7月23日、長崎市は大水害から40年の節目の日を迎えた。今年も全市的な慰霊行事は行われなかったが、当時、氾濫した市中心部の中島川沿いでは、市民有志が竹明かりを灯して犠牲者を忘れないと誓った。

「眼鏡橋」も被災 家族5人を失った女性は…

長崎大水害は1982年(昭和57年)7月23日、長崎市を中心に襲った集中豪雨で、長崎県内では299人が犠牲となった。

1982年、長崎を集中豪雨が襲った
1982年、長崎を集中豪雨が襲った
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犠牲者の9割近くが土砂災害によるものだが、多くの河川が氾濫し、浸水被害も相次いだ。

その中でも、中島川に架かる国指定文化財「眼鏡橋」の無残な姿は、撤去か移設かそれとも現地保存か、被災直後から市民の間に議論を巻き起こした。

結局、中島川は全体的には川幅を広げるものの、眼鏡橋周辺はバイパス水路を設けて橋を現地に残すことになった。

河川工学の第一人者として、大水害直後から政府の調査団として現地入りした高橋裕さんは2002年、テレビ長崎の取材にこう語っている。

東京大学 高橋裕名誉教授(当時):
20年前にこの中島川で文化財と治水をどう両立させるか大変な議論になって、両立させるという案を採用したのは、日本の治水政策の歴史にとっても画期的だと思います

2022年7月23日午前11時。市内に犠牲者を追悼するサイレンが鳴り響いた。1地区としては最も多い34人が犠牲となった川平では、今年も自治会主催の慰霊祭が行われた。

母、姉など家族5人が犠牲になった中村弘美さん(66)に話を聞いた。

中村弘美さん:
息子がちょうど水害の年に生まれたので、息子の年と重ね合わせて…。自分は結婚してこっちにいなかったのですけど、水害翌日に土砂で埋まっているところを一生懸命、車で来れないから歩いてここまで何とか来て…。もう必死でした、家族を見つけるのでですね

あの日とは打って変わって真夏の太陽が照りつける中、中島川沿いを歩く高校生の姿があった。長崎大学職員が、災害の記憶を継承しようと企画した「災害伝承さるく(歩く)」の参加者たちだ。

長崎東高校の放送部と郷土史部の生徒らは、40年前に何が起き、その後、何が変わったのか、説明に耳を傾けた。

高校生:
長崎で本当に起こったんだなって。実際、そういうことが

高校生:
日頃、そういうことを考える機会がないので、すごく大変な出来事だったんだなと感じた

竹灯籠で追悼 災害に危機感持つ若者も参加

水害で犠牲になった299人を自分たちの手で追悼し、教訓を伝えていきたいという市民の思いは4月から動き出した。

子どもたちの環境教育、川や森の環境を守るために活動を続けている11団体で実行委員会を立ち上げ、6月から作業を開始。竹を切り出して乾燥させ、竹灯籠に仕上げるまで全て手作業だ。

灯籠用の竹の切り出し作業を行う有志たち
灯籠用の竹の切り出し作業を行う有志たち

水害当時、高校生だった男性:
一番びっくりしたのは災害の翌朝、川を見ると家が流されている。橋と家が。家に帰ったのが翌朝の5時半だった

水害当時、高校生だった男性:
自衛隊の救援車が来てたから、見た時にすごい状況だなというのと、戦争が終わった後みたいだと思ったのが印象に残っています

作業に関わる人たちの中には、長崎大水害を全く知らない世代もいる。それでも近年、全国で相次ぐ規模の大きな水害に危機感を持って駆けつけた。

長崎大学の学生:
思ってたよりきれいに竹灯籠ができて、びっくりしました。ちょっと感動した

長崎大学の学生:
災害はまた絶対来ると思うので、人が来やすいような催しができるっていうのは、知ってもらうのに良い機会だと思いました

「風化させない」犠牲者への思いと誓い

そして23日当日、みんなで汗を流して作った竹灯篭を積んだ車が、午後4時過ぎに会場に到着した。

長崎大学工学部 鈴木誠二准教授:
最近、災害が多発している中でやっぱりこの40周年、長崎大水害があったことを教訓にしないと、これからの災害にも対応できない。風化してはいけないという思いが強くて

「長崎大水害の記憶を風化させてはいけない」と話す
「長崎大水害の記憶を風化させてはいけない」と話す

午後7時に点灯され、ハート形に並べた竹灯籠の中に「7・23 40」の数字が浮かび上がった。川辺には犠牲者と同じ数、299本の灯りが揺らいだ。

犠牲者を追悼する竹灯籠
犠牲者を追悼する竹灯籠

参加者:
きれいだなあとしか。今日、ちゃんと11時に黙とうさせていただきました

参加者:
ああ、もう40年も経つんだなという気になりました。早いですね

「竹灯りのつどい」を呼びかけた 兵働馨さん:
たくさんの方が見ていただいたり、色んなことを感じていただけたかなと思っているので、(犠牲者に思いが)届いてほしいと思います

あの夏の雨から40年…。犠牲者への追悼と防災への誓いを込めた竹灯籠は、夜遅くまで中島川の川面を照らし続けた。

(テレビ長崎)