ロシア軍のウクライナへの侵攻に関する欧米の報道をモニターしていて、筆者が大きく心を動かされた記事・報道を二つ紹介する。

“装甲車”の前に、1人の人物が身を投げ出す

最初はイギリス・ガーディアン紙で見つけたもので、タイトルを訳せば「ウクライナの“戦車男”がロシア軍コンボイを阻止しようとするビデオがバズる」(Video of Ukrainian ‘tank man’ trying to block Russian military convoy goes viral )であろうか。

ロシアがウクライナに侵攻(2月25日)
ロシアがウクライナに侵攻(2月25日)
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ガーディアン紙によれば、そのビデオとはウクライナの通信社HB社が配信したもので、撮影の正確な場所や日時は不明だが、ウクライナの何処かと思われる道を進むロシア軍の装甲車両と思われる車列の前に、ウクライナ人と思われる人物が一人身を投げ出し、侵攻を阻止しようとするものだ。

長さは凡そ30秒。撮影者も不明で、行く手を阻まれたロシア軍の装甲車は迂回し、すぐにこの人物の脇を過ぎ去るのだが、ガーディアン紙は中国で89年に起きた天安門事件の時に戦車の前に立ちはだかった男性になぞらえ、ウクライナの“戦車男”(tank man)と表し、その勇気を讃えている。

筆者には真偽の確認もできないが、ガーディアン紙は装甲車両の車体に罹れた“Z”の文字はウクライナ国境周辺に集結したロシア軍の車両に書かれたものと同じだと報じている。

ガーディアン紙のウェブは無料で閲覧できる。英文のタイトルで検索すればこの記事とビデオはすぐに見つかる筈である。

女性ジャーナリストが首都キエフで執筆

もう一つはアメリカのワシントン・ポスト紙ウェブ版に現地25日に掲載されたオピニオン記事・意見広告である。

タイトルを訳せば「プーチンのウクライナ侵攻作戦の最も皮肉な巡り合わせ」(The saddest irony of Putin’s war on Ukraine;by Nataliya Gumenyuk)であろうか。

ウクライナの女性ジャーナリストが今まさにロシア軍の攻勢にさらされている首都・キエフで執筆したもので、「ロシア人とウクライナ人は互いを大変よく理解している。これこそが、人の道に外れた不必要な戦争の最大にして最も悲しい皮肉な巡りあわせであろう」という指摘から始まる。

首都キエフに攻撃(2月25日)
首都キエフに攻撃(2月25日)

そして、記事は、両国民は互いのメンタリティー、言葉を理解し、ソビエト時代の歴史を共有していて、女史のロシア人の同僚のジャーナリスト達からは、ロシア政府の悪行に対する謝罪のメッセージが殺到しているという。

また、イギリスのテレビ・レポーターからの「キエフで略奪が起きていないか?」という質問に女史は苛立ち、この質問はウクライナ人の精神状態の根本をきちんと理解していないからだと指摘し、ウクライナの店はオープンしているし、病院は診療を続けて病人やけが人を治療し、消防士は爆撃の恐れがあるにも拘らず任務を継続している。郵便局は配達を休まず、鉄道も運行し東部の前線からの避難民を運んでいる。確かにATMに行列は出来ているが、人々は尊厳を維持し、ユーモアさえ忘れずに並んでいる。輸血や軍への志願の手続きの為の行列はもっと長い、と記している。

その上で、女史は宣言する。

「プーチンにとって民主主義は混とんを意味する。彼は我々の国が失敗した国家だという濡れ衣を着せようと必死だ。我々は彼が間違っていることを証明する決意でいる」と。

「クレムリンはウクライナを分断して征服し不安定化させようとしているが、プーチンがごり押しをすればする程、ウクライナは団結する。我々は全力で抵抗する」と。

軍事作戦を決断したロシア・プーチン大統領
軍事作戦を決断したロシア・プーチン大統領

同時に「誤解しないで欲しい。ウクライナの人々が恐れを感じていないわけではない」と女史は正直でもある。しかし、ウクライナの抵抗は「狂気と憎悪、軍事力によって支配される世界を我々が受け入れるつもりがないことを示すものでもあるのだ」と高らかに宣言し、記事を終えている。

首都・キエフがロシア軍に蹂躙されるのは時間の問題という見方が大勢である。そうした中でも示された、ビデオが本物ならばだが、“戦車男”の勇気と、この女史が記す崇高な精神・心意気に、筆者も最大限の敬意を表するとともに、これらが打ち砕かれることのないよう願っている。

ワシントン・ポスト紙の記事は無料で閲覧できる本数は極めて限定的だが、ネットで検索してみる価値はあるかもしれない。

このいずれの記事も許可を得て、この稿で触れている訳ではない。ロシアによるウクライナ進行中という非常時でもあり、報道引用の一環と御理解頂きたい。

【執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎】

二関吉郎
二関吉郎

生涯“一記者"がモットー
フジテレビ報道局解説委員。1989年ロンドン特派員としてベルリンの壁崩壊・湾岸戦争・ソビエト崩壊・中東和平合意等を取材。1999年ワシントン支局長として911テロ、アフガン戦争・イラク戦争に遭遇し取材にあたった。その後、フジテレビ報道局外信部長・社会部長などを歴任。東日本大震災では、取材部門を指揮した。 ヨーロッパ統括担当局長を経て現職。