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日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲となった事故から2022年で37年。命日の8月12日に、全国から慰霊登山をする人や団体が集まった。宮城・名取市で震災伝承に取り組む「閖上の記憶」もその一つ。震災被災者やその支援者が、慰霊登山に加わる意義は。

群馬・上野村。
8月12日、御巣鷹の尾根を目指し、慰霊登山に参加する人たちの姿があった。

名取市閖上で震災伝承に取り組む「閖上の記憶」代表の丹野祐子さん。11年前の津波で、当時中学1年生だった長男の公太さんを亡くした。

5回目の参加となる丹野さん。2022年、新しい仲間にも声をかけた。
「閖上の記憶」の活動を支える「クルー」と呼ばれる支援者たちだ。

閖上の記憶・クルー(支援者)古賀和子さん:
私も息子が18歳だったのですが交通事故で亡くしたので、悲しみでつながるご縁で誘ってくださって、御巣鷹は悲しみを癒す場所でもあるから一緒にと

登山道を進むと、斜面に墓標が見えてくる。日航ジャンボ機事故の犠牲者が見つかったところだ。

美谷島健ちゃんの墓標。
遺族でつくる「8.12連絡会」の事務局長美谷島邦子さんの次男。当時9歳だった。

閖上の記憶・クルー(支援者)の安藤美津子さんは、お供え物としてドラえもんグッズを持参した。

閖上の記憶・クルー(支援者)安藤美津子さん:
ドラえもんが好きだったとお聞きしたので

栃木から参加したクルーは健ちゃんの墓標に供えたいと、小さなお地蔵様をリュックに入れて背負ってきた。

閖上の記憶・クルー(支援者) 片岡千晴さん(左):
(重さ)5キロはあると思います

閖上の記憶・クルー(支援者) 阿部知江子さん(右):
頑張りました

「閖上の記憶」の支援者、「クルー」として参加した人たちは御巣鷹の尾根に立ち、悲しみに思いを寄せることが癒しにつながることを感じていた。

現地に立つことの意味。
「閖上の記憶」は7月にもクルーと一緒に、震災で大きな被害を受けた宮城県内の女川町と石巻市を訪ねた。
七十七銀行女川支店で勤務中だった長男の健太さんを亡くした田村さん夫妻の話を聞く。

田村弘美さん:
この事実は消えることがない。悲しみ苦しみは消えることがない。背負いながら生きなければいけないんだと、覚悟しながら生きています

震災に関心があっても、被災地を訪ねづらいと感じている人たちもいる。
丹野さんはそうした人も仲間に迎え、ともに学ぶ機会を設けようと考えている。

御巣鷹の尾根は、愛する人を失った人も、それに寄り添う人もともに迎え入れ、それぞれに気づきを与えてくれた。

閖上の記憶・クルー(支援者)片岡千晴さん:
公太ママ(丹野さん)の悲しい出来事が二度と起こってはいけないという思いは、私たちも同じなので、この空間に一緒に来られたことに感謝しています

閖上の記憶 代表 丹野祐子さん:
ともに学ぶ、ともに同じ空の下にいる。同じ空気を吸う、同じ感覚を味わえるのは、この上なく私もとても幸せな時間でした

8.12連絡会 美谷島邦子さん:
この山は涙と祈りがこの地に染み込んでいる。そこから安全の願い、命を大事にする、その光みたいなものがここに立つと感じられ、私たちもそこから勇気をもらえて、そこへ登ってくださる方へ感謝する気持ちになります

(仙台放送)