Netflix(以下、ネットフリックス)はキャスト・スタッフが制作現場で安心して働ける環境を作るため、“リスペクト・トレーニング”をまずオリジナル作品から導入した。このトレーニングの目的は、互いにリスペクトし尊重し合う気持ちを現場の共通認識とすることだ。

リスペクト・トレーニングを日本の映画会社として初めて制作現場に導入したのが、東映が配給する白石和彌監督『孤狼の血 LEVEL2』(※)。その狙いと効果を白石監督に聞いた。

(※) 2021年8月20日に全国一斉公開。

ハラスメントが“武勇伝”として語られてきた土壌

――まず、リスペクト・トレーニングを監督が知ったきっかけを教えてください。

白石氏:
ネットフリックスさんが『全裸監督』をやるにあたってリスペクト・トレーニングを行ったというニュースを見て、「こういうことを日本でもやるんだ」と調べてみたら、ハリウッドではすごく進んでいることを知りました。

以前からハラスメントについて疑問を持っていて、実際に自分も現場で上司から暴力を振るわれたこともあったし、逆に自分が助監督時代にスタッフに暴力を振るってしまったこともありました。だからまずは自分でやれる範囲でと、例えば自分の撮影スタッフやキャストに対して「セクハラやパワハラ、大声をあげるのもやめてほしい」という話はしてきました。

そうこうしているうちに映画界でハラスメント問題が話題になることが多くなって、「これはやはり声を上げた方がいいな」と考え、今回、東映さんにやってみたいと相談したのです。

リスペクト・トレーニングを映画制作現場に導入した白石和彌監督
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――映画の制作現場というと怒号が飛び交うイメージがありますが、実際にハラスメント体質があると監督はお考えですか?

白石氏:
映画界には映画監督のハラスメントが武勇伝、伝説として語られてきた土壌があります。「非人道的なことも顧みず作品を作ることが、傑作を生み出すためには必要だ」というような考え方があるのですね。僕も最初はそれが必要だと思っていたんですけれど、監督になって違うんじゃないかと気がつきました。

僕の師匠の若松孝二監督は、「助監督を怒って現場に緊張感を持たせるのが俺の演出方法の1つだ」と公言していました。僕と若松さんは長い関係性があって恩義しかないんですが、ただ現場の緊張感を作るのにわざわざ助監督を怒らなくてもいいんじゃないか、今の時代にはそぐわなくなってきていると感じています。

プロデューサーの飲み会の誘いを断る自由

――今回のリスペクト・トレーニングで監督はどのようなことを学びましたか?

白石氏:
まず、監督という立場で役者と話す場合は、第三者を入れるべきだということ。役所広司さんと僕が2人で話す時は、僕の方がむしろ「はい、じゃあそれでお願いします」みたいな感じになりますけど(笑)、デビューしたての女優さんと2人きりは良くないし、スタッフもそうだと思うんです。立場が上であるほど気をつけなければいけない、という当たり前のことを改めて気づかされました。

――確かに上下関係がパワハラを生みやすいですね。

白石氏:
例えば、プロデューサーがスタッフを労いたいと飲みに誘う。皆仕事が忙しいので断ろうとしても、「お前、プロデューサーが飲みに行こうと誘っているのに断るの?」と。これもハラスメントですね。誘うのは自由ですけど、断るのも自由であるべきだと。

また、あだ名でスタッフを呼ぶことも相手がどう思っているか次第だといいながら、その境目って実はセンシティブですよね。

リスペクト・トレーニングはキャスト・スタッフを対象に行われた

「いまリスペクト入ってないんじゃないですか?」

――トレーニングを受けたスタッフの反応はいかがでしたか?

白石氏:
現場で少し笑顔が増えたと思います。感情的になっている人に「あ、ちょっといまリスペクト入ってないんじゃないですか?」って言えるようになったし、その人も「あ、そうだったね」と深呼吸したり。

自分もそうですが、人はなかなか自分の感情をコントロールできるようにはなれません。そこで自分から「ちょっとイライラしているように見える?」と助監督に聞いて、「見えますよ」と言われて「そうだよね」と一呼吸おくようになって。それができるだけでもすごく雰囲気が変わったと思います。

――そんな様子をキャストの方々はどう見ていましたか?

