「あと1年、自分の気持ちと体がもつのかな…」

こう言い残し、バドミントン女子ダブルスで人気を博したタカマツペアの高橋礼華選手は引退を選んだ。

ラグビーW杯で史上初の決勝進出を果たした福岡堅樹選手も、7人制ラグビーでの東京オリンピック出場を諦め、医学部進学を決断した。

ロンドンオリンピックで活躍し、東京でも活躍が期待されたバレーボール女子の新鍋理沙選手も引退を発表。

オリンピックを目指す選手にとって、1年という時間はあまりにも長く、東京オリンピックの延期はいくつもの運命を変えた。

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一方、出場を目指す選手の中でも、先延ばしになった1年の中でスランプに陥る選手や、ピークを過ぎて傷だらけになった肉体に向き合う選手もいる。

延期に翻弄されながらも、未来への確かな一歩を踏み出す、男子バスケットボール日本代表の中心選手、篠山竜青選手と辻直人選手の戦いに密着した。
 

年齢をひとつ重ねることによって…

オリンピックを目指す選手にとってあまりにも長い、1年の延期。

男子バスケットボール日本代表の中心選手たちもまた、気持ちと計画を大きく揺さぶられた。

日本代表のキャプテン、篠山竜青選手。

1988年生まれの篠山選手は、技術だけでなく、頭脳や人望も問われるポイントガードだ。

有利とされる左利き。3歳で片手シュートをマスターするなど非凡な少年で、小学校、中学校、そして大学でもキャプテン。

所属する川崎ブレイブサンダースでも、7年前からキャプテンを務め、今やBリーグを代表する人気選手だ。

「コート上の監督とか司令塔とか。次のオフェンスは、『こうやったらこうなってこう出来るだろう』みたいなものが見えてくる瞬間があって、『これこれ』ってゾクゾクする瞬間が一番気持ちがいい」

そう話す篠山選手は、2006年にU-18日本代表に選ばれると、2009年にはU-24日本代表に、2016年に27歳で日本代表に初選出されると、体を張った献身的なプレーで東京オリンピック出場権獲得に貢献。

順風満帆とも言える選手生活を続けてきた。

提供:川崎ブレイブサンダース
提供:川崎ブレイブサンダース

しかし2019年、試合中に利き腕の左ひじを脱臼するアクシデントに見舞われた篠山選手。

全治3カ月の診断を受け、厳しいリハビリを重ねながら、半年後に迫る東京オリンピックにピークを合わせるつもりだった。

そこで届いた「1年延期」のニュース。

けがの回復にはプラスのはずだが、本人は「もう32歳。これからどんどん若い選手たちも成長すると思うし、2020年夏が自分的にはギリギリなんじゃないかというのは、心のどこかにずっとあったので…」と複雑な表情を見せる。

年齢をひとつ重ねることによって失われた夢が、どれほどあることか…。
 

先延ばしになった間に復活を目指す男

一方、1年の延期を朗報ととらえる選手たちもいる。

篠山選手のチームメイトで、辻直人選手がその1人だ。

「僕だけのことを考えたら、延期はちょっと良かったと思っています。またこの1年モチベーションを高く持ってやりたいなとは思いましたね」

そう語る辻選手は、バスケの名門・洛南高校出身で、全国大会の決勝で篠山選手がいる北陸高校と対戦して勝利し、日本一になった経験を持つ。

ポジションはシューティングガード。スリーポイントシュートを最大の武器とするポイントゲッターは、2013年から日本代表に名を連ね続けているが、今、不調に悩んでいた。

得意にしていたスリーポイントシュートが入らなくなり、自分を責める日々。

2019年に、2度目となる左肩関節脱臼で手術をしてから、バランスが崩れてしまったのだ。

かつてのシュート精度を取り戻すには時間が必要と考え、諦めに似た気持ちを抱いていた矢先に、東京オリンピックの延期が発表された。

足りないと思っていた時間が伸び、さらに最愛の息子・大誠くんの言葉が、気持ちを正してくれたと話す。

「将来何になりたいかみたいな話をしていたときに、大誠が『オリンピック選手になる』と。五輪っていう話なんか全然していなかったのに、いきなりそう話していて、『それやったら先にパパがもうちょっと頑張るよ』みたいなことを言って。そこでもう1回もがいてみるかというか、この1年もう1回頑張ろうと思いました」

