突然の封鎖

4月某日、出勤しようと朝の7時過ぎに北京市内の自宅マンションを出ようとしたところ、フロントの人たちが電話をしたり、あわただしく動いている様子が見えた。ドアを押したが動かない。すぐにコロナだと察してフロントに聞くと「詳細はわからない。しばらく出られない」という。

マンションのフロント周辺は常に騒がしい雰囲気だった
マンションのフロント周辺は常に騒がしい雰囲気だった
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中国の厳しいゼロコロナ政策と管理はよく知っていたし慌てても仕方がない……というよりも、どうしようもない。部屋に戻り、東京の本社と北京支局のスタッフに連絡し、しばし静観を決め込んだ。東京の上司は中国滞在の経験もあり、日本の常識が通用しないことはよく知っている。「しょうがない」との返事がすぐに来た。

マンションの下には多くの警備員が立っていた
マンションの下には多くの警備員が立っていた

“同志”と情報交換

私が住むマンションは日本人の住人も多いため、中国版LINE「微信」(WeChat)で作るグループでほどなく情報交換が始まった。「海外から戻ってきた居住者に感染者が出たらしい」「週いっぱい隔離が続くようだ」などの投稿があり、部屋から出られなくても情報は入る。北京の日本人社会は、当局の理不尽を同様に経験している“同志”でもある。早々に観念して中国中央テレビの朝のニュースをいつもよりゆっくり見た。

実はこの数日前、同僚が出入りしたビルから感染者が出て、その同僚は2週間の自宅隔離を命じられたばかりだった。もう一人の同僚は、私の住むマンションの様子を外から撮影して送ってきた。

マンションの下にはすぐに規制線が敷かれた
マンションの下にはすぐに規制線が敷かれた

2週間の自宅隔離の話を日本の知り合いに伝えると「えっ!それだけで2週間も!!」と驚きの返信があっただけに、中国にいる我々の感覚がいかに日本とかけ離れているか、麻痺しているがわかる。マンション側に改めて経緯を聞いたが「居住者の検査に問題があった」というだけで要領を得なかった。正確、かつ詳細な情報は入っていなかったのかもしれない。

PCR検査とその後

動きがあったのは昼頃だった。部屋の電話が鳴り、「下に来てもらえればPCR検査を受けられます」と言われた。

PCR検査はどこでも迅速に準備される
PCR検査はどこでも迅速に準備される

フロントに降りると、すでにたくさんの人々が集まっていた。中国に住む人にとってPCR検査は慣れっこである。検査後にフロントに聞くと「外に出てもいいです」と言われた。

検査後の対応について、グループチャット内には「即解放説」と「隔離継続説」の2つがあった。「脱出済です」とすぐに外に出た人がいる一方、「陰性の結果が出るまでは外に出ない方がいい」というアドバイスもあった。フロントから直接聞いた「OK」を信じて会社に向かったが、「結果待ち派」の連絡が次々に入ったことや、万が一の影響を考慮し、途中で自宅に引き返した。そして、その日の検査結果を確認して翌日から出勤、さらに数日後に再度の検査を受けて陰性を確認し、いったんは「ゼロコロナ生活」に戻った。

北京では至る所でPCR検査が行われている(4月27日撮影)
北京では至る所でPCR検査が行われている(4月27日撮影)

その後、4月末時点で、北京の市中感染者は1日に数十人のレベルながらじわじわと増加傾向にある。感染者が出た地区の封鎖や度重なるPCR検査など、その管理は厳しさを増しているのが現状だ。上海はじめ、感染拡大地域の事態の収束は見通せておらず、指導部の焦りと国民の不満は募るばかりだろう。

ただ、制限される自由にいちいち腹を立てていては中国では生きていけない。当局の措置は有無を言わさぬ「絶対」だけに、抗っても徒労に終わることがほとんどだからだ。寛容な心か、あきらめの境地か。はたまた後先を省みぬ抵抗か。中国での生活に学ぶことは多い。

【執筆:FNN北京支局長 山崎文博】

山崎文博
山崎文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。