茨城県つくば市・筑波大学構内の一角には大きな草文字が描かれている。
五輪マークと”Erinnerung 2020”の文字。
“エアインネルンク“ ドイツ語で「記憶」という意味がある。

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五輪の「レジェンド」が制作

制作したのは、筑波大学名誉教授の加藤澤男さん、74歳。

白髪交じりで小柄、温厚な雰囲気のこの男性、 実はかつて五輪のメキシコ(1968年)・ミュンヘン(1972年)・モントリオール(1976年)の3大会で金メダル8個・銀メダル3個・銅メダル1個、計12個のメダルを獲得した体操競技の「レジェンド」だ。

草文字は、加藤さんの研究室の近くの植え込みに作られている。もともとは雑草が腰の辺りまで伸び放題の場所だった。

草を刈る道具は、ゴルフ部が使わなくなった古いクラブ、ピッチングウェッジ。ボールを当てる面の一部を少し鋭く削り、草を刈り取れるように工夫した。
クラブは両手で構えず、片手でほうきを掃くように小さく繰り返しスイングして、文字を彫り出す。

「今」を表す何かを残したい。

草文字制作のきっかけは新型コロナウイルスだった。

2020年2月、豪華客船「ダイヤモンドプリンセス」号の船内で集団感染が起きて横浜港に停泊した時期。加藤さんは仕事の帰り際に、職場の同僚と東京オリンピックについて話した。

「開催は難しくなるだろう」

二人とも同じ思いだった。国民の誰もが待ち望んだ五輪が開催できなくなったら、世の中はどうなるのか。出場した選手だからこそ、その影響の大きさを深く感じていた。皆が不安を抱えている時だからこそ、「今」を表す何かを残したいと思ったのが制作のきっかけだ。

五輪マークを草文字で

写真や映像を用意したりせず、日本代表として参加した自分の記憶の中にある五輪マークを土の上に刻もうと思った。

雑草を削っていけば、五輪マークが簡単に削り出せるかというとそうではない。草の根が残っているとすぐに元の草むらの姿に戻ってしまうため、根の部分からすべて引き抜く。

「結構大変だった」
「草文字は、草を相手に作業をするだけ。人を相手にしない体操と似ているのかもしれない。
夢中になって作業をしていました。」

制作する苦労よりも、作り上げた時の喜びを思い出すように加藤さんは話す。

「記憶」は自分を成長させてくれる

コロナ感染者の増加が止まらず「五輪開催はほぼダメ」だと考えた時、五輪マークと一緒に思いを込めた文字を描くことを決めた。
「 Erinnerung 2020」
“エアインネルンク” 記憶、思い出を意味するドイツ語だ。「~させる」という、使役(しえき)の意味を持つ接頭語「Er(エア)」と、自分に入れる「in(イン)」という意味が合体してできた「記憶」という単語だ。

加藤さんが草文字を、英語ではなくドイツ語で制作したのにも体操が関係している。加藤さんが現役選手だった当時、指導を受けていたコーチから日本の体操はドイツの体操を見本としていたと聞いた。競技をする上で絶対に必要だと考えた加藤さんは、すぐにドイツ語の習得を試みた。加藤さんには英語よりドイツ語の方が身近な言語となっていた。
”Erinnerung“(“エアインネルンク“ )
加藤さんはこの単語を、ただ「記憶」という言葉で学生に受けとめてほしい訳ではない。「記憶」は将来の自分を必ず大きく成長させてくれる。そう伝えたいと考えている。

「忘れないで」

「選手をはじめ、誰にとっても大変だった2020年を忘れないでほしいと思っている。」

コロナとの戦いという経験は、これからの人生に絶対大きく関わり、影響する。スポーツを続けていけば、様々な状況や壁にぶち当たる事が必ずある。この年をどうやって乗り越えたか。経験が自分の糧になることは間違いない。将来の自分を支えるに違いない「今」を、ひとつの「記憶」として心にとどめ、いつか振り返ってほしい。

五輪体操のレジェンドは、競技場へと続く道に刻む草文字に思いを託し、未来に向かって突き進む学生たちへのエールを送っている。

取材後記

私はカメラクルーの中で主に音声を担当するVE(ビデオエンジニア)です。まだ独り立ち1年生の私がいきなり「五輪のレジェンド」を担当することが決まり、はじめ何をどのように準備すればいいのか分かりませんでした。まず、加藤さんが現役の頃の映像を見返しました。五輪の舞台で撮影されているためかどれも真剣な表情ばかりで、あまり笑顔を見せない人なのだろうと勝手な印象を抱いていました。

しかし、実際にお会いした加藤さんは、顔をくしゃくしゃにして微笑みながら話をするとても優しいレジェンドでした。私もカメラマンもそんな加藤さんの表情にすっかり魅了され、インタビューは3台のカメラを使って撮影しました。様々な角度から表情を狙いたかったからです。

「輝きを保ったままのメダル」

取材中、とても忘れられない場面がありました。それは獲得したメダルを撮影させて頂いた時の事でした。紙で丁寧に包まれたメダルは、輝きを保ったままだったのです。加藤さんのひとつひとつ机の上に並べている姿は、メダルそれぞれに込められた「記憶」をたぐっているかのように見えました。

それぞれのメダルの特徴を説明している途中で、思い立ったかのように加藤さんが部屋を出て行ってしまいました。毎日顔を合わせているのに、メダルを見せたことがなかった同僚を呼びに行ったのです。同僚の人たちは初めてみる金メダルに目を輝かせていました。中には顔をメダル数センチまで近づけてじっくり見ている人もいました。喜んでいる同僚を間近で見ていた加藤さんの表情は、嬉しそうでいて、どこか照れているようにも見えました。

その場で撮影したメダルは、獲得した12のメダルのうち8個。残りの4個は故郷、新潟に。金・銀・銅メダル3つは、自分を育て上げてくれた父親に、感謝の意味を込めてプレゼントしました。今は父親が寄贈し、新潟の資料館にあります。残り一つの金メダルは、同級生から懇願されて高校の図書館に飾られています。

私が入社したのは緊急事態宣言が出されていた2020年4月。通常なら取材現場で行われる実践形式の新入社員研修も制限されて、自宅で待機する日が続きました。配属された部署で業務が始まった5月、「密やクラスター」を避ける目的で、限られた人員、限られた時間内での作業が求められていました。早く仕事を覚えたいが、教えてくれる人が少ない中、自分自身で仕事を覚える必要がありました。一日でも早く先輩に追いつきたいと必死だったことを覚えています。

加藤さんは「何をするにも最後は自分」だとおっしゃっていました。コロナ禍で「何もしないのも自分」、「工夫して何かを得ようとするのも自分」。挫折や成長は、自分次第だということなのでしょう。「自らに起こった全ての事」を記憶し続ける事の大切さを、加藤さんの取材を通して学びました。

日々、取材現場に行くと、以前できなかった箇所の成功と新たな失敗に直面します。その経験ひとつひとつを私はしっかりと「記憶」していきたいと思います。
将来カメラマンになった自分が「今」を振り返った時、加藤さんが話す言葉の意味が分かるのかもしれません。

撮影機材:
(カメラ)
Panasonic LUMIX DC-S1H 
GoPro     HERO8 BLACK  
(レンズ)
Panasonic LUMIX S 24-105mmF4MARCO O.I.S 
Panasonic LUMIX S PRO 70-200mmF2.8 O.I.S 
Canon     EF16-35mm F2.8L USM 
 
執筆:撮影中継取材部 石川莉奈・山下高志
撮影・編集:撮影中継取材部 石黒雄太