4月26日、天皇陛下即位によるお代替わりに伴うお引っ越しを終えられた上皇ご夫妻。

それから2週間。新たなお住まいは、以前、天皇ご一家が過ごされていた「旧赤坂御所」。

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上皇ご夫妻のお引っ越しで、「仙洞御所」と名前が変わったこの建物ですが、実はこのお住まい、上皇ご夫妻が結婚されてから、30年あまり、3人のお子さまたちと共に過ごされていた思い出深い場所。

当時の皇室では異例だった、「お手元での子育て」を行うなど、まさに、“新しい時代の皇室”を体現されたお二人。その舞台となった、懐かしの我が家へのお引っ越しを前に、美智子さまは、このように述べられていました。

上皇后さま 2018年お誕生日文書:
3人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。

いま、お二人は、どのような生活を送られているのでしょうか。

“懐かしい我が家へお引っ越し” 美智子さまの原点

まずは、上皇ご夫妻のお住まいである「仙洞御所」について詳しく見ていきます。

今回のお引っ越しの目的は、天皇陛下のお代替わりによるお住まいの移動です。

上皇ご夫妻は、「皇居・御所」から「旧赤坂御所」へ移動され、天皇皇后両陛下が「旧赤坂御所」から、「皇居・御所」にお住まいを移されました。

直線距離にして約2.5kmですが、今回のお引っ越しと共に、旧赤坂御所から「仙洞御所」に名前が変わりました。

仙洞とは、もともと「仙人の住居」という意味の言葉で、『上皇の住居』の呼び名とされています。ただ、「仙洞御所」は新たなお住まいといっても、上皇ご夫妻にとっては、“懐かしい我が家”でもあります。

実は、このお住まいが完成したのは、上皇ご夫妻ご結婚の翌年である1960年。

以来、天皇陛下に即位されるまでの約30年間をこの地で過ごされました。当時は、皇太子の御所を指す「東宮御所」という名称で親しまれました。

完成した年には、今の天皇陛下もお生まれになっていました。

その後、今の秋篠宮さま、そして、黒田清子さんも誕生。

まさに、3人のお子さまたちと共に過ごされた“思い出の我が家”でもあります。また、その生活は、“新時代の皇室”を体現された舞台としても注目を集めました。

それは、当時皇室の慣例であった「乳母制度」、つまり乳母が子供を育てる制度を廃止し、ご自身の元でお子さんを育てていくやり方に変えたこと。

また、外遊など遠出される際には、美智子さまが侍従らに書き残した子育てメモ、いわゆる「ナルちゃん憲法」も話題となりました。例えば、1日1回はしっかり抱いてあげる、言いたいことは自分の口で言わせる、などが書かれていました。

そんな思い出の詰まった“懐かしの我が家”へのお引っ越しが、およそ4年前に決まっていたのですが、2018年、美智子さまはお誕生日の文書でお気持ちをお話しされています。

2018年 美智子さまお誕生日に際しての文書:
入り陽の見える窓を持つ一室があり、若いころ、よく窓から夕焼けを見ていました。
3人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。

家族と共に幸せな時間を過ごされた場所にお引っ越しが決まっていた上皇ご夫妻。なぜ、お引っ越し決定から4年もの歳月がかかったのでしょうか。

フジテレビ皇室担当 橋本寿史解説委員:
一番大きい影響は、新型コロナウイルスの感染拡大という点があります。物資の調達ですとか、改修工事をする人たちが密にならないようにということで、工事が長引いてしまったということがあります。工事をするみなさんがコロナに感染されてはならないと、皇族のみなさまがお考えになられて、感染のリスクを避けながら納期が延びてもいいという思いでおっしゃられたと聞いています。

改修工事でどのようなところが変化しているのか、図面で見ていきます。

当時の形を再現 バリアフリー化も徹底

建物内は、3つに分けられています。

1つは、居住エリアとなる私室部分。そして、応接エリアとなる、公室部分、また、側近の事務エリアとなる、事務部分となっているのですが、公室部分はメディアに公開されています。