辻選手は、6年前に妻の安里さんと結婚、大誠くんと妹の奈々ちゃんとの4人家族だ。

バスケで家族を養い、バスケが父としての誇りなのだ。
 

プロの自覚が変えた意識

2019年、日本代表は21年ぶりとなるW杯自力出場と、オリンピック出場権を手に入れた。

日本代表がやっとのことで手にしたオリンピックへの切符は、40年以上も前となる1976年のモントリオールオリンピック以来のものだ。

このバスケ界にとって長く苦しい時代の背景ともなった国内のいざこざを乗り越え、日本のバスケが生まれ変わるきっかけとなったのが、2016年に開幕したBリーグだ。

この統一プロリーグが誕生したことで、ようやく東京オリンピックの出場権をつかんだのだ。

“プロ”の自覚が、選手達を変えた。

「もともと小さい頃の夢は実業団選手だったんで。そもそもプロ志望じゃなかった」

実業団の選手だったころ、篠山選手は東芝の正社員として働きながらプレーしていた。

Bリーグの発足がきっかけでプロになった篠山選手は、安定した生活を捨て、それが選手としての飛躍を呼んだ。

プロチームになったことで、競技に専念する環境が徐々に充実していったという。

クラブハウスでは1人一部屋が与えられ、独身であれば住むことも出来る。

ランドリールームや大浴場、トレーニングルームにケアルームも完備され、食堂での食事も栄養が管理されたものだ。

プロゆえの高待遇は、一方で結果次第で居場所や収入を失うリスクにもつながる。

そんな中でも不安はあまりなかったと、辻選手は当時を振り返った。

「1年目新人王、2年目で優勝してファイナルでMVPをとって、その時にはすでにプロになりたいと思っていた。バスケだけの評価で生活していけるのであればなりたいと思っていた」

プロになったことで意識も変わったと続けた辻選手。

闘病中の少年が、試合会場で辻選手を観戦することを目標に治療を続け、病気を乗り越えたことをきかっけに、社会貢献にも乗り出したという。

「スリーピース」と名付けた活動で、スリーポイントシュート1本につき3,333円を児童施設などに寄付している。

「今まで僕のバスケ人生は、皆さんの応援が後押ししてくれていると思っていたんですが、自分からファンの人に向けて、命に関わることができたということが凄い衝撃だったんです。生きていく上で励みになったらいいなと思ったんで、そういうことがしたいなと」
 

スランプを乗り越えて…運命が動き出す

篠山選手は利き腕の左ひじの脱臼に見舞われ、その後も怪我が絶えない日々を送っていた。

辻選手のスリーポイントシュートも、調子はまだまだだ。

しかし2020年4月、緊急事態宣言を受け全国的な自粛生活に入り、チームも完全に活動を停止する中で、自分を見つめる時間ができたことが、2人の運命を変えていくことになる。

緊急事態宣言から2ヶ月あまりが経った頃、川崎ブレイブサンダースはトレーニング器具の除菌などコロナ対策を万全にしながら、チームでの練習を再開していた。

辻選手は、この自粛期間中にシュートフォームを変え、手の使い方を変えたところ、よりなめらかに打てるようになったと言う。

「今までボールの真ん中に右手を置いていたんですが、それを少しだけ右の方に」と語るが、素人には見分けがつかないほど小さい変化。

しかし20年以上頼ってきた技術との、大きな決別だ。

「決断はめちゃくちゃ重かったです。ある日は入ったりするんですが、また後日全然入らなかったり。エアボール(シュートがリングやボードにかすりもせず外れる)したりもしました。
『前のほうがいいか』と思うこともありましたが、自分の中で本当に大きな決断だったんで、1回やると決めたので、そういうことは思わないようにしようと思って今もやっていますね」

一方、体力の衰えと戦う篠山選手は、怪我の防止とパフォーマンスの向上が目的だという独特なストレッチを始めた。

地面を這うように前進しながら左右の手足をバラバラに伸ばすストレッチ。

「自分のイメージ通りにしっかり体を動かせるというのが一番しっくりくるかな。中学の時それが一番バシッとハマっていたんですよ。一番うまかったときの自分に戻れそうかもという感じなんです」

