昭和型板ガラスが令和に人気

昭和のレトロな建物に入った際、こんな窓ガラスを見たことないだろうか?

昭和型板ガラス(画像提供:旭屋ガラス店)
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これは、昭和に作られた型板ガラス、昭和型板ガラスと呼ばれるものだ。表面に様々な模様を施したガラスで、主に昭和40年前後が全盛期だったという。この昭和型板ガラスをリメイクしたお皿などが、令和の今、人気となっている。

制作しているのは、昭和2年に創業した兵庫県神戸市にある「旭屋ガラス店」。早速、作品を見て頂こう。

こちらは、旭屋ガラス店で人気の高い「銀河」と呼ばれるお皿。星柄がちりばめられたガラスをリメイクしたものだ。価格は1800円(税込)。※4月16日時点は売り切れ

銀河(画像提供:旭屋ガラス店)

他にも、「ダイヤ」「ささ」など、美しい柄の昭和型板ガラスをリメイクしたお皿を販売している。

ダイヤ(画像提供:旭屋ガラス店)
ささ(画像提供:旭屋ガラス店)

人気に火が付いたのが、昨年の9月。旭屋硝子店で「銀河」を購入した人がSNSでアップし、それが拡散され話題となった。多い時には、数日で数百件の注文が舞い込んだ。お皿の枚数にすると数千枚になるといい、現在生産が追いつかない状況になっているという。特に女性に人気で、若い世代は「オシャレ」、上の世代は「懐かしい」と感じ購入するようだ。

令和に人気となった昭和型板ガラスだが、なぜ皿にリメイクしたのか?そして、昭和、平成、令和と時代が移り変わる中でガラス店として厳しい時代をどう乗り越えてきたのか?旭屋ガラス店3代目の古舘嘉一さんに詳しく話を聞いてみた。

斬新でかわいい、思い出に浸れると人気

――昭和型板ガラスが人気の理由は?

昭和の型板ガラスはもう日本では量産されていないので希少価値という面で多少引き付けられることもあると思います。しかしそれよりも、様々な斬新かつ情緒的な柄のデザインがあんなにたくさんの種類があることが魅力ですね。特にご年配の方には昭和レトロ感があって思い出に浸れる、我々日本人の良き昭和の時代を思い出すアイテムにもなっていると思います。その反面、比較的若い方々には、斬新でかわいらしいと思って頂ける柄なのではないでしょうか。

それからもう一つ人気の理由として考えられるのが、2㎜の厚みの薄い型板ガラスを主流にしてお皿を制作していることです。型板ガラスには4㎜と2㎜の厚みがあり、4㎜厚のガラスでもお皿は制作していたのですが、ガラスのお皿の繊細さを際立たせるには薄い方がよいと考え、今現在2㎜厚のガラスを主流にしています。それが昭和の型板ガラスならではの柄とガラス独特の繊細さが相まって、更に魅力を引き立てているのではないかと思っています。


――そもそも材料はどうやって入手する?

私の店の在庫だけでは、到底足らなくなってきているので、お付き合いのあるコネクションに声掛けしています。ガラスの問屋さん、設計事務所さん、建具屋さん等々。でも最近は家屋解体工事やリフォーム工事の時には廃棄物として処分されていたガラスが、このようにアップサイクル出来るとSNSで知った方々から、引き取って有効活用してくださいとのご連絡を頂くようになりました。遠方ではなかなか大変な事情もありますが、有難い限りです。
 

汚れの洗浄や切り口を滑らかに処理

――これがお皿になるまでにどんな作業をする?

大まかな作業工程は、ガラスをカットし、小口の研磨、洗浄、加熱して曲げる工程となります。ちょっとした苦労はそれぞれの工程にありますが、特にガラスカットの工程で、ガラスのどこを取っても同じ柄であるならよいのですが、柄によって大柄や、まばらな柄であると小さいお皿には収まりきらない場合があり、いいところ取りが必要になり、無駄な半端ガラスが出たりすることが多々あり、もったいなくて気苦労が絶えません。

ガラスのカット(画像提供:旭屋ガラス店)

――昭和ガラス製作に必要な技術にはどんなものがある?

お皿の制作で言えば、円形などにカットした切り口を、出来得る限り滑らかな小口にする処理をすることと、何十年も使用された後の汚れを洗浄する作業ですね。

洗浄前(画像提供:旭屋ガラス店)
洗浄後(画像提供:旭屋ガラス店)

――昭和ガラスの技術を継承している工房は減っている?

お皿やランプシェードの制作で言えば、それぞれ個人で工夫して制作されている方々が増えてきているのではないでしょうか。

最悪の景気の中で、家業を継ぐ

――ガラスの需要は時代の中でどのように変化していった?

