東京都庁は2021年2月、デジタルシフトで新たな都政をつくる「シン・トセイ」戦略を発表した。主導する宮坂学副知事はIT業界から転身後、都庁のデジタル化の陣頭指揮をとり「新型コロナウイルス感染症対策サイト」を立ち上げて一躍時の人となった。その宮坂氏が考える東京都の新たなデジタル戦略とは。

シン・トセイは「逃げ場をなくす」ネーミング

――2月に都庁では都政の構造改革戦略として「シン・トセイ」を発表しましたが、このネーミングにはどんな想いを込めたのですか?

宮坂氏:
最初に部下からこの案で行きたいという提案を聞いたときはリスクの高い名前だと思いました。もし改革が緩いと「現都政のままじゃないか」と絶対に言われますから。いまは「逃げ場をなくす」という意味でいい言葉だなと思っています。

「シン・ニホン」を書いた安宅和人さん(ヤフーCSO)と「このままだとチン(沈)・ニホンだよね」と話していたのですが、いまの日本はチン・ニホンとシン・ニホンの分岐点にあるし、都政のデジタルシフトもチン・トセイとシン・トセイの間にいて、まさに正念場だと思っています。

シン・トセイ(東京都の資料より)
シン・トセイ(東京都の資料より)
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――宮坂さんがIT業界から転身したのが2019年9月。その後都のデジタル化を主導し、コロナ対策にも尽力してきたのですが、この1年半を振り返って都庁は変わりましたか?

宮坂氏:
最初はスマートシティ構想をやるのかと思って入ったのですがコロナになって、いまは都政のデジタルの利活用を推進する構造改革にどっぷりとつかっていますね。職員の皆さんはどう思うかわからないですけど、自分が見ている感じではかなり変わったと思っています。都庁に来た日は自分の部屋にWi-Fiがなくて、どうしようかなと。前職ではインターネット使い放題で回線も速くて、スマホを使いPCもデュアル・ディスプレイという環境で仕事をしていました。そこから一気に違う環境に来たので最初は結構びっくりしましたね。とはいえ少しずつ変わってきてはいますが。

東京都のデジタル化を主導する宮坂学副知事は、元ヤフー社長という異色のキャリアの持ち主
東京都のデジタル化を主導する宮坂学副知事は、元ヤフー社長という異色のキャリアの持ち主

最初はオンライン会議でハウリングしまくった

――例えばどんなところが変わってきましたか?

宮坂氏:
以前は会議に端末を持ち込む景色はあまり見なかったのですが、いまは普通になっていますね。1月から僕へのレクも原則オンラインにして、同じビルにいても「来ないように」と言っているんです。そのぐらいやらないと変わらないですよね。

最初は確かに混乱がありました。オンライン会議で画面共有できないとか、皆マイクをオフにできなくてハウリングしまくるとか(笑)。しかし1、2週間あればオンライン会議は普通にできるようになりましたね。

――前回のインタビューでは業務のデジタル化の一環として、ペーパーやFAXなどをいかになくすかという話がありましたね。その後いかがですか?

宮坂氏:
ペーパーレスは25%減、FAXレスは73%減らすことができました(※)。キャッシュレスは2021年3月末までに入場料等が必要な都立施設の54%で導入見込みなど、アナログをデジタルに変える取り組みは1年前と比べると数字で見ても進んだと言えます。加えて、主要行政手続(許認可件数等の約98%)のデジタル化にも力を入れているところです。

ペーパレス化で決済箱の稟議書類も一気に減った
ペーパレス化で決済箱の稟議書類も一気に減った

(※)いずれも前年同月比2021年1月実績

阻んできたのは固定電話とメタ認知能力

――そうすると“道具”も変えないといけませんね。

宮坂氏:
これまで日常的に使っていた端末はZoomができなくて、部局のZoom専用タブレットで会議をやっていたのですが、ルールやシステムを変え、回線を増強したりIEしか使えなかった端末をGoogle Chromeも使えるようにしたり、YouTubeも解禁しました。そういった地味ですが端末周りの整備をかなりやったので対応できるようになりましたね。

――シン・トセイでは、コア・プロジェクトとして「未来型オフィス実現」というものがあります。10年程前にフリーアドレスを導入したものの定着しなかったという話も聞きましたが、これまでなぜできなかったのでしょう。

宮坂氏:
たとえば未来型オフィスが進まない理由の1つとして、固定電話の影響が結構大きいと思います。固定電話があるとフリーアドレスができません。しかし固定電話の世帯普及率はすでに50%を切っていて、一方でスマートフォンの普及率は約140%です。世の中の半分の人が使ってない典型的な昭和の道具では、令和らしい柔軟な働き方は無理ですね。

典型的な都庁の職場。フリーアドレスがすすまない原因は固定電話とメタ認知能力
典型的な都庁の職場。フリーアドレスがすすまない原因は固定電話とメタ認知能力

――未来型オフィスを阻んできたものは、固定電話だけですか?

