長野・佐久市の駅前にあるラーメン店。「満州」での記憶を頼りに初代が編み出したスープに、2代目が考案した特製の「頓珍肉」(トンチンロー)の入ったラーメンが名物だ。
コロナ禍の今は、2代目の妻と3代目が味と店を守っている。
名物の「とんちんめん」…70年の歴史詰まったラーメン
この記事の画像(15枚)丼を差し出すコック帽の男性。これが、JR小海線・中込駅前にあるラーメン店「頓珍館」(とんちんかん)の目印だ。
名物は厚めの豚肉がたっぷり入った、その名も「とんちんめん」。(税込900円)
3代目・井出昌之さん:
はいどうぞ、とんちんめんの大盛り、お待たせしました
客:
おいしいです、変わらない味で
3代目の店主・井出昌之さん(54)と、今も厨房に立ち続ける母・芙美子さん(83)が営んでいる。
母・芙美子さん:
たかがラーメン屋、されどラーメン屋
2人は70年の歴史が詰まった一杯を作り続けている。
戦後、中国から引き揚げた初代が開業
店の前身は、戦後間もない昭和22年(1947)にオープンした喫茶店「ステーションハウス」。
旧満州(現在の中国東北部)から引き揚げてきた初代・武雄さんが中込駅前で開業した。
母・芙美子さん:
最初はあんパンくらいで、ケーキとかそんなものはなく、統制販売で甘味が控えられてたので、みんな甘いものを求めて来てくださった
食糧統制が解除されて近くに甘味処が増えると、初代・武雄さんは店を食堂に転換した。
スープは「満州」で食べた料理をヒントに…
武雄さんは「満州」で新聞記者をしていたそうで、その当時 食べた料理をヒントにラーメンを作った。スープの作り方、味は今も受け継がれている。
母・芙美子さん:
父親と母親が引揚者で、「満州」で覚えたスープをヒントに作ったもの。ずっとこのスープでやってる。割とあっさりしてる、あまりしつこくない
2代目はアイデアマン…看板メニュー「頓珍肉」を考案
店は区画整理や商店街の近代化事業で、1980年に現在の場所に移転。同時に2代目・国建さんが、もっと親しまれるようにと店名を「頓珍館」に変えた。
国建さんは芙美子さんとの結婚を機に、27歳で店に入った。それまでは都内でデザイン関係の仕事をしていて、あのイラストも国建さんが自分自身を描いたものだという。
アイデアマンの国建さん。「看板メニュー」にと、豚肉の調理を研究した。黒豚のばら肉をゆでて脂分を落としてから、しょうゆ・みりん・ショウガで少し甘めに煮込む。最後にうま味を閉じ込めるため急速冷凍。
これが国建さんが2年かけて考案し、1983年に製法特許も取った「頓珍肉」(トンチンロー)だ。
母・芙美子さん:
煮たままだと固いもんですから、いったんフリーザーで冷凍して。柔らかいです。あまり薄くは切れない。けっこう分厚い肉になる
「満州」をルーツに持つスープに、特製の「頓珍肉」の入った「とんちんめん」は、今も一番人気だ。
客:
久しぶりに食べたくなったので来ました。チャーシューがほろほろで柔らかい
お客とのコミュニケーションを大切に…
主に接客を担当していた国建さんは2014年に亡くなった。
母・芙美子さん:
うちの主人が、とにかくお客さんを「1日1人、うちのお客さんにする」と。それにはコミュニケーションをとって、少しでも声かければ通じるものもあるし、暇なときは話しかけたりして
小諸市から来店:
先代のお父さんの頃からのお付き合いで、何十年も「とんちんめん」のファンです
3代目「先代・先々代が培ったものを大切に…」
3代目の昌之さんは美術の専門学校に行っていたが、芙美子さんが体調を崩したのを機に店に入った。以来30年、3代続く味を守っている。
(Q.74年の重みは?)
3代目・井出昌之さん:
非常に責任が重い、押しつぶされそうです。74年続いているもので歴史ある店ですし、そういう付加価値はなかなか作れないので大事にしたい
新幹線が開業してから駅前は寂しくなり、今はコロナ禍。売上は3割ほど落ちているが、親子が力を合わせて店を守っている。
母・芙美子さん:
(頓珍館は)生きがいとして支えてくれた店だと思って頑張ってきました。足腰立って動ける限り、先は短いけど
3代目・井出昌之さん:
淡々と先代・先々代が培ってきた商品を大切にしつつ、お客さまに癒しや団らんを与えて、憩いの場を提供していければいいかな
(長野放送)