東京オリンピックの聖火リレーが、4月に香川県で行われる。選手として夢見たオリンピックに関わりたい。水難事故で首から下が動かなくなった男性の挑戦。
毎日約5時間のリハビリで聖火ランナーに挑む
自分の号令に合わせ、後ろから足と体を交互に押し出してもらい、ゆっくりと前に進む。
動くのは首から上だけ。この男性は4月17日、オリンピックの聖火ランナーに挑む。
毛利公一さん:
自分の足がちゃんとあるのを感じられてうれしい
感覚のない足を床に強く押しつけるのは、歩いていることを脳に意識させるため。
香川・観音寺市に住む毛利公一さん(39)は、聖火ランナーに決まった2019年12月から、毎日約5時間のリハビリに励んでいる。
ーー(練習時間は)現役時代のトレーニングと比べると?
毛利公一さん:
長いです
オリンピック目指すも…水難事故で諦めた過去
高校時代、棒高跳の選手として全国3位にもなった毛利さん。
大学でも活躍し、当時はオリンピックを目指していたが、アメリカ留学中の22歳の時に、水難事故で首の骨を折る重傷を負った。
毛利公一さん:
(医師に)一生呼吸器と言われたあの瞬間。当時一番最初に来た感情は、憤り・悔しさ。その後に、悲しさという順番に来た
しかし、懸命のリハビリで、今では顎で電動車いすを操作できるまでになった。
毛利公一さん:
ベッドの上だけでいると、悪くなっていく一方、(筋肉が)固まっていく一方なので、大きく言うと、生きて行くために動き続ける
障害があっても競技に関わりたい
生きるために動き続ける中で、落ち込んでいた気持ちも前向きになった。
2008年には訪問介護事業を立ち上げ、現在は、経営者として4つの介護福祉事業所を運営するほか、2020年からは福祉事業のコンサルティングも始めている。
毛利公一さん:
棒高跳は高いバーを下から見上げて、それを越えようと挑戦していく。そういう経験がもしかしたら、(障害を負ってからの挑戦にも)あるのかもしれません
常に心の支えとなるのは、棒高跳での学びだった。
障害があっても競技に関わりたいと、10年前には審判員の資格を取得し、日本記録更新の判定も経験した。
実績を積み重ねる中、毛利さんの中でオリンピックへの思いが再燃するのを感じた妻の和枝さんが、聖火ランナーへの応募を勧めた。
妻・和枝さん:
アスリートでも世界を目指していたと思うが、違う形で(オリンピックに)出られたら、こんなにうれしいことはないなと思っていて
聖火ランナーの決定は、何よりの喜びだったが、心配な点もあった。
妻・和枝さん:
どんどん体温が下がっていってしまうと…
毛利公一さん:
時間との勝負よりは体温。時間かけると体温下がるし
観音寺市での聖火リレーは夕方から行われるため、寒さで筋肉が硬直しないよう、防寒対策も必要。
妻・和枝さん:
こんな感じ
毛利公一さん:
こんなんだったら風通さないだろうし
「事故があったからこそ、今ここにいる喜び」
毛利さんの目標は、車いすではなく、自分の足で1区間約200メートルを歩くこと。
作業療法士など、3人の介助が認められ、歩行のトレーニングに励んでいる。
毛利公一さん:
外で立つのは本当に機会ない。家の中では練習できていますけど。(普段)車の屋根とか見えないですよね、久しぶりの感覚が気持ちいいですね
篠田吉央キャスター:
聖火リレーの時に手に持つトーチを模したものです。毛利さんのお父さんの手作りで、本番の時に負担に感じないためにと、本物より少し重めに作っています
ヘルパー:
この方が腕が支えられるかも
作業療法士:
腕全部使ってください。(頭の近くだと)髪の毛燃えます
毛利公一さん:
体重がかかる方と逆に体重を乗せながら。同じ方に乗せると転ぶんですよ
体重移動だけでなく、手に持つトーチもバランスに影響するため、動きはどうしてもゆっくりになる。
路面のわずかな段差や傾斜にも周囲が注意を払い、この日は150メートル歩けた。
毛利公一さん:
あの事故があったからこそ、今 この場所にいる喜びがあると思うので、ネガティブなことだけではなかったと思ってます。もう一回立って歩きたいという夢を、今でも追い続けている姿を伝えたい
選手として夢見たオリンピック。一度は諦めかけたその夢の続きは、聖火リレーへの挑戦として、再び毛利さんの心に火を灯した。
(岡山放送)