さまざまな理由で義務教育を十分に受けられなかった人が学ぶ、九州初の公立夜間中学が4月20日、福岡市に誕生した。

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福岡きぼう中学校」。この夜間中学に入学する73歳の男性は、教育を受ける機会がなく、18歳の時まで無戸籍だった。
これまでさまざまな差別や偏見にさいなまれてきたが、いま、自らの意志で学びの扉を開く。

生まれて初めての「学校」 入学決めた73歳の胸中

法村武志さん:
物もらいというか、巡礼というか、物乞いですね、それを繰り返しながら、くまなく歩いた

法村武志さん、73歳。
終戦4年後に生まれた法村さんは、福岡市博多区の御笠川(みかさがわ)にかかる橋のそばで、6歳まで育った。

法村武志さん:
昔は、ずっと北側まで川沿いにバラックが建ってたんです。違法住宅ですね。わたしが育ったのは、その中の一軒でした

当時の御笠川は、臭気を放つほど、どぶ川の様相を呈していたという。

法村武志さん:
お袋は、昔で言うとね、お妾さんだった。だから親父の姓とお袋の姓は違うんですね。わたしが、どういう出自なのか、とうとう聞かないままだった。聞けないというか、どうやって両親が知り合ったのかも分からない

そんな両親から、生まれて間もなく育児を放棄されたという法村さん。育ててくれたのは、母親の知人の静(シズ)さんという女性だった。

生みの親の育児放棄、各地を転々…就労の機会を阻んだ“無戸籍“

福岡を離れたのは、本来であれば小学校に入学している7歳のころだ。静さんと2人で九州各地を転々とし、物乞いなどをしながら、木の板で建てた小屋で雨風をしのぐ毎日だった。
その後、青年になった法村さんが仕事を探す際、とても悩まされたことがある。それは…。

法村武志さん:
18歳まで戸籍がなかった。無戸籍というんですか…、親が出生を届け出てなかった。だから、どこで生まれて誰が育てたということを証明してくれる人がいない。
まず(仕事場で)使ってくれないですね。親の名前もありませんし。どこの馬の骨か分からない者は使ってくれない。
そんなの気にするなって言ってた人に履歴書を持っていったら「いま、ちょっと一杯になった。この次!」と言われて終わりだった

法村さんは偏見や差別を受けるたびに、子どものころ、近くに住む友だちとよく遊んでいた「濡衣塚」のことを思い出したという。

遊び場だったという「濡衣塚」の跡地
遊び場だったという「濡衣塚」の跡地

法村武志さん:
この辺が遊び場だったんですよ。ここ(濡衣塚)で遊んでいたからか、ぬれぎぬを着せられることはよくありました。何かあると、周りが、あれがやった!と

さまざまな人生経験を積んだ法村さんは、普段の会話で困ることはないが、漢字で書くことができる文字はいまも、自分の氏名だけだ。

今 夜間中学に通う理由…「自分の手で」学歴をつかむ満足感を

73歳になったいま、なぜ、夜間中学に通おうと思ったのか。理由をきくと…

法村武志さん:
それは満足感。学歴だけと言われるとそれまでなんですが、その学歴がないためにどれだけ苦労したか。それを相談する人もいなかったし、相談したところでどうにもならなかった。それ(学歴)を自分の手で取ることができる。それが一番大きいですね

育ての親の静さんにどう報告するか尋ねると…

法村武志さん:
やったばい、と言いたい。でも、やったばい、が言えないうちに亡くなってしまいましたけどね

「自主夜間中学」は福岡市と北九州市に3校 ボランティアで運営

福岡県には、今回開校する公立の夜間中学とは別に、20~30年近い歴史を持つ「自主夜間中学」がある。福岡市と北九州市に3校あり、退職した教員など市民がボランティアで運営している。
ただ、行政から自主夜間中学への金銭的な支援は、北九州市にある2つの夜間学級には最大で年間250万円、福岡市博多区の「よみかき教室」は現在、年間で30万円のみだ。ボランティアの講師の交通費や教材費が賄える程度にしかならない。

また、「よみかき教室」に通う人たちの中には、「開校するこの公立夜間中学に通いたいが足が悪くて通えない」、「月曜日から金曜まで週5日も通うのは難しい」という声も多く聞かれた。

行政にはこの公立の夜間中学を作って終わりではなく、自主的な夜間中学にもしっかりと目を向けて、さまざまな事情を抱えた人の学びを丁寧にサポートする必要もある。

法村さんは、いまは亡き静さんへの感謝の思いを胸に、生まれて初めて「学校」の門をくぐった。
さまざまな事情でいったんは止まった学びの時計。それぞれの針が教室の中で再び動き始めている。

(テレビ西日本)

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