祝賀行事の舞台に金総書記の娘が?

北朝鮮は9月25日以降10月1日までの1週間で4回という、過去に例のない頻度で弾道ミサイルを発射した。しかし、北朝鮮メディアはミサイル発射に関して一切報じず、映像も公開していない。異例の沈黙の背景には、北朝鮮の体制宣伝の変化がある。

こうした中、北朝鮮の「建国」74周年を記念し9月8日に開催された祝賀行事の映像が注目を集めている。

祝賀公演では歌や踊り、寸劇などが披露され、金正恩総書記と妻の李雪主氏、妹の金与正氏をはじめ党幹部や市民らが観覧した。

開始から1時間40分過ぎに、舞台上に北朝鮮の旗を持った少年少女らが登場し合唱が始まる。舞台では冒頭、ピンクのワンピースを着たおかっぱの少女のクローズアップが7秒ほど続く。登場シーンから特別扱いを感じさせるこの少女は、その後も繰り返しクローズアップされ、その前後には金総書記や李雪主氏、金与正氏らが舞台に見入る様子が挿入されていた。

少年少女による合唱の冒頭、クローズアップで登場した少女
少年少女による合唱の冒頭、クローズアップで登場した少女
この記事の画像(10枚)
舞台を見る金総書記夫妻、妹の金与正氏(後方)
舞台を見る金総書記夫妻、妹の金与正氏(後方)

北朝鮮の映像物ではよほど特別な理由がない限り、一般住民に焦点があてられることはないため、少女の扱いは金総書記一家と何らかの関係があることを暗示するような編集と言える。

少女はフィナーレの場面で再び舞台に登場し、ここでもクローズアップされていた。

フィナーレで再び舞台に登場した少女
フィナーレで再び舞台に登場した少女

公演終了後に金総書記と李雪主氏が出演者をねぎらう場面では、李雪主氏が少女の背中に手をやり言葉をかける様子も映し出された。また、この少女が金総書記に近づこうとする別の少女を手で制する場面もあり、ここでも“一般人”らしからぬ行動が確認された。

少女をねぎらう李雪主氏
少女をねぎらう李雪主氏
別の少女を制する場面も(右端)
別の少女を制する場面も(右端)

英デイリーメールや中国の報道は、この少女が金総書記の娘「キム・ジュエ」ではないかと相次いで指摘している。

韓国の情報機関・国家情報院は、金総書記には3人の子供がいるとしている。1人目は2010年、2人目は2013年、3人目は2017年ごろ誕生したと推定される。2013年9月に金総書記の招きで訪朝した米プロバスケットボール協会(NBA)の元選手、デニス・ロッドマン氏は、金総書記に娘がおり、名前は「キム・ジュエ」と明らかにした。この映像の少女は10歳前後と見られることから、年齢的に一致する。

とはいえ、今回の映像だけでは、この少女が金総書記の娘だとは断定できない。韓国統一省も同様の立場で「まだ、具体的な根拠はない」と慎重だ。また、国情院も否定的な見方を示している。

住民の不満回避に全力

一方で、金総書記の娘が表舞台に登場する可能性がゼロとは言えない。

金総書記は祖父の金日成主席同様、後継の座に着いてまもなく妻の存在を明らかにした。現地指導に妻を伴い、住民と触れ合う姿を示して、親しみやすい指導者、慈愛に満ちた指導者像を演出してきた。

子供たちをかわいがり、教育環境などの改善に力を注ぐ姿を強くアピールしてきたのもその一環だ。

経済制裁や新型コロナウイルスの流入、台風や干ばつの被害など、北朝鮮を取り巻く環境は厳しさを増している。特に2022年は食料不足が深刻化し、住民らは厳しい生活を強いられている。

マスクをつけてコロナ対策の会議に出席した金総書記
マスクをつけてコロナ対策の会議に出席した金総書記

住民の不満の矛先が政権に向かわないよう、金総書記は「人民大衆第一主義」を掲げ、民生重視の姿勢を強調している。住民を納得させるため、党大会で決めた5カ年計画の達成「未達」を認めたり、住民生活が良くならないことに対して金総書記が自ら謝罪したりと、以前の北朝鮮では考えられない「政権にとってマイナス」となる報道もなされるようになった。

