コロナが奪った“夢舞台” 東京五輪と、高校最後の夏―

2020年。
日本中の誰もが、感動に満ち溢れた年になると思っていたことだろう。
56年ぶりに東京で開催されるオリンピックの夢舞台。
輝くメダルを手にした選手たちが、パレードカーから手を振ると何十万人もの人たちが“その瞬間”に立ち会えたことに感謝したはずだ。

東京・台場の五輪モニュメント
東京・台場の五輪モニュメント
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だが、現実は前代未聞の結果となった。
新型コロナウイルスの感染拡大が続き、誰もが『本当に今、それが必要なのか?』という“問い”を抱えていた頃、史上初の“五輪延期”が決定。
私たちスポーツ記者の取材活動も一変した。
「マスク」の着用が義務となり、選手とは「距離」を置き、その後、インタビューが「オンライン」に限定された。

新型コロナウイルスの感染が拡大し卓球・伊藤美誠選手と距離を置いて取材する報道陣
新型コロナウイルスの感染が拡大し卓球・伊藤美誠選手と距離を置いて取材する報道陣

コロナが襲い掛かったのは、東京オリンピックを目指してきたトップアスリートだけではない。
『インターハイ中止』『夏の甲子園中止』の一報は、すべての高校生の胸を突き刺した。

新型コロナウイルス感染拡大のため「夏の甲子園」が79年ぶりに中止に
新型コロナウイルス感染拡大のため「夏の甲子園」が79年ぶりに中止に

競技者としての“最後”が見えているからこそ、一生に一度のその舞台に懸けていた高校3年生たちをも、地獄の底に突き落としたのだ。

夏の甲子園が中止になったことを知らされ涙を拭う高校球児
夏の甲子園が中止になったことを知らされ涙を拭う高校球児

それでも彼らは、受け入れがたい運命と必死に向き合った。
『夏の甲子園』を失った高校球児たちは、都道府県ごとに行われた『独自大会』で頂点を目指した。
最後の瞬間まで、すべてを振り絞って戦い抜くことを誓い、白球を追い続けた。

球児たちだけではない。
 “応援”に情熱を注いだ吹奏楽部の生徒たちは、遠く離れた聖地に渾身の演奏を届けた。

「交流試合」の開幕と同時に遠く離れた甲子園へ「♪栄冠は君に輝く」の演奏を届けた吹奏楽部の生徒たち(上)千葉・習志野(中)埼玉・花咲徳栄(下)兵庫・市立尼崎
「交流試合」の開幕と同時に遠く離れた甲子園へ「♪栄冠は君に輝く」の演奏を届けた吹奏楽部の生徒たち(上)千葉・習志野(中)埼玉・花咲徳栄(下)兵庫・市立尼崎

インターハイを失った栃木県のサッカー部員は、切磋琢磨し続けてきた地元のライバル校同士で、“手作りの引退試合”を決行。
悔いなく、サッカー人生に別れを告げた。

地元のライバル校同士で開催した”手作りの引退試合”で全てを出し切り仲間との最後の円陣を組む栃木高校の選手たち
地元のライバル校同士で開催した”手作りの引退試合”で全てを出し切り仲間との最後の円陣を組む栃木高校の選手たち

“高校8冠”という快挙が期待されたボクサーは、大会に出場することさえ許されなかったが、それでも「パリ五輪で金メダル」という新たな目標を胸に歩み出している。

ボクシングで”高校8冠”の快挙が期待されたが大会が次々に中止となり挑戦出来なかった荒竹一真選手
ボクシングで”高校8冠”の快挙が期待されたが大会が次々に中止となり挑戦出来なかった荒竹一真選手

一度きりの夢舞台に立った女子野球部員 最高の“一球”がくれた宝物

私たち記者は“運命”に立ち向かう彼らの、誇り高き姿を目の当たりにしだからこそ、その姿を、多くの人に知ってもらうべく取材に奔走した。
特に、私たちの心を打った選手がいる。
3年間グラウンドに立てないことを覚悟の上で競技を続けてきた、たった1人の女子野球部員。
8月、夏の甲子園を目指す地方大会が無くなり、全国の高校球児が肩を落とす中、栃木県立鹿沼高校の野球部員たちは、それでも前を向くことができていた。
その理由は、ともに戦ってきたチームメートのなかに、もともと3年間グラウンドに立てないことを覚悟した上で、練習を続けてきた仲間がいたからだ。

3年生の木村百伽(きむら・ももか)さん。野球部唯一の女子部員である彼女は、中学時代には男子チームでセカンドのレギュラーとして県を制した経験を持つなど、確かな実力を備え女子野球部の強豪校からも誘いがあったが、一つ上の兄も在籍した鹿沼高校を選んだ。
高野連の規定では男子の大会において女子選手の公式戦出場は認められていない。
それでも彼女はひたむきに練習を続けた。
3年間公式戦のグラウンドに立てないことが分かっていても下を向くことはなかった。

鹿沼高校野球部の木村百伽さん
鹿沼高校野球部の木村百伽さん

そんな彼女の姿をずっと見てきたチームメートたちは、最後の大会を失った時に初めて『試合に出られることが“当たり前”ではないこと』に気づかされたという。

すると、チームにとって無くてはならない存在の木村さんにサプライズが訪れた。
県の独自大会、初戦が行われるスタジアムで「始球式」の舞台に立てることが決まったのだ。
チームメートたちは、木村さん本人以上に喜びを爆発させ、祝福した。