宮坂氏:
組織としてのメタ認知能力の問題もあります。職員の多くが試験を受けてプロパーで入ってきて、転職組が少ない。そうすると職員が自分たちのいまいる位置を民間と比べて客観的に認識するのは難しいですよね。これも課題としてあると思います。

「ゴルフでいうとスイングがおかしいんですよ」

――次は都民に向けたサービスについて伺いますが、都民には「お役所仕事」に対する根強い不満がありますね。

宮坂氏:
調査をすると「行政サービスをデジタルでやってほしい」というニーズは特に医療や教育で高いのですが、満足度が低いというのが東京都の現在地です。シン・トセイの中に改革の5つのキーワードがあります。一つは「スピード」。都民のニーズがあっても1年間に1回しか予算を作れないので、すぐに対応できない。「オープン」では、慣れ親しんだ事業者と職員だけでいつも話して、本当にいいのかよくわからないものができてしまうのを変える。都民目線に基づく政策やサービスをつくる「デザイン思考」や、民間でしたらサービスをつくる時必ずプロトタイプをつくって「アジャイル」に何回も改善を繰り返しますが、それがなされてきませんでした。

シン・トセイ(東京都資料より)
シン・トセイ(東京都資料より)

――行政にユーザー目線が足りなかったと。

宮坂氏:
そうなると絶対にいいものはできませんね。だから「見える化」が必要で、結果は必ず数値化してだめなものはやり直さないといけない。

サービスの質がコンスタントに低いというのは、ゴルフでいうとスイングがおかしいんですよね。毎回ダフっている状態だからスイングすべてを直さないといけない。デジタル化というピンの位置はわかっているのに、グリーンに毎回乗らないのはこの5つができていないからです。

「サービスの質が低いのは、ゴルフでいうとスイングがおかしいから」
「サービスの質が低いのは、ゴルフでいうとスイングがおかしいから」

Amazonはなぜ毎回住所を入れないのか

――都民にはワンストップ、つまり「同じ書類をいくつもの窓口に出さなければいけないのをやめてほしい」というニーズもあります。

宮坂氏:
なぜAmazonで買い物をするとき毎回住所を入れなくていいのかというとIDがあるからですよね。一方行政はIDを使用せずにサービスを行っているので、常に住所や名前を入れなければならないという状態です。

IDの問題は国としっかり連動する必要がありますが、個人について国ではマイナンバーでいくことが固まりました。ただ、都の事業等で関わることが多い法人のIDをどうするのか。これが固まってくれば、住所を書くのは人生で引っ越しをしたときの数回でいいとなるんじゃないですかね。

――コロナのワクチン接種が始まりましたが、コロナ禍では保健所の情報体制が課題として顕在化しました。これは解決に向けて進んでいますか?

宮坂氏:
保健所の情報化のために最初はAIを使おうと思ったのですが、忙しい現場でまったく新しいことをやると学習に労力が割かれてしまうことがわかりました。ですからまずはいま使っている道具をバージョンアップしようと。デュアル・ディスプレイを装備するとか、端末のスペックを良くするとか、Wi-Fiを入れるとか、電話がヘッドセットになるとか。これは地味ですが効果があるので、いま取り組んでいます。現場のやり方を無理やり変えると破綻するおそれがあるし、忙しくて学習できない人もいる。仕事を回しながらどうやって動かしていくのかが重要で、現場なしのデジタル化をやると本当に危ないです。

“昭和100年”までにデジタル化の基盤を

――宮坂さんは以前「2025年が“昭和100年”にならないようにしないと」とおっしゃっていましたね。

宮坂氏:
昭和から平成の間に経済・社会活動が徐々にデジタル空間にシフトしたのですが、日本企業はそのシフトに気が付くのが遅れてしまい、世界における存在感が小さくなってしまいました。行政はさらに気づくのに遅れたのですが、そこに眠りを覚ます蒸気船みたいなコロナがやって来た。行政はいま初めてデジタル化の必要性に直面しているというのが現状です。

――2025年までに昭和を脱すると。

宮坂氏:
世界が変わりデジタル空間が急速に動いているのを認識したうえで、リアルとデジタルの両方で何が起きているのかをみないとデジタル化が遅れます。行政のデジタル化の基盤作りは平成でやっておくべき仕事でした。それを昭和100年、つまり2025年までにはデジタル化の基盤作りは確実に終わらせて、令和に入っていくことが大事だと思います。

――反省は必要ですが過ぎた時代を悔やんでもしかたない。昭和100年までに行政も民間もきっちり令和に向かいましょう。ありがとうございました。

「昭和100年、つまり2025年までにデジタル化の基盤づくりを終わらせる」
「昭和100年、つまり2025年までにデジタル化の基盤づくりを終わらせる」

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【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。