玄関を抜け、右に向かった先にあるのが、鶴が描かれた大きな屏風が特徴の「鶴溜り」と呼ばれるスペース。ホテルで言うと、ロビーのような場所です。

その「鶴溜り」を左に抜けた先にあるのが、「檜の間」と呼ばれるスペース。

過去には、イギリス留学から帰国した天皇陛下の記者会見の場としても使われました。

さらに、その奥に、主に多くの来賓が訪れた際のおもてなしの場として使われる「日月の間」があります。

また、車寄せの近くに設置されている来客用のトイレは、今回のお引っ越しに合わせて最新仕様に。

手すりなども付けられ、バリアフリー化が行われました。

他の2つのエリアに関しては、内部は未公開ですが、様々な改修が行われています。私室部分に関しては、ご高齢の上皇ご夫妻のために、バリアフリー化され、エレベーターや手すりの設置などが行われたということです。また、事務部分は、医療体制を充実させるためのスペースなど約200㎡を増築中、来月にも完成予定だといいます。

また、こうした改修作業以外にも、上皇ご夫妻への配慮があり、今回宮内庁が美智子さまに、当時の使い方などを聞き取り、なるべく当時の形を再現し、より住みやすく改装したといいます。

また、私室部分にあるものとして当時、最も話題を呼んだのがこちら。

美智子さまの提案で、皇室でははじめての家庭用キッチンを設置し、ご家族の食事を自ら料理していたといいます。当時は、ご家庭で料理を作る皇族はおらず美智子さまの料理姿が、大きな反響を呼んだそうです。

また、公務の傍ら3人のお子様のお弁当作りも、ご自身で行い、きれいな彩りにこだわって工夫を凝らしていたとも。

中でもお子さまたちに大好評だったのが、鶏のそぼろ、炒り卵、いんげんなどが入った三色弁当だったといいます。

ご自身で料理をしたり「乳母制度」を廃止するなど、美智子さまはなぜ、慣例を変えることができたのでしょうか。

フジテレビ皇室担当 橋本寿史解説委員:
上皇ご夫妻は、時代にあった皇室というのを描かれていたと思います。それと同時に、昭和天皇にも同様の思いがあり、美智子さまが新しいスタイルを作るための後押しとなり、次の時代へと受け継がれたのだと思います。

そんな懐かしの我が家で上皇ご夫妻はどのような生活を送られているのでしょうか。

日課のお散歩にこだわり 思い出のお花もお引っ越し

宮内庁のHPによると、規則正しい生活が日課となっており、朝は庭園を散策、朝食後は、お二人で本の音読をされているといいます。

また、夕方になるとお二人で庭園を散策。上皇さまは侍従との会話を日課に、美智子さまは読書をされているそうです。

上皇ご夫妻にとって、庭園での散策が欠かせない日課となっており、そのため、今回のお引っ越しではお花の植え替えや道の整備などが行われたといいます。

植え替えられたお花の一つが黄色いユウスゲという花です。お二人の出会いの地、長野県軽井沢に多く咲く花で、ご夫妻がかつて赤坂の庭で育て、軽井沢に贈られたこともある思い入れのある植物です。

また、もう一つがハマギク。皇居に咲くハマギクも今後植えるそうなのですが、天皇ご在位中に訪れた岩手県内のホテルから贈られた花で皇居御所の車寄せに咲いているものです。

また、新たな生活を迎えるにあたって、秋篠宮邸とも距離が非常に近くなります。

その距離約500m。お散歩中に秋篠宮さまと偶然会うなんていうこともあるのかもしれません。

上皇ご夫妻は今後、次世代の皇位継承者である悠仁さまとどのような時間を過ごされるのでしょうか。

フジテレビ皇室担当 橋本寿史解説委員:
過去に秋篠宮さまもご両親に連れられて、昭和天皇から色々お話をうかがう機会があったというふうにお話しされています。ですから、秋篠宮さまもいろいろと悠仁さまをお連れになって、上皇さまから歴代の天皇について話を聞き、どういう立場になっていくのか自覚していただけるようなことに繋がっていくと思いますので、接点をもつことは、とても大切になってくると思います。 

(めざまし8「わかるまで解説」5月10日放送)