未曽有の被害をもたらした東日本大震災から10年が経過し、子どもたちへ震災の記憶と教訓を引き継いでいくことが求められている。そんな中、宮崎・国富町の中学校で行われた取り組みを取材した。

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東日本大震災は「よその世界の話みたい」

9月2日、国富町の八代中学校では、地震についての授業が行われていた。

先生:
日本で起こった大きな地震と言ったら何を浮かべる?

生徒:
熊本(地震)

先生:
熊本もあったね。それよりももっと大きかった地震は?

生徒:
東日本(大震災)

生徒:
まだ生まれてなくない?

未曽有の被害をもたらした東日本大震災から10年が経過。生徒たちは東日本大震災が起きた時、まだ小学校入学前。

テレビ宮崎・児玉泰一郎アナウンサー:
東日本大震災が起きた時は何歳ぐらい?

中学1年生・男子:
2歳ぐらいです

テレビ宮崎・児玉泰一郎アナウンサー:
何かあの地震について覚えていることありますか?

中学1年生・女子:
ないです。津波がすごい地震だったというのは知っています

テレビや新聞を通して連日伝えられた惨状は、ほとんど記憶にない。

八代中学校・﨑田一郎校長:
確かに今は(震災時の事を)映像とかで見てはいるんですけど、よその世界の話みたいな感じは、話を聞いてて感じることはあります

八代中学校・﨑田一郎校長:
地震や津波が怖いというのはわかっているんですけど、実際経験したことがないので、やっぱり実際に体験した人たち、そこで復興に当たっている人たちの話を聞くのが一番効果があるんじゃないかと思ったところです

災害を“自分事”として考えることが大切

八代中学校では、毎年防災週間に合わせ避難訓練を行っているが、2021年は生徒たちにまず、なぜ避難するのか考えてほしいと、ある人に講演を依頼した。

岩手県陸前高田市役所・永山悟さん:
(震災から)1年後に陸前高田に引っ越しました。陸前高田市役所に勤めて10年目になっています

この日、オンラインで講演したのは、宮崎市出身で岩手県の陸前高田市役所に勤める永山悟さん。永山さんは震災後、陸前高田市にボランティアに行った際、被災地の悲惨な状況を目の当たりにし、移住を決意。市役所の都市計画課で「奇跡の一本松」の保存事業や、新たなまちづくりなど復興に携わっている。

震災当時の陸前高田市 (提供:岩手めんこいテレビ)

被災地で暮らし、市民と接する中で気付いた防災において大切なことを生徒たちに伝える。

岩手県陸前高田市役所・永山悟さん:
避難訓練、防災って難しいと思う。なぜかと言うと、自分事としてなかなか考えられないというところが一番難しいところかなと思っています。元々、陸前高田市職員も400人職員がいて、111名が亡くなっているんですよね。そういった状況を見てみると、そこをどう自分事として考えるかが大事かなと思っています

中学3年生・男子:
地震は身近に起こるということを改めて認識して、家族と話したりして、しっかり避難できるようにしていきたいと思います

中学3年生・女子:
地震はそこまで怖くないのかな、揺れるだけだしと思っていたんですけど、今回の話を聞いて、津波が来て街が全部なくなったり、人がたくさん亡くなったりするのを聞いて、もっと自分でも対策をしないといけないなと思いました

“災害を自分事として考える”…そのことが震災の記憶を風化させないこと、そして大切な命を守ることにつながる。

【取材後記】
今回取材に行くことにしたのは、校長先生からの手紙がきっかけでした。「UMKが取材した永山悟さんの映像を見て、永山さんに講演をお願いしました」という内容でした。

永山悟さんは宮崎県出身で、震災後に岩手県に移住した方で、現在は陸前高田市役所で働き、復興まちづくりに携わっています。

私たちは過去2回 岩手県に取材に行き、永山さんの話を通して町に壊滅的被害をもたらした震災の恐ろしさや復興の進捗について伝えてきました。その放送を見た校長先生が「生徒たちに講演をしてほしい」と永山さんに依頼し、実現した取り組みだったので取材に伺うことにしました。

取材で中学1年生に話を聞くと、東日本大震災が起きた時はまだ2歳。震災のことを「大きな地震だった」「津波でたくさんの人が亡くなった」ということは知っていても、どこか実感が湧かないといった様子でした。

その中で、永山さんが話した言葉は生徒たちに響いたと思います。生徒たちが2歳の時に起きた地震で10年経った今も復興工事が続くほど大きな被害だったこと、町の中のほとんどの人が家族や親せき、友達など大切な誰かを亡くしていること。

永山さんの話を聞く生徒たちの真剣なまなざしが印象に残っています。もしかすると恐怖を感じた生徒もいるかもしれませんが、この経験が今後訓練を行う際にもきっと生きると感じました。

放送がきっかけとなった永山さんと中学校のつながり。放送する意味と使命を感じた取材でした。

(テレビ宮崎・児玉泰一郎アナウンサー)