東日本大震災から11年。津波で友人を亡くした女性は、悲しみと向き合いながら大切な思い出を胸に前へ歩み出そうとしている。

「いつでも会えると…」癒えぬ悲しみと後悔

東日本大震災後、原発事故の収束に向けて前線基地となった福島県の「Jヴィレッジ」。2022年3月11日。復興を願い、約2000個のキャンドルがともされた。

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福島・南相馬市の水谷有加さんは、亡くなった友へメッセージを書いた。

水谷有加さん:
たぶんもう泣かないです。もう、泣くのはやめようと思ったので。新たなスタートという意味で、私は一区切りできたのかなと思います

亡き友を思い、海岸へ向かう水谷さん。

水谷有加さん:
何かにつけて、ここに来て喋ってたかな。すごく会いたいですよ。もし生きていてくれたら、もっといろんな話ができただろうし

親友の三浦浩美さん。水谷さんとは小学生の時に出会った。

その後、浩美さんは結婚。2人の子どもにも恵まれ、互いに育児や仕事と慌ただしい日々の中で、会えない時期が続いた。そして、あの日、浩美さんは夫の母を連れて実家の家族を避難させようとしていたところ、津波に巻き込まれた。

水谷有加さん:
遺影を見た時、本当に死んじゃったんだと…。そこで初めて、本当にいないんだねという。悲しいを通り越して、なんでなんだろう、どんな状況だったんだろうと

「あの時、自分がそばにいれば」「亡くなる前に、もっと会っていれば」。悲しみが癒えないまま、時間だけが過ぎていった。

水谷有加さん:
いつでも会えるという余裕があって。その余裕が結局、こういう永遠の別れになっちゃったわけですから

亡き友を思う水谷有加さん

浩美さんの息子に再会 思い出を伝える

整理できない心に変化が訪れたのは、2021年3月11日。浩美さんの次男・光さんが、遺族代表として追悼の言葉を読んだことを知った。

浩美さんの次男・光さん 遺族代表として追悼の言葉を読んだ

水谷有加さん:
遺族の人が完全な前向きではないけど、前を向いてこつこつと進んできたのに、自分が下を向いていたってしょうがないよねと。変な吹っ切れができた

母親を亡くした悲しみを思い出させないよう、浩美さんの子どもたちに会うことを控えていた水谷さん。しかし、自分が大切にしてきた浩美さんとの思い出を伝えようと、再会を決めた。

浩美さんの子どもたちと会うのは、約20年ぶり。2人とも水谷さんのことは覚えていない。

母親との思い出は多くはないという、長男の悠さんと次男の光さん。水谷さんが大切にしている浩美さんとの思い出に耳を傾けた。

水谷さんから母・浩美さんとの思い出を聞く子供たち

三浦悠さん(23):
小さいころは母の話を聞かなかったので。そういう意味では、貴重な話を聞けているのかなと思う

三浦光さん(19):
正直、あんまり母親のことを覚えていることが少ないので、こういう人だったんだなという新たな発見みたいなものがあった

前を向いて、笑顔の多い日々を

水谷さんの心の中にも、ある気持ちが芽生えた。

水谷有加さん:
おこがましいですけれども、浩美の代わりにずっと(2人を)見届けられたら。なんかうれしいかな

東日本大震災から11年。大切な人を失った、すべての人に伝えたい思いがある。

水谷有加さん:
個々に故人のことを思いながら、悲しむだけじゃなくて励みにして、前を向いて生活していってほしいなと。笑顔の多い日々を作ってほしいなと願っています

(福島テレビ)

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