2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオに当時41歳の男が侵入し、ガソリンで放火した事件では、36人が死亡し、33人が重軽傷を負う、国内では過去に例を見ない大惨事となりました。

この事件を巡っては、実名報道の是非が各方面で議論されました。あれから1年、FNNプライムオンラインでは、実名報道の問題点を指摘する弁護士、実名報道で結果的に二次被害を受けた被害者遺族など、さまざまな立場の人たちに話を聞き、実名報道を考えていきます。

事件・事故の取材では、警察が被害者の情報を公表しないと、基本的には私たちは被害者を知ることはできません。警察の広報だけでなく被害者や遺族への取材も積み重ねることで、事件・事故の真相により深く迫る報道ができます。そのことが同じ被害を出さないための注意喚起になることもありますし、法律を見直すことにつながることもあります。

しかし、実名報道に対する風当たりは強くなっています。いったい実名報道の何が批判されるのでしょうか。

第1回は犯罪被害者支援弁護士フォーラムの事務局長、髙橋正人弁護士です。被害者の刑事裁判の参加を支援したり、加害者への賠償請求を支援したりと被害者の権利を守ろうという立場から弁護活動を行う弁護士の集まりの代表です。実名報道については被害者擁護の立場から問題点を指摘されています。

過熱取材・メディアスクラムがもたらす二次被害

髙橋正人弁護士

ーー実名報道の何がいけないのでしょうか?

メディアスクラムです。ピンポン、ピンポンと被害者の自宅周辺を辺り構わず鳴らしてくる、そういったメディアの取材手法が問題です。
実名から自宅を割り出し、遺族の家に何度もやってくる。1社ではない。何社もの報道関係者が大挙してやってくる。メディアには取材は、1週間は待って下さいと言いたい。

ーー被害者遺族が迷惑をした実際の例を教えてください

2016年の軽井沢スキーバス事故です。遺族の何人かの弁護士を務めました。依頼があったとき、すぐ遺族の家にかけつけ、メディアの取材をとめました。代わりに紙でコメントをだしました。

しかし、弁護士をつけていなかった遺族もいました。そんな遺族の1人が千葉市内のマンションに居住していて、そのことはメディアも突き止めました。しかし、部屋がわからない。メディアの中にはすべての部屋の呼び出しベルを鳴らしてまわった記者がいました。

たまたま遺族は在宅していなかったのですが、後日、その事実を知り、各家を一軒一軒、まわって謝罪をされたそうです。お子さんを亡くされて悲しみに打ちひしがれているときに、なぜこのようなことまでご遺族がしなければならないのか、それは誰がそうさせているのか、メディアには良く考えて欲しいと思います。 

2016年1月15日 軽井沢スキーバス事故

犯罪被害者等基本法が制定されたのは2004年。それを受けて翌年から犯罪被害者等基本計画検討会が開かれ、メディアの代表も出席して、報道の自由と被害者保護について、熱い議論が闘わされました。あれから、10年以上がたっているのに、いまだにメディアスクラムがおさまらないのです。

被害者の名前を報道されると、死者を静かに送り出すことができなくなるだけでなく、ひどいときには殺された被害者にも落ち度があるかのような詮索をされたりもします。

2016年3月15日 軽井沢スキーバス事故で会見する髙橋弁護士

1999年の桶川ストーカー事件もひどかった。被害者の家のまわりを24時間、メディアに取り囲まれる。ずっとカメラを向けられる。近所の人が使っている駐車場までメディアの車が占拠したこともあったのです。

負担にならない限り、取材に応じたほうがいい、ただし…「葬儀が終わる1週間は、最低限待ってほしい」

ーーあの事件では被害女性について興味本位な記事が出ていました。事実ではないものが出回り問題になったと思います。そういうことを防ぐ意味でも被害者側の言い分を取材して伝えることは重要ではないでしょうか。

