきょう、本当に意義がある日だなと思います

佐々木禎子さんの折り鶴について知り、核兵器の議論をするように「世界の終わりの道具」

授業を受けていた一人デヴィンさん。日本のアニメが好きで日本語の勉強を始めた。デヴィンさんは、小倉さんをきっかけに、原爆について勉強し、佐々木禎子さんの折り鶴を知る。

佐々木禎子さんとは、被爆から10年後に白血病を発症し、12歳で亡くなった少女。広島で2歳の時に被爆。被爆時はけがもなく、小学校では足が速く、運動が得意だった。
白血病発症後、入院中に千羽鶴を贈られ、ほかの入院患者とともに回復を願って、自らも亡くなるまで折り鶴を千羽以上おり続けた。
平和記念公園の「原爆の子の像」は、佐々木禎子さんの同級生らが中心となってつくられ、そこに飾られる折り鶴は全世界から年間約1000万羽にのぼるという。

マイカリス・デヴィンさん(日本語):
佐々木禎子さんの話、私は、とてもとても悲しかったです。核兵器は、戦争の終わりの道具じゃない、世界の終わりの道具です

できることからやっていこうとデヴィンさんは周囲の人へ小倉さんの体験を伝え、核兵器の議論をするようになった。

小倉さんの蒔いた平和の種が芽吹き始めていた。

【後編】に続く

(テレビ新広島)

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