造船所が復興に向け新たな一歩を

カツオやサンマなど、全国でも有数の水揚げを誇る“水産都市”宮城県気仙沼市。
漁業だけでなくさまざまな産業がまちを支えている。

その一つが造船業だ。ライバル関係にあった造船所が合併して作り上げた会社が、復興に向けて新たな一歩を踏み出した。

9月8日、気仙沼市に「みらい造船」の新しい工場が完成した。小型から中型漁船の新造と修繕を中心に行う、日本でも数少ない造船所だ。

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みらい造船 木戸浦健歓社長:
2011年、僕らはがれきの中で新しい造船所の夢の話をしました。気仙沼の造船所が合併するなんてありないよと笑われたこともあります。それでも僕らは1つのチームでした

みらい造船は気仙沼市に古くからある、4つの会社が震災後に合併して誕生した。
合併した会社の1つ、木戸浦造船の社長でみらい造船でも社長を務める木戸浦健歓さん。

ーーどこまで津波が来たのか?

みらい造船 木戸浦健歓社長:
見えるところまで言えばクレーンの中段あたり

木戸浦造船は震災で工場が被災し、当時請け負っていた5隻の船も津波の被害を受けた。
さらに、敷地が地盤沈下し、工場の再開は困難を極めた。

みらい造船 木戸浦健歓社長:
非常に(工場を)直すのが難しい。働く人がちょっとずつ、(工場を)直していってという仕事場に対して、若い人が未来を描けるかって言ったらちょっと難しいですよね

ライバル関係にあった他の3社も、津波で同様の被害を受けていた。
気仙沼のために造船業を残したい。共に抱いていた思いが合併へとつながる。

みらい造船 木戸浦健歓社長:
造船業がなくなると、やはり地域の中で困る人が出てくる。看板をなくしても、「みらい造船」という名前にしても造船業が残れば、社会的責任を果たせるのではないかと皆さん思っていたんじゃないですかね

遠洋、沖合漁業の基地として、カツオやサンマなど、全国屈指の水揚げを誇る気仙沼。漁師が魚をとり消費者の手に届けるまで、造船や加工、流通といくつもの産業が支え合っている。

みらい造船 木戸浦健歓社長:
震災後に分かったのは、造船所の仕事、もちろん他の世の中の仕事全部そうですけど、1社だけで完結する仕事ってほぼないと思うんですね。造船所が無くなることによって困る人が連鎖反応的に出てきちゃう

最初のお客さん

この日、「みらい造船」へ一番最初に船を発注した船主が工場を訪れた。

臼福本店 臼井壯太朗社長:
これかっこいいと思いません?スタイリッシュな

遠洋マグロ漁を営む、臼井壯太朗さん。

臼福本店 臼井壯太朗社長:
気仙沼で船を造るのは何十年ぶりですかね。60年ぶりとかそれぐらい。地元の人に元気になってもらいたいと思って、地元の技術力も発信していきたいなと思って

所有する船に代々「昭福丸」と名付けている臼井さん。今回の船は「第一昭福丸」と名付けた。

臼福本店 臼井壯太朗社長:
造船所にちなんで、一番船という号数もらったし、この船で色々新しいことを取り組んでいきたい。乗組員が乗りたいという船にしていきたいと思っているので、そういうことも考えて第一昭福丸という。みらい造船で船を造ってみたいなと思ってくれる人が、国内外に出てくれば良いかなと思う。そうすれば船を作る技師の人たちの後継者も増えると思うし、そうすれば我々の産業にもつながっていくと思う

みらい造船の名前の由来は、「100年先の未来まで続く会社へ」。
新工場には、船をエレベーター式で上架させる「シップリフト」を採用した。全国でも数少ない設備で、船を防潮堤の内側へ運び、守る。

みらい造船 木戸浦健歓社長:
きょうここから僕らの新しい歴史が始まります。新しい夢を見ましょう。未来に向かってともに船を出しましょう。最新の設備を使って、一番現代的な造船所だけど、そこから次の世代、次の次の世代、100年先の未来まで続く会社でありたい

“水産都市”気仙沼の復興へ向けて、みらい造船の挑戦は始まったばかりだ。

(仙台放送)

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