親子3人で営む豆腐店が長野県御代田町にある。名物の「油揚げ」を仕上げているのは、90歳になる店主の母親。60年間、店に立っている。
二度揚げでふっくら、きつね色に
この記事の画像(12枚)大豆をひいてペースト状に。炊きあがったら、丁寧にこしていく。体重をかけてじっくりと水分を抜けば、昔ながらの木綿豆腐の出来上がりだ。
こちらは100年以上の歴史がある「沢井豆腐店」。店主は3代目の沢井義浩さん(59)だ。
沢井豆腐店 店主・沢井義浩さん:
(豆腐作りは)その日の温度によって違ってくるから毎日、同じものは作れない。それが難しい
一緒に作業するのは、兄の幸浩さん(61)と母の光恵さん(90)。親子3人で営んでいる。店には豆腐の他にも名物がある。油揚げだ。
母・光恵さん(90):
オートメーションとは全然違う
沢井豆腐店では油揚げを2度、揚げている。最初は100度くらいで生地を膨らませ、2度目は180度できつね色に。仕上げの2度目は、ずっと光恵さんが担当している。
母・光恵さん(90):
(時間は計らず)もう色だけ、仕上げの色が肝心
――感覚?
母・光恵さん(90):
そう
丁寧に揚げることで外はふっくらと…。みそ汁の具や「おいなりさん」にするのがおすすめだそうだ。
そのまま食べてもおいしい。
記者:
やわらかい。中はかなり、しっとりしていますね。かめばかむほど、大豆のうま味が口の中に広がっていきます
作る量は以前より減ったというが、今も1日に250枚以上を揚げている。光恵さんは60年間、午前3時に起き、店に立ち続けてきた。
父が倒れて…親子3人で守る店の味
母・光恵さん(90):
ずっと立ちっぱなしで腰痛いけども、これが仕事だと思えば大変だと思わないね
光恵さんは2代目店主の武男さんと結婚して店に入り、朝早くから黙々と働いてきた。
母・光恵さん(90):
昔はそれこそ「困ったら豆腐屋をやれ」というくらい、もうかったんだわ
両親の背中を見てきた次男・義浩さんも店を手伝い始めるが、やがて別の仕事に。
沢井豆腐店 店主・沢井義浩さん:
おれは嫌だったね、朝の早い仕事で。若いころは、なんでこんな家に生まれたんだろうと思ってたよ
しかし、20年ほど前に父の武男さんが病気で倒れ、光恵さんが店を支えるようになると…。
沢井豆腐店 店主・沢井義浩さん:
母が1人で頑張っていたし、1人で苦労させてるなと。やっぱり外に出てみなきゃわからない
義浩さんは店に戻り、武男さんが亡くなった10年ほど前からは、長男の幸浩さんも手伝うようになった。以来、親子3人の連携プレーで油揚げを作っている。生地作りは次男・義浩さんの担当だ。使う大豆は豆腐と同じ。県内産と現地で温度管理させた特注のアメリカ産をブレンドしたのもだ。
沢井豆腐店 店主・沢井義浩さん:
大豆が違うからすべてが違ってくる。おからも、油揚げも、豆腐も、豆乳も
にがりを入れてプレス機で1時間弱、じっくりと水抜きしたら生地の完成だ。
最初の「揚げ」を長男・幸浩さんが担当。そして仕上げの「2度目」は光恵さん。
母・光恵さん(90):
うれしい。(先代と)2人でやっているときは大変だったね、3時起きで
長男・幸浩さん:
午前3時に起きなくたって…午前中で終わりにしようとするから、そうなるんだよ
母・光恵さん(90):
(全部で)6時間かかるだよ、だから3時に起きなきゃ間に合わない
長男・幸浩さん:
その癖が治らないから、今でも早いんだよ
親と子。時には言い合いも…。
沢井豆腐店 店主・沢井義浩さん:
ケンカしながらやっているからいいんだ
母・光恵さん(90):
ケンカしているうちは、大丈夫だと思っている
手作りの味が愛され「命ある限り頑張る」
昔は町内に5軒あった豆腐店も、スーパーの進出などで今は沢井豆腐店だけに。経営は決して楽なわけではない。それでも小中学校の給食に使われている他、地元の精肉店などでも販売されていて根強い支持がある。
片山肉店・片山勉社長:
長い歴史があるということで、3世代くらいのお客さまがついてますので、お客さまの要望が一番
佐久市内のスーパーにも沢井豆腐店の油揚げが並ぶ。
買い物客:
油揚げはお寿司にしたり、煮物に入れたり。やっぱり手作りでしょ、沢井さんはね。厚くていいと思う
店に足を運んでくれる客の声が、光恵さんの励みになっている。
母・光恵さん(90):
それだけやっぱり、品物が愛されているからね、ありがたいですよ。同級生は亡くなっていくわで、今度は自分の番かなと考えるときもあるが、もう少し頑張らなきゃという気持ちでいる
60年作り続けてきた油揚げ。その味を守ることが、光恵さんを支える生きがいとなっている。
沢井豆腐店 店主・沢井義浩さん:
本当はもう楽させなきゃと思っているけど、たぶん楽させたら終わっちゃうと思う
母・光恵さん(90):
そうだね
沢井豆腐店 店主・沢井義浩さん:
生涯現役ってやつだね。1年でも半年でもいいから、長く生きてもらえれば
母・光恵さん(90):
頑張ります。これが命ある限りだもんね
(長野放送)