長崎市の城山小学校にある「嘉代子桜」。長崎に投下された原子爆弾で命を奪われた娘を偲んで母親が贈ったものだ。この桜に込めた平和への思いを全国に届ける取り組みが続いている。

娘が大好きだった桜 植樹から73年

2022年1月、長崎市の爆心地公園に2本の桜の苗木が植えられた。「嘉代子桜」と呼ばれているソメイヨシノだ。

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被爆者・本田魂さん(78):
できるだけ大きく育って、人の目に留まるような立派な幹になれば

嘉代子桜の2世に当たる苗木。被爆者の本田魂さんは、嘉代子桜を次の世代に残す取り組みを中心となって進めている。

被爆者・本田魂さん(78):
ただ桜を見るのではなく、なんで嘉代子桜と言われるのか理解してもらえば、平和のためにつながると思う

嘉代子桜は長崎市の城山小学校のグラウンドにある。春には子どもたちを見守るように花を咲かせる。

爆心地から約500メートルの場所にあった旧城山国民学校は当時、三菱兵器製作所の事務室として使われていた。1945年8月9日に投下された原爆によって、児童や教職員、学徒動員されていた女学生など1500人以上の命が奪われた。

学徒報国隊として動員され、校舎にいた林嘉代子さん(当時15歳)もその一人だった。

娘を偲び、母・津恵さんが学校に贈ったのが、嘉代子さんが大好きだった桜だ。以来、長崎の平和のシンボルとして親しまれているが、2022年で植樹から73年となり、ソメイヨシノの寿命とされる70年を超えた。

50本あった桜が6本に…苗木を全国へ

「嘉代子桜がなくなってしまうかもしれない」。城山小の卒業生でつくる原爆殉難者慰霊会の会長でもある本田さんは、危機感を抱いた。

被爆者・本田魂さん(78):
今、残っているのは6本。それもほとんど腐れたり、シロアリが入ったり。いつまであるかという状況ですから

50本植えられていた嘉代子桜は、台風やシロアリによる被害で今では6本を残すだけだ。本田さんは2年ほど前に樹木医に相談し、残る6本の嘉代子桜から接ぎ木する方法で2世の苗木、100本を育てた。

被爆者・本田魂さん(78):
嘉代子桜を残したいという気持ち

この日は県外の自治体などに発送する苗木を収穫した。本田さんは嘉代子桜を残すだけでなく、桜に込められた平和への思いを全国に広げたいと考えている。

被爆者・本田魂さん(78):
伸びるのが早い。早く移してあげたかったけど、コロナでこんな状況だから

新型コロナウイルスの影響で計画が1年延期になり、2メートルを超えるまでに成長した苗木もある。本田さんの本職は屋根工事だが、成長した苗木の発送作業は一苦労だ。

被爆者・本田魂さん(78):
こんなことやったことない。初めてのこと

32本の苗木は東京・国分寺市など「日本非核宣言自治体協議会」に加盟している全国の16の自治体に2本づつ贈った。

被爆者・本田魂さん(78):
長崎でも本当に原爆を知っている人は、ほとんどいなくなってしまった。どうして「嘉代子桜」があるのか、原爆の恐ろしさを全国の人に分かってもらえれば

春になると城山小学校のグラウンドで、子どもたちを見守るように花を咲かせる嘉代子桜が今、全国に広がっていく。

(テレビ長崎)

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