2021年7月にプーチン大統領が発表した18ページにわたる論文『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性』には、プーチン大統領の歴史観やウクライナに対する考えが書かれている。BSフジLIVE「プライムニュース」では専門家を招き、プーチン大統領の歴史認識とウクライナ情勢の行方について読み解いた。

侵攻の“前章”だったのか 西欧と逆のプーチン史観

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新美有加キャスター:
プーチン大統領が、2021年7月に発表した論文『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性』の骨子。ロシア人とウクライナ人の一体性を主張し、ウクライナと西側諸国との関係を批判する内容。発表の7カ月後、2022年2月にウクライナ侵攻に踏み切ったこととのつながりは。

湯浅剛 上智大学教授:
思想的下準備とは位置づけられる。内容について官僚任せにしなかったことを強調しており、プーチンの頭の中を窺い知る上での題材と言える。

反町理キャスター:
これを読んで、研究者の皆さんは「これはプーチン侵攻するぞ」と思った?

湯浅剛 上智大学教授:
私自身はこの論文からは、戦争に至るまでの攻撃性を読み取れなかった。プーチンのかなり偏った歴史観が、都合のいいファクトをつなぎ合わせてまとめあげられており、「先々思いやられるな」ぐらいの感覚だった。

湯浅剛 上智大学教授
湯浅剛 上智大学教授

東野篤子 筑波大学教授:
論文の内容については、ウクライナ人も非常に反発した。ウクライナ人にとっては悪い予感がしただろうし、ヨーロッパ諸国にとっても注意すべきサインの部分はあった。だが、軍事侵攻にそのままつながるかどうかについて、議論は分かれていた。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
実は2019年9月に、EU(欧州連合)が第二次世界大戦の始まりについて議決している。

反町理キャスター:
第二次大戦は独ソ不可侵条約と密約の直後に開始され、それによって世界征服を目標とする2つの全体主義国家(ナチスドイツとスターリンのロシア)は、ヨーロッパを2つの勢力圏に分割したと。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
ロシアの歴史観はこれとは逆。ロシアは2700万人もの犠牲を払ってナチスドイツを倒し、ヨーロッパを、ユダヤ人たちを解放したと。だから、戦後ヨーロッパにおいて名誉ある地位を与えられるべきという歴史観で、EU決議がこれを真っ向から否定したという流れがあった。

東野篤子 筑波大学教授:
このデリケートな決議が可能になったのは、2014年のロシアによるクリミア占領があったため。ここでヨーロッパ諸国の対ロシア認識が非常に大きく変わり、NATO(北大西洋条約機構)も対ロシア軍事同盟という性質を強め始めた。

プーチンの都合のよい「ロシアとウクライナは一体」は無理ある話

新美有加キャスター:
ロシアとウクライナの関係について、プーチン大統領は論文冒頭で「ロシア人とウクライナ人は一つの民族であり、一体不可分」と記述。4月12日、ベラルーシのルカシェンコ大統領との会談後の共同記者会見でも同様の発言。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
ウクライナもロシアもベラルーシも、現在のキーウを中心にベラルーシからロシアにかけて存在した、古代のキエフルーシ(キエフ大公国)を起源としているということは事実。だがキエフルーシの最後の王様は、実は今のウクライナ西部の都市リビウに行った。だからこの地域の人々の歴史観は、自分たちこそがキエフルーシの正統な後継者で、プーチン大統領の一体不可分というのは全く違うということ。

湯浅剛 上智大学教授:
プーチン論文の突っ込みどころにはきりがない。例えば、ソ連の中で民族・共和国単位で70年間ウクライナが発展してきたが、その歴史を全く否定・すっ飛ばした議論をしており、かなり問題がある。

反町理キャスター:
昔の一体感を強調しながら、その後ソ連での民族自決のロジックは否定しており、都合のいいところだけをとっていると。

東野篤子 筑波大学教授:
例えば、イギリスの研究者アンドリュー・ウィルソン氏も、プーチンは一体性を強調するが、宗教も文化も言語も違う時期の方が多かった、一体だということには大変に無理があると言っている。よく「兄弟国家」と言われるが、男と男のきょうだいだとすると、なぜかいつも前提はロシアが兄でウクライナが弟扱い。しかも兄から徹底的に暴力を受け、殺されている。なぜ兄弟のロジックが成り立つのかというのが、恐らくウクライナ人の本音だと思う。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
ロシアの歴史において、非常に小さかったモスクワ公国は、ウクライナの領土を吸収するプロセスの中でヨーロッパの大国・ロシア帝国になっていく。つまりロシア人の歴史観の中で、ウクライナなしに「ヨーロッパのロシア」はない。ロシアがヨーロッパの大国として名誉ある地位を獲得するには、ウクライナが絶対に必要。

