パラリンピック出場を目指す谷真海選手

パラリンピアンの谷(旧姓:佐藤)真海さんは、2020東京オリンピック・パラリンピック招致委員会のプレゼンターとして、2013年ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、世界に感動を与えるスピーチを行い招致決定に大きな貢献をした。

谷さんは走り幅跳び競技で、2004年アテネは9位、2008年北京は6位入賞、2012年ロンドンでは自己記録を更新し9位。2014年に結婚し、翌年第1子となる男児を出産。現在トライアスロンで東京パラリンピック出場を目指している。

谷さんにこれまで、そして今後のパラリンピックの姿について伺った。

「トライアスロンはダイバーシティの象徴みたいで」

撮影:竹見脩吾
撮影:竹見脩吾
この記事の画像(5枚)

ーー谷さんは走り幅跳び選手だったわけですけど、東京はトライアスロンで出場を狙いますね。まず、なぜトライアスロンを選んだのですか?

走り幅跳びを10年、パラリンピックにも3大会出場することができて、ロンドンの翌年に5メートルという自分の目標にしていた大台に乗れて、世界選手権でメダルを取れて。その後結婚して、妊娠してというのもあって。そこで『走り幅跳びは一区切りかな』というときに、ずっと『トライアスロンをやりたいな』という気持ちはあったので始めて行こうかなと。

ーートライアスロンという競技のどこに魅力がありますか?

トライアスロンは、ダイバーシティの象徴みたいな種目で、競技年齢の幅もかなり広いですし、もちろん障がいのある選手も一緒にスタートできます。すごくいい種目だなぁと思ったのと同時に、これは長く続けていけるんじゃないかなと思って始めました。

やっている方達がすごく生き生きしていて、常に目標のある人生って素敵だなと感じました。

「あー、自分もこういう生き方をしていきたいな」

撮影:竹見脩吾
撮影:竹見脩吾

ーー谷さんはパラリンピックに2004年から3回連続出場しているのですが、それぞれの大会の中でパラに対する考え方や姿勢はどう変化しましたか?

自分の状況も世界の状況も、一回一回すべてが変わっていきました。2004年のアテネというのは、自分自身が駆け出しのアスリートで、世界で戦うにはまだ準備が足りないという時期でした。もちろん満足いくような結果ではなかったんですけど、パラリンピックというものを実際に自分の目で見られたことは、自分の人生にすごく影響しています。

ーーどんなところに影響を受けましたか?

競技のレベルの高さもそうですし、選手たちの生きざまや覚悟というのが、表情や姿勢から感じられて、「あー、こういう生き方を自分もしていきたいな」っていう風に大きな刺激を受けた場所でしたね。

「ビール片手に楽しんでもいい」

ーーロンドンはパラリンピックが大きく飛躍した大会と言われますけど、そう感じましたか?

そうですね。もう全然違いました。世界中の選手たちみんなが「史上最高」と言う大会でした。運営も、盛り上げも、応援もそうですし、いちスポーツとしての扱われ方もですね。日本ではパラリンピックは、メディアに出ても『障がいを越えて』といったストーリー性が重視される部分がありました。アスリートとして、スポーツとして表現されていたところが、ロンドンが成功した要因でしょうし、観る人たちの意識も変えたところだと思います。

ーー何故ロンドンで、パラリンピックへの意識が変わったんでしょうね?

イギリスでは、企業が『パラリンピック・チャレンジ』という草の根運動をしていて、たとえばサッカーのベッカム選手がアンバサダーとなって学校訪問したり、ブラインドサッカーのCMに出たり。そういう草の根運動に加えてメディアのCMとかテレビ番組もあって、すごく時間をかけて変えていった感じがあります。

テレビでの出し方や運営の仕方について、トライアル・アンド・エラーを3年、4年とやるうちに、スポンサーも増えたりお客さんも増えたり、運営側が魅力的になったり、というのもあったかなと思います。

ーー運営が魅力的というのはどんなところですか?

運営は日本も得意ですよね。その盛り上げというか、応援の仕方や雰囲気も含めてです。それは国民性が影響する部分でもありますが、パラスポーツが文化として根付いている感じがイギリスにはありました。

日本はパラスポーツというとどうしても構えて見てしまう部分があると思うんですけど、もっとビール片手に楽しんでもいいと思うんですよね。そういう感覚がイギリスにはあったかな。

(後編に続く)

(執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款)
(写真撮影:竹見脩吾)

「ミッション東京2020」すべての記事を読む
「ミッション東京2020」すべての記事を読む
鈴木款著
鈴木款著
鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。