東日本大震災から10年が経った。この間にも日本は地震や台風、豪雨など数々の災害に見舞われてきた。

被災地において、とりわけ厳しい状況にさらされるのは生まれて間もない赤ちゃんだ。自分で歩くことも、食べることも、話すこともできない0歳児が、どんな環境にあっても命をつないでいけるように、日本に「液体ミルク」を導入した、2人の女性に話を聞いた。

世界から50年遅れて、ようやく日本に

液体ミルクの最たるメリットは、開封してすぐ授乳できる「手軽さ」だ。粉ミルクのようにお湯で溶かして人肌まで冷ます手間がいらず、専用の哺乳用乳首を使えば、哺乳瓶を消毒する手間も省ける。ライフラインが止まり、衛生環境が悪化しがちな被災地において、液体ミルクが果たせる役割は大きい。

哺乳用乳首を付けた液体ミルク
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WHOは「赤ちゃんにとって最良の栄養は母乳である」としている。しかし、粉ミルクや近年発売に至った液体ミルクは子育てをする母親だけでなく、すべての親や家族をサポートする存在だ。

日本で液体ミルクが発売されたのは2019年3月のこと。店頭に並び出して、まだ約2年だ。では新しい商品なのかというと、実はそうではない。海外では、約50年前の1970年代から液体ミルクが普及している。

フィンランドやスウェーデンなどで普及する液体ミルク

一般社団法人「乳児用液体ミルク研究会」代表理事、末永恵理さんが最初に液体ミルクを知ったのは2014年の妊娠出産がきっかけだった。自身の大変だった授乳期間に液体ミルクへの関心をより深めた末永さんは、様々な情報を調べるようになったという。

「2011年の東日本大震災が起きた当時、フィンランドから日本に液体ミルクが寄付されていたことや、ヨーロッパに住む日本人の母親たちが中心となって寄付を募り、現地の液体ミルクを被災地に送る活動があったことを知りました。ただ、その活動はそこで終わっていて。やはり日本に液体ミルクがないと災害があった時も、寄付に頼り続けなければいけない。そもそも災害時じゃなくても使えたら便利なのに。そう思ってオンラインで署名集めを始めました」(末永さん)

一般社団法人「乳児用液体ミルク研究会」代表理事、末永恵理さん

当初は、集めた署名をメーカーに届けて活動を終えようと考えていた末永さんだが、いざメーカーに届けて話を聞くと、状況はさらに難しいものだった。

そもそも日本には液体ミルクの製造・販売のための基準を定める法律や省令がなく、メーカーも動けない状況だったのだ。末永さんは次の目標に「法整備」を掲げ、引き続き署名を集めながら、行政に働きかける活動を始めた。

署名活動は当初からメディアに取り上げられ、少しずつ認知度も上がっていた。そこに2016年の熊本地震が起こったことで、液体ミルクを求める声はさらに広がった。その時もフィンランドから液体ミルクの寄付があり、それを主導したのが当時国会議員、現東京都知事の小池百合子氏だ。

「小池さんの活動を当時Twitterで見て、署名を届けに伺いました。そこで法整備についてもお願いをして。それを受けて小池さんが、自民党内で勉強会を立ち上げてくださったのです。私も参加して、災害時だけでなく平時にも子育ての一助に液体ミルクが必要だという状況を訴えました。小池さんが都政に移られた後も、女性議員を中心に政府へ継続的に働きかけてくれた結果、政府の『女性活躍重点取組項目』のリストに液体ミルクの法整備が加えられたのです」(末永さん)

日本製の液体ミルクを被災地に届けたい

メーカー側の立場で、液体ミルクの日本解禁に尽力した女性もいた。江崎グリコのベビー・育児・果汁・清涼飲料マーケティング部ブランドマネージャー、水越由利子さん。

2016年の熊本地震の際、水越さんの頭にまず浮かんだのは、小さな子どもを抱えて被災した親たちの姿だった。「私自身も東日本大震災のときに自分の子どもがちょうど1歳でしたから、当時の大変さを思い出しました」と振り返る。

江崎グリコ・水越由利子さん(※取材時はマスク着用)

その際、フィンランドからの支援物資で液体ミルクの存在を初めて知り、「これが日本製だったら、きっとみんなすごく安心して使えるのにね」と、同僚の永富宏さんと話したという。

商品開発の仕事をしていた永富さんも3人の子を持つ親で、被災地の親たちの大変さをリアルに想像できた。「世の中にはきっと小さい子どもを抱えて災害にあっている人がいるはずだねって」。この時の会話が、液体ミルクの開発を進めるきっかけとなった。

少子化が進む現状から、ビジネスの面からみて社内には慎重派も少なくなかったという。しかし、水越さんは早い段階で社内を説得し、最大の壁であった「法整備」に取り組んだ。

厚生労働省や消費者庁に何度も足を運びながら、災害大国、日本における液体ミルクの必要性を訴えたのだ。

2019年3月に発売された液体ミルク「アイクレオ 赤ちゃんミルク」

 「災害時はもちろんですが、今の日本はワンオペ育児になりやすいため、母親の育児負担が大きいという現状があります。それに伴う産後うつなども深刻な問題です。もしそこで液体ミルクがあれば、母親以外でも授乳ができ、家族みんなで子育てができる。そうした重要性を話して、なるべく早く法整備をしてほしいとお願いしました」(水越さん)

