ロシアによる軍事侵攻で、ウクライナから日本に避難した大学生や研究者は、5月の段階で100人以上となっている。そのうち68人を受け入れているのが、福岡にある日本経済大学だ。3月に来日した学生の1人に、いま日本で何を思うのか、インタビューした。
「日本への留学はずっと私の夢だった」
エリザベータ・ペトロヴァさん(21)は首都キーウ出身で、キーウ国立言語大学では日本語を学んでいた。ロシアの軍事侵攻とともに母・兄と一緒にリビウまで避難し、その後エリザベータさんはポーランドを経由して3月27日に日本に逃れ、母と兄はキーウに戻った。父は元軍人で、キーウから避難することなく仕事を続けていた。日本に立つ際、家族は「行ってらっしゃい」と語ったという。
この記事の画像(9枚)エリザベータさんは流ちょうな日本語でこう語る。
「家族と別れるのは本当に辛かったのですが、日本への留学はずっと私の夢だったので、家族からは『いいチャンスだから、行ってらっしゃい』と言われました。いまはSNSで毎日連絡を取り合っています」
「なぜ日本語を学ぼうと思ったのか」と筆者が聞くと、エリザベータさんは「かなり一般的な理由だと思いますが」と前置きして、こう話し始めた。
「私は小さな頃からジブリとかアニメを観ていて、日本はすごいなあと思っていました。中学生の時に日本語を勉強しましたが当時はよくわからず、高校を卒業する際に日本語を自分の専門にしようと決めました。大学で3年間、日本語を勉強しています」
大学では留学生にメンター制度を導入
エリザベータさんをはじめ68名(交換留学生3名を含む)のウクライナ学生を受け入れているのは福岡の日本経済大学(以下日経大)だ。日経大は2020年8月からキーウ国立言語大学と交換留学制度を始めた。
受け入れ担当の国際部所属・経済学部准教授の松﨑進一さんはこう語る。
「私たちは現在ウクライナ学生の授業料を完全に免除し、寮費も無償で部屋を提供しています。学生は日本語のレベル別に3つのクラスに分け、それぞれクラス担任を配置しています」
さらに日経大ではクラス担任とは別に、大学教員のメンター制度を導入しているという。
「1つのグループ3~4名を一人の大学教員が受け持ち、学業や生活上の相談にのっています。その他にもスチューデント・アシスタント制度を設けて、日本の学生とウクライナの学生を1対1でマッチングして、学生目線でのサポートや友情の構築にも配慮しています」
エリザベータさんはウクライナで大学に通っていた頃、日本人留学生と交流したり、日本映画やアニメを観ていた。
「だから日本に来てびっくりするようなことは無かったのですが、それでも初めて着物を着たり、茶道をやったり、学校で色々なことを体験しました。ほかの学生もこうした体験を楽しんでいると思います。最近までキーウ国立言語大学の卒論制作で忙しかったので(※)、これからは日本国内を旅行してみたいですね」
(※)エリザベータさんは現地では大学4年生。
「私はジャーナリズムをやりたい」
「ニュースは毎日悲しい思いで見ている」というエリザベータさん。友人や親族は激戦地である東部のハルキウやマリウポリにも住んでいる。南部のオデーサはかつて観光で行ったお気に入りの街だった。エリザベータさんは、いま記者の仕事に興味があるという。
「もともとは通訳を目指していましたが、戦争が始まってから記者の仕事は社会にとって本当に重要だと思うようになって、いまはジャーナリズムをやりたいと思っています」
前述の松﨑さんは、「学業、生活・健康の両面で」学生にケアしていると語る。
「学業では、授業の担当教師から毎回の出席状況を報告してもらい、出席状況を確認しています。欠席が続いている学生がいた場合は、個人面談をして学生がぶち当たっている壁を取り除き、モチベーションを保って授業に出ることができるよう激励しています。また生活・健康の面については、体調を崩す学生がいれば必要に応じて専門医の受診に同行し、迅速に対応しています」
筆者が取材に伺った日も、日経大では学長以下各部署の担当者が集まって数時間にわたって会議をしていた。受け入れの現場ではこうして暗中模索しながら、ウクライナ学生のために細やかな配慮を行っているのだ。
インタビューの最後に、エリザベータさんに日本に対してメッセージがあるか聞いた。
「日本からはすごく支援をされていて、感謝の気持ちだけです。日本に来て、皆が応援してくれるのに驚きましたが、本当に嬉しく思います」
戦火から逃れてきた人々をどう受け入れるか、まさにその国の真価が問われるのだ。
【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】