昭和前期は、もちろん木製建具で主流は透明かスリガラスで、型板ガラスの種類も少なかったと思います。それが中期、特に40年を中心にその前後は、各ガラスメーカーが競い合うように型板ガラスが何十種類と販売された全盛期を迎えます。

昭和後期には木製建具から、アルミ製建具に移り代わり、平成にはガラスも機能硝子と言われる、合わせガラス(防犯ガラス)ペアガラス(断熱ガラス)が導入されそれらの需要が伸びてきました。それに従って家や部屋の作りが洋式化、均一化され、日本の生活文化の一つである木製ガラス障子(部屋を間仕切るための、2㎜厚の型板ガラスが全面に入った格子状の障子戸)の需要も減少してきたように思います。そのため型板ガラスも、ガラスメーカーの製造管理の効率化にともなってどんどん少なくなって行ったと思われます。


――ガラス店として、厳しい時期はあった?

私はガラス屋の三代目ですが、2002年に15年間務めた会社を辞め、脱サラし家業のガラス店を継いだころは、景気は最悪でしたね。平成に入るころから業界の流通形態も徐々に変化し、町の小さなガラス店の仕事が失われて行ったように思われます。それから特に私の町の神戸には阪神淡路大震災があり、数年間の短い特需景気を終えた振り戻しのような影響がさらに拍車をかけて不景気をもたらしたように思います。


――それをどう乗り越えた?

祖父や父の代には景気のよい時代であったでしょうが、私の時は初めから最悪の景気でしたから、ダブルワーク、トリプルワークの連続でした。今どきの働き方の先取りでしたね。ただ、それがある程度わかっていて家業を継いだので、今後どのような方向で家業を経営して行くかと言う事も初めから自分なりに考えていました。

色々な方向性が考えられたのですが、その時私が思いついて進めたのは「デザイン性のあるもの」でした。したがって自然とガラス関係でデザイン性となるとステンドグラスなどガラス工芸なので、家業を継いですぐに、その技術を学んでいました。それが後になるほどその選択肢が良かったんだと感じています。

コロナ禍での自粛生活の影響も

――今、昭和型板ガラスに注目した理由は?

私が昭和の型板ガラスに注目したのは、家業を継いで直ぐのことです。それまでは全く興味もなかった訳ですが、恐らく祖父の代から残してあるいっぱいの型板ガラスの端材を目にしてこんなにもたくさんの柄があるのだと感心し、その時初めて気付いたのです。
ある時今は亡き父親が暇にまかせて「ガラスを処分するか」と言ったとき「置いといて、後で使うから」と言い返したことを今でもハッキリと覚えていますが、その数年後、学んだガラス工芸の技術と、店にたまたま残してあった型板ガラスとが繋がって出来上がった作品なので、16~17年前から制作していました。

ただ板ガラスとして昭和の型板ガラスが好きな方々はもっと以前から居られたと思いますが、型板ガラスを皿状に曲げてお皿として生活の傍らで使って頂くようなアップサイクルした方法は、その当時あまりなかったように思います。そのうちにネットの普及がどんどん進み、SNSの登場で広く全国の皆さんに知られる機会が増えてきた時に、実に皮肉な話ですが、またその上に大きなきっかけとなったのがコロナ禍での自粛生活であったと考えています。

今までにない社会の厳しい状況下、自粛生活では、自分たちの今までの生活を思い返し見直す機会となり、小さくても彩や豊かさ癒しを、自宅での大切な生活に取り入れたいと言う感性や価値観の変化もあったのではないかと思います。そう言った気持ちに添える、叶える一つのアイテムとなれたのならこれ以上うれしい光栄なことはありませんね!私が今まで続けてきたことが、令和のこの時代にやっと皆様に広く受け入れてもらえるようになったのではないかと謹んで感じております。

こずえ(画像提供:旭屋ガラス店)

――今、注文するとどれくらい待つことになる?

制作は、一枚ずつ手作業でカット、研磨、洗浄しており、ハンドメイド規模の小ロットでしか制作出来ていなくて、ご注文下さったお客様には大変お待ち頂くことになり、2~3ヶ月待ちでご迷惑をお掛けしている状況です。只今ロットアップ等、制作効率を上げて少しでも早く対応できるように検討中です。今現在、ガラスの種類を少なくし、限定数を決めるなどして、販売を制限しています。1回の限定数が完売しても、在庫確保と制作目途がたち次第、断続的に再販いたします。これまで以上に色々な種類の昭和の型板ガラスを販売していく意向ですが、在庫入荷が出来ない場合は販売中止となる場合もあるのでご了承頂きますよう、よろしくお願いいたします。
 

昭和型板ガラスはもう日本では量産されていないそうで希少価値というのもあるが、皿にすることで新たな付加価値となり、そのよさが世代を超えて再認識されているということだろう。
そして、コロナ禍での自粛生活で、生活を見つめ直し、豊かさや癒しを生活に取り入れたいと言う人々の価値観の変化も影響しているようだ。