大相撲春場所(大阪場所)が27日、千秋楽を迎えた。大阪で観客を入れての開催は3年ぶりのことだそうだ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、2020年は無観客での開催、2021年は東京での開催となった。大阪の好角家も久しぶりに実際の取組を間近で見ることができて、相撲の面白さを堪能したことだろう。

大阪は意外に大相撲と縁が深い。相撲部屋や力士たちのパトロンを「タニマチ」と呼ぶが、これは大阪市南区(現・中央区)谷町の医者が明治時代に力士たちの面倒を見たことが語源になっているというのが有力な説の一つらしい。大阪人も大相撲が大好きなのだ。

鉄道に対する出版社の自信と熱気

さて、土俵の上ばかりに目を奪われがちになるが、これだけの大イベントを2カ月に1回、15日に渡ってつつがなく成功させるのは、当然のように見えて実は並大抵のことではない。

そこで大相撲の側面を記した本を読んでみたいと思い色々探していると、『大相撲と鉄道 きっぷも座席も行司が仕切る!?』(木村銀治郎著・交通新聞社)という本を見つけ出した。切り口が面白い。

大相撲と鉄道――あまり関係なさそうだが、ちょっと考えてみると大いに関係があることが分かる。大阪・名古屋・九州で行われる地方場所では移動に鉄道が使われるし、地方巡業もまたしかりである。出版社が時刻表を発行している交通新聞社というのも面白い。
インターネットの路線検索サービスの普及で本の時刻表の需要は減っているだろうが(以前ならどこのオフィスにも必ず最新の時刻表があった)、鉄道マニア、鉄ちゃんには便利さよりも本の時刻表だろう……そう思いながら本の帯に目をやると、「鉄道 × 異業種 魅惑のコラボレーション!」『プロ野球と鉄道』『競馬と鉄道』『オリンピックと鉄道』といった既刊書のキャッチコピーとタイトルが飛び込んできた。
さらに本のそでを見ると、『相鉄はなぜかっこよくなったのか』というタイトルの新書も出ている。迷わずきっぱりと主観を前面に押し出しているのがいい。電車のデザインの賞を立て続けに取ったのか、あるいはそれが鉄ちゃんの共通認識なのか。とにかく、鉄道に対する自信と熱気を感じさせる出版社である。

“鉄ちゃん”行司が記す「輸送」の舞台裏

著者は木村銀治郎氏。その姓で想像できるように現役の行司(幕内格行司)である。そして鉄ちゃんである。

相撲が好きで鉄道が好きだという人間には、大相撲の行司という職業は天職というべきもので、つねに相撲とともに生活するし(行司もまた相撲部屋に所属している)、タイトルの通り「切符も座席も行司が仕切る」のである。そう、土俵に上がって軍配を返すだけが行司の仕事ではない。番付表や国技館の四股名掲示板などに見られる相撲文字を書くことも行司も仕事で、「行司は習字」といわれるほど大切な仕事らしい。あの字を書くにはかなりの習練が必要だろう。ほかにも、場内アナウンス、土俵祭りの祭主、取組や番付の編成会議の書記(まさかこれは相撲文字では書いてないだろうが)、取組・勝負に関わる全記録の作成、地方場所の経理補佐、所属部屋にあっては後援会との連絡、冠婚葬祭の案内・礼状、イベントやパーティーの受付・司会進行と、なかなか大忙しなのである。

そして最もハードで神経を使うのが、輸送と巡業時の宿泊の手配らしい。とにかく人数が半端でない。生徒の修学旅行ならば生徒と引率教師の区別だけを考えればいいかもしれないが、いうまでもなく大相撲は厳しい階級社会である。番付が違えば待遇も違う。複雑さが想像できるだろうか。

力士はあれだけ大きな身体だから、列車や飛行機の乗る時には2席を使うものだと勝手に思い込んでいたが、そうではないらしい。グリーン車に乗る十両以上の関取は別として、幕下以下は普通車で1人1シートなのだそうだ。ただ、別途少人数での移動の場合は、3人掛けのA席とC席を予約するらしい。しかも真ん中のB席が空席であるのを確認した上でだ。B席は最も人気のない席で、よほどの混雑でない限り、B席に乗客がやってくることはまずないそうだ。
また、JR東海とJR西日本への手配、打ち合わせも実に念入りに行われている。大相撲の年間スケジュールが確定したのちの毎年1月にはこの2社に報告、さらに切符の手配は地方場所開催時期の約9カ月前に行うという。その後も随時乗車人数の修正など密に連絡を取り合う。鉄道好きでないとできない作業だ。

乗車日の5日程前になると、購入した団体乗車券、座席札、座席表図面、団体旅客乗車票(例えば新大阪駅下車後、在来線に乗り換えて大阪市内のJR各駅まで利用できるきっぷ)が、私の手元に届きます。ただちに、しかし入念に自分が発注した内容と相違がないかを確認します。

そしてゲルマン人の大移動ならぬ、“力士大移動”の当日を迎える。力士たちが指定の集合場所を間違えていないか、荷物を駅構内に放置したままにしていないか、黄色い点字ブロックに荷物を置いていないかなど、とにかく何百人もの巨漢の力士たちが集まるわけだから、他の乗降客に対する気の遣いようは相当なものだ。
団体改札口が開くと、力士たちに所属部屋と四股名を一人ずつ申し出てもらい、それを確認して座席札と団体旅客乗車票を手渡す。列車がホームに入ったら、輸送係の一人が車掌のところに出向き、「日本相撲協会です。お世話になります」と挨拶し、諸々の確認をすませるのである。
本質は細部に宿る。礼節を重んじる相撲道はこういう場面でも発揮されるのである。