白石氏:
俳優さん側から「とてもよかった」と言われました。俳優さんは様々な撮影現場に行くので、目の前で監督が助監督やADさんを怒鳴り散らしているのを見ることもあると思うんです。それを見ながら「これから芝居しよう」と言われても難しいですよね。だから、そういうのがなくなるだけでもすごくよかったと。

怒鳴り散らして緊張感が増すなんてことはないですよ。嫌な雰囲気になるだけで。それで「緊張感がでたね、いいシーンになったね」なんて俳優さんたちは思っていませんし、それは作り手側の勘違いや欺瞞ですね。

「監督が怒鳴り散らして緊張感が増すなんてことないですよ」

映画好きの気持ちに支えられてきた制作現場

――映画業界のタイトな制作スケジュールも、時にハラスメントの原因になっていると聞きます。

白石氏:
日本映画の制作現場の構造的欠陥です。例えば、スタッフが徹夜で作業してそのまま翌日も現場があると。そうすると集中力もなくなるし、本番中にうたた寝して「何をやっているんだ」と怒られて。その余裕の無さが悪循環を招くことは往々にしてありますね。今回も改善したいと臨んだのですが、なかなか追いつかなかったという反省があります。

――ハリウッドではユニオン(労働組合)がしっかりしていて、働く人の労働環境が守られています。

白石氏:
日本ではハリウッドのような仕組みが無いことが非常に大きいです。多分、制作現場で働いている人のギャランティは30年前とほとんど変わっていないですね。そのくらい日本の映画業界は疲弊しているのに、それでもなぜ映画が作られているかというと、映画好きの気持ちだけなんです。映画が好きだからたとえ儲からない業界だとわかっていても、まだまだ入ってきてくれる。そういう人たちにある意味、つけ込んで働かせることで経営が成り立っている。多分これまで僕も、そこに乗っかって映画を作っていたはずです。

若い人たちを守るためにやっている

――映画業界ではどんな反響がありましたか?

白石氏:
リスペクト・トレーニングが知られ始めてから、すごく声をかけられるようになりました。この業界に入りたての人から「もうちょっとがんばろうと思いました」や「白石さんのところで働かせてください」と言われることもあります(笑)。リスペクト・トレーニングは誰のためにやっているのかといったら、やはり若い人たちのためです。これから業界に入ってくる人たちを守るためという気持ちがすごくあります。

――今後もリスペクト・トレーニングを続けますか?

白石氏:
可能な限りやりたいと思っていますね。今回も、見ているとトレーニングに参加した人と参加できなかった人はちょっと違うんですよ。タイミングがクランクイン直前になると、どうしても参加できない人がいるので、動画をあとで配信するなど研究する余地がありますね。

リスペクト・トレーニングでなるほどと思ったのは、例えば「こんなハラスメントを受けました」と第三者機関に通報しても、狭いコミュニティなので「多分あいつが言ったんだな」となります。その時、報復するような行為は絶対にやってはいけないことで、みんなで守らなければいけないということです。

『狐狼の血 LEVEL2』配給東映。2021年8月20日に全国一斉公開

いま変わらないと日本映画の未来はない

――こうした取り組みが広がることによって、映画制作現場だけでなく社会全体が変わるといいですね。

白石氏:
映画業界は変わるチャンスだし、映画業界が率先して変われば社会のお手本になれます。僕は今こそ変われるんじゃないかと思っています。それをやらないと、若いスタッフが本当にいなくなりますよ。

映画を作る仕事は人生を捧げてもいいほどの価値がある、面白い仕事だと僕は思っています。若い才能を呼んで育てる。本当に働きやすい環境を作らないと、日本映画の未来はないと思います。

――ありがとうございました。

「いま変わらないと日本映画に未来はない」と話す白石監督

「そこにリスペクトはあるか?」と立ち止まる

トレーニング内容は国ごとに違うが、日本ではピースマインド株式会社をはじめとする団体が、講習内容の開発と実施を委託され運営している。ピースマインド代表取締役社長の荻原英人氏はこう語る。

「リスペクト・トレーニングでは、セクハラやパワハラの知識を身に着けるとともに、ハラスメントにならないためにどんな相手にもリスペクトを持ってコミュニケーションをとってもらいたい、どんな場面でも『そこにリスペクトはあるか?』と立ち止まって考えてもらいたいというメッセージを伝えています」

トレーニングの所要時間は1時間程度だ。

「現場の事例をもとに参加者がディスカッションします。様々な経験や背景をもったスタッフ・キャストがいるので、どんな参加者にも伝わるよう、できるだけわかりやすい表現を用いています」(荻原氏)

また、日本ではピースマインド社がハラスメント・ホットラインを設けており、相談者に対して心理的サポートや今後のアドバイス、また必要に応じて相談者の同意をえたうえでプロデューサー等に事案を報告している。

(インタビューを除くサムネイルほか写真は (C)「孤狼の血 LEVEL2」製作委員会より)

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】