本人提供
本人提供

目指すのは中学時代の自分自身だ。

筋肉が少ない分体が軽く柔軟で、力みもないためすべての動作が軽やかだったと言う。

東京オリンピックの延期を嘆くのではなく、1年という時間を「新しい自分を探すために使う」と、篠山選手は決めていた。

「伸びしろはまだある」と、力強く断言した。
 

信念を貫き勝ち取った勝利

2020年10月に開幕したBリーグ。

家族の応援を力にスランプを脱したい辻選手だったが、フォームを変え、最大の武器となるはずのスリーポイントシュートは1本も決まらない。

敗退に涙を見せた最愛の息子に勝利を約束し、3日後に迎えた次の試合。

相手は、1億円プレーヤー富樫勇樹を擁する千葉ジェッツだ。

辻選手は1本目のスリーポイントシュートを失敗、2本目も入らず、感覚をつかめないままベンチへ下がっても、新しいフォームを信じると決めていた。

再びコートに呼ばれ、ボールをもらう。

篠山選手とのパス交換から、勝負どころで見事なスリーポイントを決めた。

その後合わせて6本のスリーポイントを決め、チームは逆転勝利。

苦しみながらもつらぬいた信念に、間違いはなかったことを証明してみせた。

提供:川崎ブレイブサンダース
提供:川崎ブレイブサンダース

12月、篠山選手も転機を迎えていた。

主力の外国人選手がケガで離脱したため、緊急補強で新たに外国人選手2人と契約したのだ。

新戦力をどう活かすかは司令塔次第で、練習を重ねる中、ある結論にたどり着いた。

篠山選手は迎えた一戦で、自ら志願しベンチスタートに。

消耗の激しいバスケには、途中から出る第二のチーム・セカンドユニットがあり、新しい外国人選手を活かせる自分は、あえて彼らと一緒に途中出場するという策に出たのだ。

新外国人2人を含む全てのメンバーを活かす動きを随所に見せ、これまでリーグの首位に立つレジェンド・田臥勇太率いる宇都宮ブレックスに、競り勝った。

かみ合ってきた頭脳と体。

年齢の壁を越えた篠山選手はその後も活躍を続け、チームの快進撃に貢献した。
 

「1人1人の一歩が次の大きな一歩に」

一歩ずつ進んでいる日本のバスケ。

この次の一歩について、2人に聞いた。

篠山選手は真剣な眼差しで、その“一歩”の大切さを説いた。

「日本バスケの一歩は、本当にそれぞれの一歩だと思うんですよね。1チームの所属が長くて、このチームで10年目を迎えているわけですけど、9年目までには無かった新しい一歩を人知れず踏んでいるつもりではいますし、もっと良くするために何かを変えようという1人1人の一歩が、次の大きな一歩につながるんじゃないかなと思っていて」

辻選手も続ける。

「その一歩がどこにつながるかと言うと、世界で一つ勝つことですよね。僕らは今それを体現していて、今で言えばやっとアジアで勝てるようになったという段階で、これが間違ってないぞっていうのを僕らが証明している段階だと思うんで。
さらに下の世代がどんどんレベルをあげてという形が、日本がこれからもっと強くなっていく一番いい流れじゃないかなと思います」

2021年、川崎ブレイブサンダースは元旦の朝から練習を始めていた。

篠山選手は2021年の目標を次のように語った。

「2020年の倍ぐらい笑顔でいたい。もっといろんなことを楽しもうっていう。2020年はそれすらもできないような世界になってしまったから。当たり前のことに幸せを感じて、色んなことを楽しめる1年にしたい」

辻選手は自身の復活を信じている。

「自分の子供もそうですけど、そういう子供たち含め目標となる存在でありたいし、何よりバスケットボール選手としてもう1回花を咲かせたい、もう1回カムバックしたいと思っているので、それを有言実行させたい1年にしたいと思う」

日本バスケの未来へ。

どんな足取りであれ、それが確かな道になる。

(2月13日放送『グラジオラスの轍』)

グラジオラスの轍
グラジオラスの轍