仙洞御所で行われてきた改修・増築
お住まいは、1960年に完成してから何度か改修、増築が施されています。

1979年 お子さまが大きくなり最初の改修
最初の改修は、1年ほど掛け1979年11月に終えています。
この時、陛下は19歳、秋篠宮さまは13歳、黒田清子さんは10歳と大きくなられ、手狭になったことが主な理由です。
この時まで皆さまには個室がなく、遊戯室を改造するなどして個室にしていたようです。
改修により、陛下用の個室と黒田さん用の個室はそれぞれ約24㎡から約40㎡(約24畳)、秋篠宮さまは約17㎡から約37㎡(約22畳)と、これまでの倍の広さになったということです。
また、ご進講の部屋3つと、当時日本舞踊を学んでいた黒田さんがお稽古に使えるようにと本格的な和室も作られたということです。
お住まい部分の2億2千万円と合わせ、空調室の工事など総工費約3億3千万円かけて約560㎡増築され、総延べ床面積は約5152㎡に。部屋数は、公室部分12室、私室部分22室、事務部分は38室になったということです。

時代は平成となり、上皇ご夫妻は1993年12月、皇居の御所へと移居されます。
雅子さまとご結婚後、陛下は東宮仮御所となっていた赤坂御用地内にある赤坂東邸に住まわれていました。
1994年 上皇ご夫妻から両陛下のお住まいへ改修
両陛下のお住まい「東宮御所」とすべく、改修工事が行われます。
そして、1994年7月6日、両陛下は「東宮御所」へと入られました。

新居に入られた両陛下は、「両陛下(上皇ご夫妻)が三十余年お過ごしになられた東宮御所で新しい生活を始めることに深い感慨を覚えます」と感想をと寄せられています。
改修では部屋割りは変えず、老朽化した屋根の葺き替えや照明器具の交換、非常用発電の設置などが行われ、美智子さまが使われたキッチンも調理器具を入れ替えたそうです。そして、新たに私室部分の前庭に、ししおどしや灯籠のある日本庭園が造られました。

改修費は、3億800万円で、総面積は約5460㎡。約300㎡増えているのが分かります。
1998年 耐震強化のため改修
次の改修工事は1997年6月から翌年3月末まで行われています。
阪神淡路大震災後行われた耐震検査で、公的部分の耐震強化工事が必要と判断されたためで、合わせて身体障害者用のリフトなども設置されました。工事費は5億8千万円だったいうことです。
この間、両陛下は、赤坂東邸を「東宮仮御所」とし住まわれました。
2001年 愛子さま誕生を控え改修
2001年に行われた改修工事は、長女・愛子さまご誕生を控えた8月から行われています。

黒田清子さんが使っていたお部屋を愛子さまのお部屋とするために、床には耐熱性のあるコルクタイルににしたほか壁にはリノリウムを使用。また部屋を仕切って看護師の控室が作られました。合わせて浴室やトイレ、空調も一新されました。改修費は約2900万円だったそうです。

2009年 築50年近く…老朽化で本格的な改修
2008年8月末の改修工事に伴い、両陛下は、赤坂東邸に一時的に居を移されています。
赤坂東邸でのご生活は3度目です。
建設から約50年経とうとする建物の老朽化が進んだことから、1年掛け本格的な改修工事を行うためでした。
老朽化した配管の交換、内装の張り替えが行われ、合わせて事務等の屋根にはソーラーパネルを設置、照明をLEDライトに交換するなど環境に考慮した改修工事でした。
また、関係者によれば、お部屋の雰囲気をできるだけ1960年の完成当時に戻したということです。総工費は約10億円となりました。
両陛下が東宮御所に戻ったのは、2009年8月で、それ以降、約12年「東宮御所」から「赤坂御所」と名前は変わりましたが、同じ建物に住まわれたのです。
2022年 再び上皇ご夫妻のお住まいへ改修
上皇ご夫妻が住む「仙洞御所」とするため行われた改修工事は、2021年9月から始まり、翌年4月、私室部分と接遇部分の改修がほぼ終わったことから、上皇ご夫妻は、東京・高輪の「仙洞仮御所」から思い出深い赤坂の「仙洞御所」へと移居されました。

今回の改修工事では、私室部分にエレベーターや手すり、スロープなどバリアフリー化が行われたほか、事務部分に医療体制を充実させるスペース、さらに上皇ご夫妻の品々を収めるための書庫など約200㎡が増築されました。

改修費は、約6億4000万円となる見通しで、総面積は約6120㎡で、1960年の建設当時と比べると約1800㎡増えたことが分かります。

室内については、上皇后さまから、以前部屋がどのように使われていたか聞き取り、できるだけ当時と同じような形で部屋を整えたということです。
上皇ご夫妻とお子さまたちの思い出の場所
お庭には、美智子さまのお印、白樺や、お二人が出会った長野県軽井沢町の花、ユウスゲ、東日本大震災の被災地に咲くハマギクなど、お二人の思い出の樹木や草花が植えられていくということで、これからお二人でお庭を作られていくことになるでしょう。
お引っ越しにあたり、上皇后さまは、2018年10月のお誕生日に寄せた文書の中で、以前住んだ「東宮御所」についてこう綴られています。
「仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて30年程住まったあちらの御所には、入り陽(ひ)の見える窓を持つ一室があり、若い頃、よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います」

実は、「東宮御所」からの夕焼けについては、黒田清子さんが中等科時代に書いた詩「母の日に」にも描写があるのです。
母の日に夕焼けの絵を描いた
夕焼けはどこか母に似ているから
夕焼けの絵を描いた
ただ、それだけの絵なのに
母は大事にたなの上にかざってくれた
夕焼けのよく見える
窓の近くにかざってくれた
この建物の2階の西側に面したお部屋からご覧になった夕焼けには、色々な思い出が詰まっていることが良く分かります。
2005年のお誕生日の文書では、嫁がれる当時の紀宮さま、黒田清子さんとの思い出について、「自然のお好きな陛下のお傍で、二人の兄同様、清子も東宮御所の庭で自然に親しみ、その恵みの中で育ちました。小さな蟻や油虫の動きを飽きることなく眺めていたり、ある朝突然庭に出現した、白いフェアリー・リング(妖精の輪と呼ばれるきのこの環状の群生)に喜び、その周りを楽しそうにスキップでまわっていたり、その時々の幼く可愛い姿を懐かしく思います」と綴られています。

名前は色々変わりましたが、「仙洞御所」の場所は、お子さま方との思い出もたくさん詰まっているのです。
ブランコや滑り台、砂場などでお子さま方と遊ばれた「東宮御所」のお庭。

お子さまが大きくなられるまで、上皇后さまがお弁当を作り続けられた台所。

「仙洞御所」には思い出がいっぱい詰まっていますが、これから新たに上皇ご夫妻、お二人の平穏な日々の思い出が刻まれていくお住まいになっていくのです。

参考文献:皇居造営・東宮御所