反町理キャスター:
するとプーチン大統領は、ロシアはユーラシアというよりヨーロッパの大国であり、そこに重きを置くからウクライナの首を押さえようとする。長らくアジアシフトということを言っていたが。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
米中対立が深刻化し、世界の中心がインド太平洋に移る中でも、ロシアの欧州中心主義はなかなか変わらないという議論が専門家の中にもある。

東野篤子 筑波大学教授:
EUやNATOが関係構築についてどのような提案をしても、全部ロシアのお気には召さなかった。もっとロシアの思う通りの秩序にせよと。でも、EUとNATOには自分たちを崩す動機もない。ロシアとしては、東欧諸国の自分の家臣たちがどんどんEUとNATOのシステムに入っていくことが非常に気に入らなかった。ヨーロッパに対する志向性との間での矛盾をずっと抱えていたのだと思う。

「アンチ・ロシア」に怒るプーチンが、歴史にばかり関心を示す危険

新美美加キャスター:
プーチン大統領が論文に記したウクライナや西側諸国のアンチ・ロシアに対する批評では「ウクライナはロシア帝国とソ連の一部であった時期について、占領されていたかのごとく語り始めた」「アメリカとEU諸国はウクライナに対し、ロシアとの経済協力を縮小制限させようと、計画的で必要な働きかけを行っていた」と非常に憤慨している。

東野篤子 筑波大学教授:
2013年にウクライナの2つ前の政権が、EUとの間で経済連合協定を作ろうと交渉していたが、プーチン大統領がそれに対して、ユーラシア経済連合の考え方と合わないからどちらかを取れと言った。その後、EUとロシアとウクライナは必ず3者で話し合おうとなったのだが、それも先細りになった。また仲間外れにされたというルサンチマンはある。

東野篤子 筑波大学教授
東野篤子 筑波大学教授

反町理キャスター:
プーチンは論文に、そうした積年の恨みを書き連ねているような。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
そもそも軍事侵攻自体、正当化できるものではないが、なぜプーチンがここに至ったのかという議論をするなら、歴史の問題が特にここ数年、プーチンにとって非常に大切な問題になっている。ほとんど他のことには関心がないのではというほど。

反町理キャスター:
歴史家が過去を振り返って論文を書くのと違い、実際の権力を握る一国の元首が、歴史において自ら感じる歪みを修正することに政治的なエネルギーを投入するというのはいかがなものか。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員
畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
そうなんです。本来、歴史家が政治をやってはいけない。現在のリアリティーからかけ離れた判断をしてしまう。今回起こったのがまさにそういうことなのでは。

湯浅剛 上智大学教授:
政治的決着はソ連が解体した時点で、もうついていたと捉えるべき。プーチンは彼独自のプーチン史観に固執するような形で政策判断を誤っている。

ミンスク合意は論文で評価されるも、その段階にはもう戻れない

新美美加キャスター:
プーチン大統領は、今回のウクライナ侵攻をどういう形で終結させようとしているのか、出口戦略について。論文には「ミンスク合意に代わるものはないと確信している」と書いてあるが、東部の2つの地域ドネツク・ルハンスクの自治権は落としどころになるか。

畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員:
現時点ではもう無理。論文の状況は既に離れている。そもそもこの論文は、2021年に入ってウクライナのゼレンスキー大統領が「ミンスク合意を履行できない、変えないと交渉を続けられない」という発言をしていた中で出てきたもの。今回、ロシアはドネツク・ルハンスクを独立国家として承認してしまっている。ミンスク合意まで戻れば、プーチンはなぜ軍事作戦をやったのだという話になり、負けを認めることになる。

湯浅剛 上智大学教授:
私ももうないと思う。ウクライナ側も自分たちの安全保障を要求する一方で、クリミアやドネツク・ルハンスクは合意の外の問題だと言っており、全く話がかみ合っていない状態。近いうちに何かしらの合意があることは考えられないと言ってよい。

東野篤子 筑波大学教授:
ウクライナ側からすれば、ミンスク合意の大前提である停戦もしてくれないし、国境管理権も戻してくれないから、そもそも合意を履行するような条件が整っていないということだった。フランスやドイツがウクライナの妥協に乗り出してきたタイミングで、プーチン大統領がドネツク・ルハンスクの両人民共和国の独立に向けて動き出し、潰してしまった。私もミンスク合意にはもう戻れないと思う。

BSフジLIVE「プライムニュース」4月14日放送