2020年12月13日、講道館はかつてない緊張に包まれていた。

東京オリンピック66キロ級代表の座を争った阿部一二三と、丸山城志郎。

傑出した2人の柔道家が雌雄を決したこの試合は、長きに渡る柔道の歴史上、類を見ないワンマッチで、試合というより決闘とも言えるものだった。

勝利した阿部は、東京オリンピックまでの残りわずかな時間を過ごしている。一方の丸山城志郎は気持ちを切り替え、6月7日に行われた世界柔道選手権ブダペスト大会で世界一に。連覇を達成した。

新たな目標へ突き進む2人が、24分にも及んだ代表決定戦と、それまでのお互いの険しき道のり、知られざる舞台裏を明らかにする。

前編では、世界王者を幾度となく競い合った2人の戦いの歴史と、怪我を繰り返した丸山を支えてきたものに、「村上信五∞情熱鼓動」ナビゲーター・村上信五(関ジャニ∞)が迫った。

(中編:世紀の一戦で「泥臭く」と考えた阿部一二三と、「美しさ」を目指した丸山城志郎。それぞれの理由
(後編:柔道史に刻まれた阿部一二三・丸山城志郎の一戦。2人が語った24分間の真実

「引っかかっていたものが無くなった」

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日本のお家芸・柔道で、オリンピックに出場できるのは、各階級たったの1人。東京大会に向けては、2020年初めに4年間の実績を踏まえ、既に代表がほぼ出揃っていた。

唯一保留とされたのは、激しいつば競り合いを繰り広げていた男子66キロ級。

阿部一二三・丸山城志郎は共に同階級の世界王者で、心技体、いずれも甲乙つけがたく、実績もほぼ互角。

コロナ禍により、選考基準となる大会が次々と中止になった結果、最終選考会は史上初となる、一発勝負による代表決定戦となった。

試合後に行われたインタビューで、「本当久しぶりにスッキリしたというか、何か1つ引っかかっていたものがなくなったという感じで」と晴れ晴れとした表情を見せた勝者・阿部。

一方の丸山は、「試合が終わって、その結果を自分自身でしっかり受け止めて。もう振り返っても仕方がないので、振り返るのではなく次の目標に向かってやっぱり進んでいくしか無いなという思いがありました」と、力強い目で語る。

対照的な2人の柔道家

2人の柔道人生を紐解くと、何もかもが対照的だった。

阿部が柔道を始めたのは、6歳。小学生の頃は、女子相手に一本負けを喫することもあったという。

そこから厳しい稽古を積み上げ、中学校の全国大会で日本一に輝き、17歳でグランドスラムを男子史上最年少で制覇するなど、早くから頭角を現した。

一方の丸山は、父がオリンピアン。5歳で柔道を始め、将来を嘱望されていたが、2014年のグランドスラムで左膝の前十字靱帯を断裂。1年以上、戦線離脱を余儀なくされてしまった。

リオデジャネイロオリンピック翌年の、2017年世界選手権。

阿部は、初出場ながら持ち前の攻撃的柔道を披露し、豪快な担ぎ技を次々と決め、20歳で世界王者となった。

さらに、その翌年の2018年世界選手権でも妹・詩と、兄妹同時優勝。

この快挙に、東京オリンピックの金メダル最有力候補との声も上がり、66キロ級は阿部で間違いなしかと思われていた。

しかしその数カ月後、度重なる怪我にもめげず、もがき続けていた男がついに覚醒する。

丸山は2018年11月のグランドスラムで世界王者・阿部を破ると、勢いそのままに国際大会3連勝。

そして2019年4月。オリンピックの代表選考レースで、阿部がわずかにリードのまま迎えた全日本選抜体重別選手権の決勝戦で、2人の直接対決が行われた。

苦労人の執念と、世界王者の意地が、激しくぶつかり合い、騒然とする場内。白熱する試合は、13分を経過したところで、丸山が技ありで勝利した。

丸山が、直接対決で連勝したことで、代表選考において2人の差は無くなった。

続く19年8月。丸山にとっては、初の大舞台となる世界選手権で「両手でしっかり組んで投げる」という、丸山らしい“美しい柔道”を体現。切れ味抜群の内股と巴投で、海外選手を圧倒してみせた。

そして準決勝でまたも相対した2人だが、丸山が勝利し、直接対決3連勝。
世界一の称号も手に入れた丸山は、オリンピック代表争いで、ついに前に出た。

代表は「3連勝しても見えなかった」

番組ナビゲーター・村上信五が「これでオリンピックが見えたなという瞬間はあったんですか?」と聞くと、3連勝しても無かったと答える丸山。

「世界選手権を勝っても、これはこれという感じでしたね。世界選手権が終わっても絶対あと1回か2回は試合をすると思っていたんで。『そんなにオリンピックは甘くないな』と思っていたので、そのくらいの覚悟は持っていました」

丸山が、世界選手権で阿部との試合中に負傷した膝の怪我を押して出場した、2019年グランドスラム大阪。

東京オリンピック代表内定に王手をかけて臨んだこの試合の決勝で、丸山は阿部に敗れ、代表決定は2020年へと持ち越された。

直後のインタビューで涙を見せながら「人生って甘くないな」と語った丸山。

「世界選手権の時に怪我をして、思うような稽古とかトレーニングが出来てなかったんですよね。けど、次勝ったら代表が決まるという立場だったので、欲が出てしまったんです」

