2016年4月に発生した、熊本地震。

被災して多くの農機具を失い、自宅が半壊した米農家・嶋田一徳さんは、諦めることなく米作りを続けた。余命宣告を受けた病と戦いながら。

後編では、体調を悪化するなかでも懸命に農作業を息子に引き継ごうとする嶋田さんの姿、その時が迫り焦る様子など、嶋田さん、最期の日々を追う。

【前編】実りの秋よ、いつまでも。熊本地震で被災した米農家・嶋田一徳さんの挑戦と、最期の日々

2017年、地震のあと2度目の春が来る

取材をしていた2017年1月当時、熊本地震の被害状況は、公費解体1万1594棟(進捗率44%)、すべての避難所が閉鎖した。

嶋田さんが住む益城町の被害状況は、死者30人、重症125人、住宅全壊3501棟、大規模半壊992棟。

年内には嶋田さんの家も解体されるという。

「皆さんいいですか、点火してください〜」

嶋田さんの大きな声が響いていた。
田んぼでは正月の火祭りが行われていた。

「こういう祭りはやったほうが楽しみが出てきて私はいいと思う。福富地区はできるだけ昔からの行事を続けて行きたいと思う」

2017年3月。

「じいじ、お誕生日おめでとう」

可愛い孫たちの声が響いていた。
70歳になった嶋田さんの誕生日を祝うため、家族が集まった。

「地震後の2度目の春が来るなぁ。今年が最後の米作り。いい米を作らないと内心最後の米になると思ってる」

嶋田さんは家族の前で力強く、そう語った。

妻の誠子さんは、これまでの米作りをこう振り返る。

「私と結婚してからもしばらくは、義父たちが米作りをしていました。夫は会社に勤めていましたから。それでいざ作り出したら、自分で知る、自分で勉強するというところがあるから、米作りを親に聞くことはない。他の人に聞くとか、調べるとかして身につけていた。人がやっているところを見て、『違うこういうふうにはならない』とか工夫していたと思いますよ」

2017年6月、元気に田んぼに姿を見せた嶋田さんは、「おかげさまで体の調子はいい。順調。がんはお休みしている」と、笑顔を見せた。

今年も長男の康徳さんが田植えを行う。しかし嶋田さんも乗りたくなってしまったようで、久しぶりに田植え機に乗り込んだ。

「医師の宣告でいうと、今年いっぱいがタイムリミット。2年から2年半と言われたから、今年いっぱいでちょうど2年半が経つ。もうすぐ宣告の期日が来る。だけど、まだまだまってくれと。やらなければいけないことがいっぱいあるから」

植えた苗の列が曲がってしまい、「久しぶりに田植え機に乗ったから」と照れ笑いだ。

自宅解体のため引っ越しへ。徐々に体調が悪化も

2017年10月。
嶋田さん一家は、自宅解体のため“みなし仮設”へ、引っ越し作業をしていた。

解体される家を見ながら、「家がつぶれるということは、何かひとつのことが終わる気がして。いろいろなことが頭に浮かぶけれど、だからと言って後ろ向きに考えるわけではない。前を向いて進んでいくしかないと思う」と、嶋田さん。

新居完成までは、仮住まいの“みなし仮設”で生活を送る。

「まだ新居の目処は立っていない。1年ぐらいここにいるだろう。先に小屋を建ててから自宅を再建する予定だから長くここにいるだろうと思う」

氏神様の豊作を祝う秋祭り。ここにも嶋田さんの姿があった。関係者と笑顔で話す最中では、病を抱えるような様子は見せない。

「今年の刈り取りは終わった。1枚だけ刈って、天候が悪くて段取りがつかず、(他の人にお願いして)刈ってもらった。自分で稲刈りができなかったってことは初めてかな。今年初めて人に頼んだ。『来年頑張れ』というメッセージかもしれない」

