異例ずくめの北京五輪は開会式も異例だった。2月4日の開会式は現地時間午後8時(以下、全て現地時間)から2時間強。拘束時間は昼前から夜中の2時過ぎまで。延々15時間に及ぶ当局との時間は驚きの連続であった。

開会式のチケット 一般には販売されなかった
開会式のチケット 一般には販売されなかった
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満腹で、でも食べ過ぎず…

集合時間の午前11時半に指定された場所に到着すると、中国外務省の担当者があわただしく動いていた。何より新型コロナウイルス対策が第一だ。携帯電話に登録された健康コードのチェック、行動履歴、複数のPCR検査の結果。海外メディアの参加者を次々にチェックしてバスに乗せていく。

集合場所のホテル 空は晴れ渡っていた
集合場所のホテル 空は晴れ渡っていた

参加者で作る中国版のLINE(微信)には数日前、「満腹で来てください。でもあまり食べすぎずに・・」という連絡があったが、現場にその大らかさはなく「午後0時半までに着かないとダメなんだよ!」という担当者の怒号交じりの声が飛んでいた。思えば当局の方も必死だったのだろう。

事前の連絡には「お腹いっぱいで、でも食べ過ぎず・・」
事前の連絡には「お腹いっぱいで、でも食べ過ぎず・・」

コロナ対策でバスを乗り換え

「午後0時半までに着く」場所というのは市内にある大きな公園だった。ここでバスを乗り換えるという。ここからの持ち物は携帯電話と充電器のみ。他のものは全て1台目のバスに置いていくよう求められた。乗り換える理由を後で担当者に聞くと「綺麗なバスで行くためだ。コロナは少し関係がある」という答えだった。おそらく習近平国家主席が多くの観衆の前に出てくる久々の機会だけに、消毒したバスを使う必要があったのだろう。実際公園には、会場に向かう大型のバスがずらりと並んでいた。

乗り換え場所には多くのバスが並んでいた
乗り換え場所には多くのバスが並んでいた

日本大使館関係者によると、大会に出場する選手らが乗ってきた飛行機の機体も消毒の対象になっているという。高度数千メートルを飛び、およそ人が触るとは思えない飛行機の機体をなぜ消毒するのか、いまだに理解が出来ない。

相次ぐ検査と赤いマスク

公園での手続きは顔認証、手荷物検査と続いた。携帯電話で撮影していたカメラマンは担当者から時々厳しい声で「ここは撮るな」と言われた。検査を終えて新しいバスに乗り込むと会場に入るための証明書と軽食、マスクが配布された。

ずらりと並ぶ手荷物検査
ずらりと並ぶ手荷物検査
配布された軽食 種類は多かった
配布された軽食 種類は多かった

軽食はパンにカステラ、ビーフジャーキー、ナッツ。飲み物は水とヨーグルトドリンク。それほど期待はしていなかったがありがたいのには変わりない。

ここで待つこと2時間。午後3時になってようやくバスは出発した。それほどスピードは出さないが、信号待ちはなく、スムースに鳥の巣近くに到着・・かと思いきや、途中で鳥の巣から遠ざかり、これまた近くの公園に停車した。ここから歩いて鳥の巣に向かうという。距離にして4~5キロ。会場周辺にバスを置くことが出来ないためだろう。

当局がN95だと言って渡されたマスクを着ける。赤と青の2種類。お祭りに参加するという意識も手伝ってか、少しは中国に配慮しようというためか、赤のマスクをする人が圧倒的に多かった。私も赤のマスクを着けた。

全員が当局が配布したマスクの着用を義務付けられた
全員が当局が配布したマスクの着用を義務付けられた

1時間の徒歩移動、多くのボランティア

連なるバスを横目に歩みを進め始めた。沿道にはボランティアの人たちが数メートルおきに立ち、我々に声をかけてくれる。

連なるバスを横目に歩いて鳥の巣に向かう
連なるバスを横目に歩いて鳥の巣に向かう
道中、ボランティアが声かかけてくれた
道中、ボランティアが声かかけてくれた

旧正月の最中ということもあって「あけましておめでとう」が一言目。次が「ようこそ開幕式へ」。気温が零下になる中、ずっと手を振り続ける彼らの笑顔に癒されたが、全長5キロの道のり全てに人がいるのは異色の光景だ。

「明けましておめでとう!」「ようこそ開幕式へ!」最初は心地よく感じた言葉も、何度も繰り返されると「これは彼らの自発的な声なのだろうか」と勘繰ってしまった。中国で様々な取材をしてきたことによる悪い癖、穿った見方かもしれない。

団体旅行客さながらの風情で歩くこと1時間、ようやく鳥の巣に到着した。顔認証と手荷物検査を改めて受け、鳥の巣の中に入ったのは午後4時半過ぎだった。

極寒のひととき

席は1人おきで空席が目立つ。チケットが一般に販売されていないのだから仕方ないが、私よりよっぽど行きたかった人もいただろうに、との思いを新たにする。

鳥の巣周辺の様子 警備のせいで人は少ない
鳥の巣周辺の様子 警備のせいで人は少ない

時間は午後5時。開会式は午後8時からなので待つこと3時間。とにかく寒くて仕方ないが我慢するハラを決めた。どのみち逃げられない。もとい、歴史に立ち会える貴重な機会である。気温はマイナス6度であった。どのような寒さかというと、翌日まで手足に残る寒さであった。実際に残っていたのか、意識の問題かはともかく、同行したカメラマンも認識は同じであった。文字通り下から忍び寄る寒さは筆舌に尽くしがたい。

2時間余りの式を終えてもすぐには出られない。指導部ら幹部が出た後、我々の順番は最後の方だ。1時間程度待たされ、来た道を戻って解放されたのは午前2時。待機から解放まで15時間あまりの長い長い1日であった。

開会式終了後の鳥の巣
開会式終了後の鳥の巣

2008年との違い

私は幸運なことに、2008年の夏の北京大会にも立ち会うことが出来た。あくまで個人的な感覚でしかないが、当時の中国には大らかさがあった。警備は今と同様に厳しかったが、五輪を開催できる国になったという喜びと、主要国に追いつこうという熱が市民から感じられた。今はアメリカと肩を並べる大国になったという市民の自信と、規則に縛られる肩身の狭さを痛感する。

取材の際には当局がそばにいることも多い
取材の際には当局がそばにいることも多い
鳥の巣周辺の警備も厳しかった
鳥の巣周辺の警備も厳しかった

技術が発展し、より便利な社会になったことで、特に都市部での生活には余裕が出来た。一方で監視は強化され、個々の裁量がなくなるシステムにはかつての寛容さはない。不自由だといっていい。

この五輪を経て中国はさらにどう変わっていくのだろうか。

【執筆:FNN北京支局長 山崎文博】