村上がその欲について尋ねると「もう、早く決めたいみたいな。勝って決めたいという欲が出て、自分の準備が中途半端というか、気持ちだけが先走っちゃって体が追いついてない状況というか。
やっぱりそういう気持ちで試合に挑んだら、ダメだなとあの時は思いましたね。負けて。やっぱりそんなに試合は甘くない」と振り返る。

さらにコロナ禍で試合日程が定まらず、稽古にも影響が出てしまったという。

「どこに照準を合わせていけばいいのかが分からなかったんで、ずっとトレーニングとちょっと稽古みたいなことをする日々」

そんな不安な日々を支えてくれたのは、過去にも自分を救ってくれたという妻・クルミさんの存在だった。

妻の支えで上り詰めた世界一の座

「僕1人だときつい面もあったと思うし、食事面だったり、そこが1番大きいんですけど。本当に毎日サポートしてくれてるんで、感謝してます」

自宅で落ち着いた笑顔を見せる丸山を支えてきたのは、妻・クルミさんだ。

その妻に、「『柔道を辞めようって、辞めたい』って言ったんですよ。実は」と、引退をほのめかしたことがあると明かした。

2014年、左膝の大怪我から巻き返しを期していた丸山だったが、復帰後は精彩を欠き、なかなか結果を出せずにいた。

東京オリンピックへの道も険しくなり、柔道人生のどん底にいたその時、クルミさんが人生を変える言葉をかけてくれたのだ。

「城志郎が代表になってもならなくても、どっちでもいいじゃん。自分の柔道貫き通して、応援してもらっている人たちに、『丸山城志郎って素晴らしい人だね、人間だね、柔道家だね』って言われるような存在であってほしい」

この言葉で丸山の気持ちと覚悟が変わった。

妻・クルミさんは夫を支えたいという一心だったという。

「私ができることって、ご飯とか、メンタルのサポートというか普段通りの話をしたりだとか。それで立ち直って、頑張れる姿勢に変えてあげたいというのが一番の想いで」

覚悟を決めた丸山は、強かった。自分らしさである“美しい柔道”を貫き、ついに世界一まで、上り詰めた。

立ち直るキッカケを与えてくれた、妻の言葉。そして日頃の献身に報いたい。

しかし勝負の年であったはずの2020年、新型コロナウィルスの影響で、稽古すらままならない状況に陥ってしまった。

丸山は妻の力も借りながら、この状況を自らの強さに変えようとしていた。

「『これは自分にしか味わえないんだ』と思って。この状況を特別なものにしないと、この先自分の成長もないと思うし、オリンピックで勝てる精神力というのも身につかないと思うので」

20年の夏に入り稽古を再開。しかしブランクの影響もあってか、体が思い通りに動かない。

そんな中で発表されたのが、日本柔道史上初となる、丸山と阿部による代表をかけたワンマッチだった。

世紀の一戦のプレッシャー

名勝負となるのは必至だが、2人にかかるプレッシャーは並大抵のものではない。

その重さを、丸山が練習拠点とする母校・天理大学の穴井隆将監督も、感じ取っていた。

「10月の下旬だったと思うんですけど、少し目がピクピクしていました。神経性のものだというのはすぐわかったんですけども、そういった時期がありました」

誰も経験したことのない、勝てば天国、負ければ地獄のワンマッチ。迫りくる重圧を、妻ともう1人、尊敬してやまない先輩とも分かち合っていた。

「いつも一緒にいる大野先輩の存在も大きいですね。大野先輩は柔道に関して凄く真っ直ぐで、本当に色々参考というか、盗んでいるんですけど。あの人は自分にはあまりアドバイスなどは言ってこないんですよね」

リオオリンピック柔道73キロ級金メダリスト・大野将平は、丸山にとって天理大学の先輩。多くを語らずとも、態度で後輩を鼓舞し続けてきた。

逆に大野は丸山から学ぶことが多いと語る。

「本当に苦しい、辛い時期も私は見てきていますので、一言で片付けられない彼の強さがあるという風に思っています。彼と一緒に柔道をやれていることが、自分自身の財産と感じています。丸山に助言するどころか、今は私がついていって学ばせてもらっているような状況です」

いついかなる時も、支えてくれた大切な人たちのためにも、負けるわけにはいかない。

覚悟を強めた丸山は、かつてないほど自らを追い込み、世紀の一戦に備えていた。


中編では、もう1人の主人公・阿部一二三が語るワンマッチへの道のり、後編では世紀の一戦を2人の証言で紐解いていく。

(中編:世紀の一戦で「泥臭く」と考えた阿部一二三と、「美しさ」を目指した丸山城志郎。それぞれの理由
((後編:柔道史に刻まれた阿部一二三・丸山城志郎の一戦。2人が語った24分間の真実

昨年12月に行われた阿部一二三とのワンマッチ以来の試合となる丸山が出場する、2021世界柔道選手権・ブタペスト大会は、6月6日から行われている。2連覇を狙う19年世界王者の丸山は、パリオリンピックに向けどんな姿を見せるのだろうか。

2021世界柔道選手権
階級別ダイジェスト
6月13日(日) 16:05~17:20(フジテレビ系)
男女混合団体戦中継
6月13日(日) 24:30~26:15(フジテレビ系)※一部地域を除く