だからこそ、葬儀が終わる1週間は、最低限待ってほしいのです。メディアスクラムを受けた被害者遺族は、最初からメディアを信用しなくなります。一旦、失われた信用を取り戻すことは非常に難しい。その結果、被害者の言い分を伝える機会を失い、社会に誤解を与えたままになってしまうのです。

自分も被害者には、負担にならない限り、「取材に応じたほうがいい」と伝えています。ただ、その場合でも、1週間は待ってほしいのです。そもそも通夜や告別式を取材する意味があるのでしょうか。遺族にとっては最後の別れの、大切な時間なのです。それを踏みにじったメディアをどうして信用できるでしょうか。

1999年 桶川ストーカー事件

ーー犠牲者とその親族や友人・知人などの最後の別れを伝えることで、事件で奪われた命の尊さ、残された者の悲しみも伝わります。それによって事件の重大さが広く理解されます。世論を動かすことにもつながっています。

悲しみを社会に伝えたいというご遺族も確かにおられるでしょう。しかし、問題はその時期を言っているのです。どうして、葬儀が終わり、ある程度時間が経って、被害者の心情が落ち着いたときまで待てないのですか。賞味期限をメディアが作るのは一方的過ぎると思いませんか。時間がたってから、きちんとメディアに話をしたいという被害者もいるのです。

また、実名を出されて日常生活に支障を来す遺族も沢山います。私が担当しているある傷害事件の被害者は名字しか出せません。下の名前が出て、被害者が特定されると母親は仕事に重大な支障をきたすからです。職場にいられなくなるのです。そういう被害者の親族もいることを理解して欲しいのです。

ーーもちろん我々も何でも実名で報道しているわけではありません。ある事件では犠牲者が性的暴行を受けていたことがわかり、途中から名前を出していません。報道することの公益性と本人のプライバシーの問題は常に比較考慮しています。

それなら、性的暴行を受けていたことがわかるまで報道しなければ良いのではないですか。一度、実名が出されてしまうと、あとから名前を伏せても、ネットでひとり歩きした実名は消せません。取り返しがつかないのです。

国民の知る権利が大切なことは誰だって知っています。遺族も分かっています。しかし、権利があるということは、その反対に義務があるということです。どうして、国民の権利のために、被害者遺族がプライバシーを明かされる義務を負わないといけないのですか。被害者が泣く民主主義なら、そんな民主主義はいらないと遺族は皆、思っています。

警察はすべての実名の発表を、そしてメディアは被害者の意思を尊重して!

ーーでも、警察のような権力側に犠牲者の名前を出す、出さない、の判断を委ねられているのは危険ではないでしょうか。恣意的に情報が出されたり、出されなかったりすることも起こりうると思います。

その点については、私も全く同感です。今年の5月28日付けの朝日新聞のネット記事にこんなニュースが出ていました。山形県警内部で若い警察官に対する暴力事件があり、それを県警が伏せていて、結局、加害者の警察官名も被害者の警察官名も明らかにされませんでした。

自分たちに都合の悪い情報はことごとく隠す体質が警察にはあります。ですから、本当なら、警察は全ての実名を発表すべきです。その上で、メディアが、法的拘束力のある協定を結んで、葬儀が終わるまでは取材しない。その後に、実名を出して報道するかどうかは、被害者の意思を十分に尊重し、被害者との信頼関係を築いてから決めるべきだと私は考えています。

それから、弁護士の中には極端にメディアを敵視している者もいるようですが、それはよくない。メディアから被害者側に取材にくるときは、被害者にとってメディアは味方なのであり、決して悪くは書かない。だから、弁護士もメディアと協力関係を築いて、対応すべきだと思います。私も、メディアの方から申し入れがあったときは、被害者には、できるだけ取材に応じた方が良いとアドバイスしています。もちろん、必要とあれば、そのときは私も立ち会います。
 

(執筆:フジテレビ報道局 吉澤健一)