加えて、金総書記の新型コロナウイルス感染を示唆するなど健康状態について公表したのも、人民のために尽くす指導者の姿を印象付ける狙いがある。

中朝境界や脱北者を通じた情報流入、インターネットや携帯電話の普及に伴い、情報統制が厳しい北朝鮮であっても外部の情報を一切遮断することは不可能に近い。

金総書記は現実離れした虚構を宣伝するよりも、困難な現状を認めた方が住民の共感が得られ、内部結束には有効と判断しているようだ。

こうした報道方針の変化から見て、人民大衆に「良き父親」像をアピールし幅広い共感が得られると判断すれば、娘を公開することも不自然なことではない。

軍事映像公開は自制、行事映像は「娯楽」重視へ

金総書記は政権発足直後から宣伝扇動で映像重視の姿勢を示してきた。

特に、金総書記の動静やミサイル発射実験など北朝鮮にとって重要な政治イベントは、映像公開を当日や翌日に早め、自身の実績として内外に誇示してきた。

しかし、2019年にトランプ米大統領(当時)との首脳会談が決裂し、制裁の解除が失敗に終わると、映像公開の方針が国内重視へと転換された。

転機となったのは2020年10月の朝鮮労働党設立記念の祝賀行事だ。これまでは昼間に実施され、実況中継の形で生放送されていたが、この時から深夜に実施し、レーザーや花火、照明などを効果的に使って劇的な演出を施して編集した映像物を公開するようになった。

初の深夜開催のパレード(2020年10月10日)
初の深夜開催のパレード(2020年10月10日)

米国の独立記念日を意識し、北朝鮮の「国旗」や「愛国歌」を前面に押し出して、住民の北朝鮮愛を刺激し、自尊心をかき立てるような演出が強調されるようになった。

2022年3月に金総書記の立ち合いの下で実施された新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星17型」の発射では、格納庫の搬出から発射までをドラマチックに編集したハリウッド映画のような映像が公開された。

「火星17型」発射ではハリウッド映画のような凝った編集がなされた
「火星17型」発射ではハリウッド映画のような凝った編集がなされた

北朝鮮の若者の間に浸透しつつあるとされる「韓流」に対抗するためか、映像に娯楽的な要素を加味することで、住民らの関心をひきつけ、困難な状況下でも金総書記への忠誠心を維持させる狙いがあると見られる。

もう一つ、方針転換とみられることがある。

北朝鮮は弾道ミサイル発射を繰り返しているものの、2022年5月以降、その発表を見送っている。北朝鮮はすでに核武力完成を宣言し、核放棄も拒否していることから、核ミサイル能力の向上を誇示する必然性は薄れている。また、実際の開発状況について米国などに確認されるのを防ぐため、映像の公開を止めた可能性が高い。

また、兵器開発より人民生活向上に力を注いでいると人民に思わせるため、映像公開を控えているとも考えられる。

一連の宣伝扇動映像の制作には、党宣伝扇動部副部長である金与正氏の意向が強く反映されていると見られる。

8月の非常防疫総括会議で金与正氏は討論者の一人として演説し、新型コロナウイルスから人民を守るための金総書記の活動を絶賛した。金与正氏の肉声が北朝鮮メディアで公開されたのは初めてだった。「建国」74周年の祝賀行事でも金与正氏の映り込みが、これまで以上に増えていたのが印象的だ。

金総書記の近くに座っていたこともあるが、フィナーレ部分では金与正氏のクローズアップが挿入されるなど、宣伝扇動部における金与正氏の影響力の高まりを感じさせるシーンもあった。

フィナーレ部分での金与正氏
フィナーレ部分での金与正氏

2022年に入り、異例のペースで弾道ミサイルなどの発射を繰り返している北朝鮮。

10月10日の朝鮮労働党創建記念日では再び大規模な祝賀行事が実施される見通しだ。その演出から北朝鮮の次の狙いが見えてきそうだ。

【執筆:フジテレビ客員解説委員 鴨下ひろみ】