1,700人以上が犠牲となった太平洋戦争末期の岡山空襲から、6月29日で77年が過ぎた。岡山空襲の経験者は、ロシアのウクライナ侵攻など、平和が脅かされている今、何を思うのか。

当事者が語る「岡山空襲」…1時間半で10万発 市街地は火の海に

防空壕に逃げ込む人や、道端で寝る子ども…。戦争はいつの時代も、無辜(むこ)の市民が犠牲になり、深い悲しみと決して消えることのない遺恨を刻みつける。

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岡山市中区門田屋敷に住む成田昌士さん(85)と美津穂さん(85)夫婦。当時小学生だった2人は、市内の別々の場所で岡山空襲を経験した。
小学2年生だった夫の昌士さんは、日中戦争から太平洋戦争へと激化する戦禍の中で育った。

小学2年で空襲を経験・成田昌士さん:
幼稚園の時の運動会は「戦争ごっこ」。塀にルーズベルト(元アメリカ大統領)の大きな絵が貼ってあるのに向かって、竹を持っていき破る。ヤー!と言いながら。破れてしまったら勝ったという印で、バンザイバンザイと言う。そういう競技だった。しまいには勉強なんかしていなかった

そして…1945年6月29日 午前2時43分、岡山市中心部の上空をアメリカ軍の爆撃機B29が襲った。現在のNTTクレド岡山ビルを中心に、半径約1.2kmが爆撃の標的となり、1,700人以上が死亡。昌士さんが当時住んでいた中区門田屋敷も攻撃を受けた。

昌士さんが、当時住んでいた辺り、現在は車道となっている場所を案内してくれた。

小学2年で空襲を経験・成田昌士さん:
岡山の場合はサイレンが鳴らなかった。突如落ちてきた、ドーンと。バーンドーンという強力な音がして、びっくりして母親に起こされた。そのときには、もうここが真っ赤に燃えていた。勝手口から池へ向かって逃げた。家の裏の東湖園というところ。池の中に入れと言われ、入っていた。風呂に入るように首まで入り、じーっとしていた。そうしたらそこへ落ちた、焼夷弾が

飛び込んだ家の裏の池から、母親に抱えられた昌士さん。炎に包まれた見慣れた道を、必死で逃げたという。坂を上り、少し小高くなった高台の公園までやってくると、話を続ける。

小学2年で空襲を経験・成田昌士さん:
逃げてきたのはこの辺。斜めになっているところに腰掛けて、まちを見ていた。こっちを見たときには、もう岡山市全体が燃えていた。全部燃えていて、見ていたら、ドドドーンと音がした。常にブーンという音がして、(爆撃機が)舞っていて爆弾を落としていく。この上(近くの場所)に突然落ちた。その時の悲鳴は「助けて」という事は言わず、ウワァーという悲惨な声。焼けた人が降りてくると、顔の皮膚がむけていた

1時間半の間に落とされた焼夷弾は約10万発。市街地の60%以上が焼け野原になった。

昌士さんの家も焦土と化し、1カ月ほど疎開して帰ってきた、終戦の年。身を寄せたのは、近所の寺「三友寺(さんゆうじ)」の門の下だった。内側に部屋を広げ、生活していたという。

小学2年で空襲を経験・成田昌士さん:
もうめちゃくちゃだった。焼けた木を拾って持ってきて、打ち付けて、向こう側に屋根を広げた。ここには2年ぐらい居た。この門はそのときの命の恩人

三友寺は本堂を焼失し、その姿を現在に残すのは、山門のみ。爆撃による焼け跡と刻まれた傷が戦争の悲惨さを物語っている。

戦火を生き抜いた昌士さんと61年間連れ添う、妻の美津穂さんも空襲の経験者だ。小学3年生だった美津穂さんは、爆撃の中心からわずか400メートル程の場所に住んでいた。昌士さんが爆撃から逃げた際、高台から見下ろしていたという、火の海の中だ。

小学3年で空襲を経験・成田美津穂さん:
防空頭巾を被ることになっていたので、被って西川の縁へ。細い道を抜けて、川縁に出ていくと、目の前を大勢の死んだ人が流れていっていた。大きな女の人が焼けて、ただれて、目の前に立っているのを見たり、焼けてばらばらになっている人も見た。とにかくいっぱい人が流れていた

繰り返される悲劇…今度はウクライナが戦場に

多くの犠牲者と深い悲しみを生んだ岡山空襲から、77年。ウクライナでは、同じ過ちが繰り返されている。

成田昌士さん:
あんなのを見たらショックを感じる。岡山空襲より激しい。昔は上から爆弾を落とすだけだったが、今はもうどこへでも飛ばせる。戦争はいけないということになっても、どうしても繰り返す。腹が立ってしょうがない

連日報道される現地の様子が、あの日の光景と重なり、今もなお、当時の自分と同じような子どもたちの命が脅かされていることに憤りを覚えている。

成田美津穂さん:
無残です。戦争はあってはいけない

成田昌士さん:
あってはいけないけれど、今も戦争になりかけている

成田美津穂さん:
戦争はだめ、戦争はだめ…

成田昌士さん:
若い人が死ぬ。それはもう絶対にいけない。未来を担うものがみんな死ぬ。戦争は絶対にしてはいけない

戦争は絶対にしてはいけない…。空襲から77年の時を経た今、当時を知る2人の言葉は、その重みを増している。

(岡山放送)

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