2017年12月、千葉在住の長女・冴弥香さんが出産のために里帰りしてきた。

「昔は12月27日、28日ぐらい。遅くても30日までに農家は家ごとに餅つきをしていた」と、家族が餅つきする様子を笑顔で見守る嶋田さん。

現在は、毎日数種類の薬を服用している。

「抗がん剤を2週間飲んで、2週間休んで繰り返し。副作用がいろいろあって、副作用が一番いかん。がんそのものが何かあるわけではない。副作用がきつい」

嶋田さんはこのあと体調を崩し、初めて年末年始を病院で過ごした。

最後に「田んぼが見たい」思いは叶わず…

2018年1月、長女・冴弥香さんが無事に出産した。
嶋田さんも退院して、嬉しそうに誕生したばかりの孫を抱く。

「5人目の孫です。生まれてすぐは柔らかくて抱っこしにくいです」

2018年5月になると、自宅に新しい小屋が完成し、農機具も新調した。

小屋では長男・康徳さんがこの年に植える苗の種まきの作業をしていた。

ときおり厳しく指導する嶋田さんは、見かねて「貸してみろ」と自ら作業を始める一幕も。

「体調がちょっと悪い。腰とか足とか痛い。立ち上がったり、長く歩いたりすると腰が痛くなるから座らないと」

余命宣告されてから、すでに3年を超えていた。

「今年は久しぶりに米作りを最初から最後までできると思う。百姓仕事は相手が生き物だから。野菜にしろ、米にしろ、相手が生きてるから、管理しないと死んでしまう。育てるような仕事。生き物と一緒だから難しい。最後の最後まで収穫するまでわからない」

そう話していた嶋田さんだが、この後、療養を続けるも再び入院した。

2018年6月、今年も田植えを担当するのは長男の康徳さん。

「ちゃんと人並みにやっていけばそれでいい。息子は息子の考えがあると思う。俺がいろいろ言うより、自分で覚えて自分の考えでやっていけばいい。人の話を聞いて何でも覚えていくことが一番大事。人の意見を聞いてアレンジして、自分の何かを作り上げていけばいい。そういうふうに考えていけば、よほどの間違いはないと思う」

嶋田さんは息子を信じている。

2018年8月。
田んぼではイネの花が咲き誇っていた。
受粉のために晴れた日の午前中、わずか2時間ほど花をつける。

その翌月、2018年9月9日、嶋田一徳さんは永眠した。享年71歳。

妻の誠子さんが、嶋田さんの最期の様子を、静かに話してくれた。

「『田んぼを見たい』と言ったんです。結局自分が最後に種まきをした後の田んぼが見たいと。『田んぼが気になる』とベッドの上で言っていた。先生が、『寝たままで乗れる車椅子を手配するので、看護師たちと相談しましょうね』と言われていたので、『待てなかったね』、と。仕方がないんだけど。霊柩車で火葬場に行くときに、通ってくれたのね。実っている田んぼの中を通るところがあるんですよ。田んぼを見せてくれた。『こうなってるよ』って見ることができた」

2018年10月。
長男の康徳さんが稲刈りを行う。

「父ちゃんにも見せたかったですけどね。父が地震の中でも田植えして、お米を作ろうということで、父が『こういうときだからこそやるぞ』ということを言って、『家族みんなで頑張ろう』と言ってくれたので、あの中でもスタートができて。一番頑張っていた父に、感謝していますね。ここからですね。まず自分がちゃんとできるようになって、子どもたちにもそういう姿を見せて、みんなで協力してやっていけたらいいなと思います。まだまだ下手くそとは言っている気がしますけど。ある程度はできているとは思うので、少しは安心してくれていたらいいなと思いますね」

2019年1月。
ついに嶋田さんの家の再建が始まった。

米農家・嶋田一徳さんの声が心に響く。
「農家は来年こそは、来年こそはでいかないと。来年こそは、来年こそは。来年こそは、来年こそは…」

【前編】実りの秋よ、いつまでも。熊本地震で被災した米農家・嶋田一徳さんの挑戦と、最期の日々