元大関・琴欧洲が「B席」に

さてこの中で、著者はブルガリア出身の元大関・琴欧州(現・鳴戸親方)のエピソードを紹介している。

入門したての彼は、ケガをして松葉杖で改札口にやってきた。座席券係だった著者は気をきかして2人掛けの通路側であるD席の座席券を手渡したのだが、乗車後、車内を見回りに行った著者は、彼が3人掛けの真ん中のB席に座らされているのを発見する。誰もが最も座りたくない席である。しかも琴欧州はまだ細身だったが、両隣の力士は完全な力士体形である。どうやら先輩力士に席を替われといわれたらしい。松葉杖を網棚に置き、窮屈そうに顔をしかめている。足のケガもあり、これではトイレに行くこともできないだろうと著者はその時思ったそうだ。
最近、鳴戸親方とその出来事について話す機会があった。親方いわく、「(あの時は)悔しくて腹が立って、絶対この人たちより強くなってやろうと心に誓った」。封建的で不条理な上下関係も、時に若者を発奮させる効果があるらしい。

ほかにも、著者が所属する峰崎部屋の峰崎親方(元幕内・三杉磯)と著者との対談も面白い。偶然にも峰崎親方も鉄っちゃんなのである。HOゲージという鉄道模型好きで、よく銀座の天賞堂(鉄道模型を扱う老舗)に通っていたという。また陣幕親方(元幕内・富士乃真)も「鉄」らしい。対談では昔を懐かしむくだりで、貸し切りの相撲列車のなかで麻雀がよく行われていたというエピソードが明かされている。

銀「通路を挟んで4人が座るんですよ。」
峰「4つの腰掛に棒を渡して、半分に折れる板を広げて、その上にマットを敷いて。通路で麻雀をやってるせいで、トイレに行けないんだよ。板をくぐっていくと「てめーこの野郎!」って蹴っ飛ばされる。だから、網棚通って(笑)。昔だから、金網じゃなくて紐の網棚だよ。(中略)(タバコもみんな ※評者注)吸う吸う。麻雀は一車両に3、4組あったよね。ふっふっふ。」

まったくの無政府状態であるが、面白そうでもある。

さて、先に「十両以上はグリーン車」だと書いたが、他に親方、幕内格以上の行司(著者はこれにあたる)、幕内以上呼び出し、特等床山と勤続40年以上の一等床山の人々もグリーン車に乗車する。親方はともかく、裏方の人々も意外に優遇されているようだ。

そこで気になって、はしたないことだとは思いながら、行司の給与をネットで調べてみた。
いくつかのサイトで行司の年収が記されてあったが、横綱格の木村庄之助・式守伊之助の立行司は、諸手当込みで年収1300万円前後らしい。悪くない、という以上にかなりの好待遇ではないだろうか。ただし諸手当の中には「衣装代」も含まれている。立行司のあの衣装は、金糸銀糸を惜しげもなく使ってかなり高そうだが……素人には想像すらつかない。
入門したての給与は手当込みで月額10万円ほどなのでさすがに安いが、部屋に住み込み、衣食住にほとんど支出がないことを考えると、これもまずまずではないだろうか。
行司の定員は45人。そのうち2人が立行司だから、決して手の届かない地位でもなさそうだ。それに勝手な思い込みかもしれないが、力士とは違って、何となく年功序列で順繰りに昇進していく世界のような気もする。

大相撲の世界は確かに「相撲部屋」という「家」中心の封建制を色濃く残しているが、一方で「家」中心だからこそ、家族である裏方、縁の下の力持ちにまで配慮が行き渡っているのではなかろうか。
スポーツでは見られない、静かに流れる仕切りの時間。しかしその時間は徐々に盛り上がりを見せていく。そして土俵上での激しい戦いが終わり、優勝力士が決まり場所を終えると、大相撲の世界は、ちばてつやが描いた『のたり松太郎』で点綴される静謐な日常へと戻っていくのである。大相撲を観る人々は、ただの勝ち負けだけでなく、そういった雰囲気を味わい、封建的だが古く懐かしい家族の風景に、知らず知らずのうちに浸っているのである。

【執筆:赤井三尋(作家)】

『大相撲と鉄道 きっぷも座席も行司が仕切る!?』(木村銀治郎著/イラスト:能町みね子/交通新聞社)

赤井三尋
赤井三尋

本名・網昭弘 早稲田大学政治経済学部卒業後、ニッポン放送に入社。2003年『翳りゆく夏』で第49回江戸川乱歩賞受賞。2006年フジテレビジョン報道局へ転籍。
【著書】
『翳りゆく夏』( 講談社文庫)
『どこかの街の片隅で』( 単行本・講談社 改題して『花曇り』講談社文庫)
『2022年の影』(単行本・扶桑社 改題して『バベルの末裔』講談社文庫))
『月と詐欺師』( 単行本・講談社 講談社文庫【上・下】)
『ジャズと落語とワン公と 天才!トドロキ教授の事件簿』(単行本・講談社 改題して『面影はこの胸に』講談社文庫)
【テレビドラマ】
翳りゆく夏(2015年1月18日 ~(全5回) WOWOW「連続ドラマW」主演:渡部篤郎)