「乳児用液体ミルク研究会」の末永さんと、水越さん、それぞれの活動が実を結び、2018年8月に乳児用液体ミルクの許可基準が設定、施行された。

そこからメーカーは製造を開始し、2019年3月11日に江崎グリコ、4月には明治、そして2020年4月には雪印ビーンスタークがそれぞれ販売を開始した。

「発災3日」に備えるローリングストック法

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災害への備えには、「自助」・「共助」・「公助」の3つの要素があると言われる。まず液体ミルクの備えにおいて欠かせないのは「自助」の備蓄だ。

普段は母乳で育てている母親も、災害時は何があるか分からない。ストレスなどで母乳が一時的に出なくなる恐れもある。そのため、もし母乳をあげることができなかったら、ということを想定しておく必要もある。

「まず発災から3日は救助が来ない可能性も考えて、常に自宅には3日分の液体ミルクを置いておくことをおすすめします。3日分ということで、私たちがいつもお伝えするのは、アイクレオ(液体ミルク、1本125ml)なら約24本のストックです。生まれたばかりの赤ちゃんも、最もミルクをたっぷり飲む 4〜5ヵ月の赤ちゃんも、だいたい3日で24本あれば足りるでしょう」(水越さん)

加えて考えるべきなのが、国や自治体による「公助」の備蓄。末永さんは、液体ミルクにおける備蓄の考え方について、こう提案する。

「液体ミルクは水や乾パンなどに比べて賞味期限が短めです。かといって、自治体がローリングストックするのは難しい。そこで考えているのは地域の薬局やスーパーに必ずストックを置いておいてもらって災害時にはすぐにそれを買い取る形にして優先的に間に合わせるような『流通備蓄』です。

もともと流通備蓄は、イオンなど大手と提携するケースが多いのですが、すでに薬など医療に関わる物資は、地域の薬局の備蓄を放出する仕組みができつつあるそうです。この仕組みが、赤ちゃんの液体ミルクやおむつなどにも応用されたらいいのでは」(末永さん)

実際その取り組みは少しずつ始まっており、江崎グリコでは今年1月より島根県飯南町、一般社団法人飯南町観光協会と協同で「道の駅」に液体ミルクや幼児用レトルト食品、菓子などを販売しながら在庫を備蓄し、売れた分を補充していくという流通備蓄「道の駅ローリングストック法」を始めた。まだ限られた範囲のみではあるが、拠点が全国に広がることを期待したい。

解禁後も課題がのこる、液体ミルク

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発売から2年が経った液体ミルクには、やはり課題が残るのも事実だ。とくに大きいのは認知のハードル。日頃から様々な親たちの声を集めている末永さんは、「使うと『すごく楽!』という感想がある一方、使っていない人は、よく知らないし値段も高いからまだ機会がないという感じで、両者の差が大きいですね」と語る。

被災地へ支援された液体ミルクが「よくわからないから」と活用されなかった例もまだあるという。認知を広げようと思っても、メーカーはWHOで定められた母乳代用品のマーケティングに関する国際基準により液体ミルクの宣伝活動が制限されているという事情もある。

「また、ミルクを飲ませるのは子育ての中でも短い期間なので、みなさんその時は悩んだとしても、成長につれて忘れてしまいます。だからこそ、液体ミルクの重要性を継続的に伝え続ける人がいない。それも認知が広がらない要因です」(末永さん)

いくら使う期間が短いとしても、災害時においては液体ミルクがときに赤ちゃんの命綱となる。被災した赤ちゃんが母親とはぐれてしまう場合もあるだろう。

水越さんは、東日本大震災にあった当時、幼い子どもと離れた場所で被災したため大きな不安に襲われたというが、「そこに液体ミルクがあったなら、たとえ赤ちゃんのお世話をよく知らない人だったとしても、封を開けるだけで赤ちゃんに授乳できるのです」と語る。

末永さんはまた、被災しても普段通りの栄養方法を継続できる環境づくりが大切だと指摘する。

「実は赤ちゃんの9割は普段から母乳を飲んでいて、その約半数が母乳とミルクの混合で育児されています。普段飲まないミルクを拒否してしまう赤ちゃんもいます。なので、ミルクの備蓄だけではなく、授乳のための室内テントや授乳ケープをセットで備蓄するなど、すべての赤ちゃんの栄養を確保できる仕組みづくりも大事です」(末永さん)

子育て世代ではない人々も広く液体ミルクの知識を得ることは、災害における「共助」となるのかもしれない。赤ちゃんの命を救えるのは、隣人である「あなた」なのかもしれないのだから。

末永恵理
乳児用液体ミルクプロジェクト(一般社団法人 乳児用液体ミルク研究会)代表理事。赤ちゃんがすぐ飲める「乳児用液体ミルク」の日本発売を願い、2014年にオンライン署名活動を立ち上げる。2015年からは企業や行政への働きかけも始め、法整備に向けて尽力した。

水越由利子
江崎グリコ株式会社ベビー・育児・果汁・清涼飲料マーケティング部ブランドマネージャー。自身の子育て経験から「この商品は、日本に絶対必要」という強い信念のもと、当時、日本には適用する法制度もなかったにもかかわらず、行政に法の制定を投げかけるところから始めるという、異例の商品開発を成し遂げ、ついには日本初発売を実現した。「日経WOMAN」ウーマン・オブ・ザ・イヤー2020選出。

取材・文=高木さおり(sand)