始球式の知らせを受け笑顔を見せる木村百伽さん
始球式の知らせを受け笑顔を見せる木村百伽さん
始球式の実施を喜ぶ仲閒たち
始球式の実施を喜ぶ仲閒たち

迎えた本番。3年間ともに戦ってきたチームメートや監督、両親の前で憧れのマウンドに立った木村さんは「“感謝”の気持ちも込めて、1球に届けたいと思います」という言葉通り、最高のボールを投じ、感謝の思いを伝えた。

始球式でマウンドに立つ
始球式でマウンドに立つ
始球式のボールを手に笑顔
始球式のボールを手に笑顔

この様子を伝えた4分ほどの動画が、再生回数が120万回を超えた。動画のコメント欄を覗いてみると…。
『この子の選択がどれだけ覚悟のいることで、2年半やり遂げることが、どれだけ凄いことか。』
『始球式が決まった時の木村さんの弾ける笑顔と周りの部員の喜びようを見て、
3年間で信頼関係が結ばれたのだなと思い泣きそうになった』
上記のようなコメントが数多く並んでいた。
木村さんを指導した中田監督の言葉を借りれば「“ゴール”が無くても」練習を続けてきた彼女の人柄やチームメートたちとの絆が、コロナ禍で疲弊した多くの人の胸を打ったのだ。
他にも、野球に打ち込む女の子が「高校でも野球を続ける決意が固まった」という嬉しい言葉や、「男女で大会の参加資格が異なること」「女子部員がグラウンドに立てないこと」などに関する議論がなされ、今後のスポーツ界が良くなることを願う人たちの声が集まっていた。

“特別な夏”から学んだ“諦めない”強さ いつか教壇で未来の子供たちへー

あれから5ヵ月。私たちは再び、鹿沼高校を訪れた。
出迎えてくれたチームメートたちは髪が伸びてすっかり大人びていた。
そして木村さんはというと、「もう慣れちゃっているので」と引退後も髪を伸ばすことなく、トレードマークのショートカットのまま、変わらぬ、はにかんだ笑顔で迎えてくれた。

5ヵ月ぶりの再会
5ヵ月ぶりの再会

改めて、あの“特別な夏”について話しを聞くと、「始球式させてもらえたことを“感謝”しています。
本当に緊張していたんですけど、思い切って投げられたかなと思います。
終わってからいろんな人に声をかけて頂いて、お手紙ももらったんです。神奈川の女性の方からでした。
保育園の先生からも連絡が来て『お久しぶりです』ってお返事できたのが嬉しかったですね!
今でも『見たよ!』とか『お疲れさま!』と言ってくれる人がいて改めていろんな人に応援されていたのだなと。
コロナがあって、例年と同じではなかったことも含めて、人生で1度あるかないかの貴重な体験だったので、いろんな人に“感謝”しています。」
と、何度も「感謝」という言葉を口にした木村さん。

最近は中学時代に所属していたクラブチームの練習に参加したという。
「いま中学生の女子選手がとても多いんですよね。自分がいたスポーツ少年団には6人くらい。
かなり打つ選手もいてすごいなーと思いました。頑張ってほしいです!最近は審判さんでも女性がいらっしゃいますよね。カッコイイです!」
と、野球に携わる女性が増えていることを喜んでいた。

一度、彼女のボールを受けてみたかった私は、自前のグラブを持参していた。
キャッチボールをお願いすると喜んで引き受けてくれた。
チームメートたちと、すでに陽が落ちかかったグラウンドに出ると、思わず「ちょー久しぶり!」と笑顔がこぼれた。
「筋肉はけっこう落ちました。一回だけ試合で投げたくらいで、ぜんぜん投げてないのでグローブも仕舞いっぱなしで…」
と言いつつもグラブをはめてボールを持つと、ブレザー姿ながら、あの夏の光景が思い出された。
セカンドのポジションで、男子にも遜色のない軽快な動きと、華麗なグラブさばきを披露していた彼女。
その技術の高さに私たち取材陣は驚かされたのだ。
ユニホームではなく制服で、スパイクではなくローファーで、軽く投げただけでも、今もその「リストの強さ」と「綺麗な球筋」は変わっていなかった。

公式戦のグラウンドには立てないと分かっていながらも、努力を続けてきた木村さん。
3年生のチームメートたちは、突然、目標を失ったが、彼女の存在が絶望の淵から立ち上がらせてくれた。
そして、木村さん自身もチームメートとの絆を大切にしていた。3年間での一番の“宝物”は何か尋ねると。
「やっぱり『始球式』というのも大きかったんですけど、それ以上に自分の中で『野球を続けて来たこと』あとは、その(鹿沼高校の)チームメートじゃなかったらまた違ったことなので(一番の宝物は)『鹿沼高校で野球を続けてきたこと』だと思います。」
仲間と共に戦い続けた彼女にとって、3年生の夏が“コロナ禍の特別な夏”と重なったのはたんなる偶然ではなかったのではないか。

鹿沼高校野球部3年 (左から)寺内駿さん 南開道さん 木村百伽さん 堀江開成さん
鹿沼高校野球部3年 (左から)寺内駿さん 南開道さん 木村百伽さん 堀江開成さん

人生の中でとても大切な一年間「高校3年生」で未曾有の感染症に立ち向かい、得たもの。
「やっぱり何事も全部が成功するとか、良い方に行くとは限らないんですけど、その中でも自分のできることとかやるべきことを見つけて自分のできる精いっぱいのことをやっていきたいと思います。」

そんな、精いっぱい野球を続けてきた木村さんが抱いた大きな夢。
それは「中学の体育科の教師になって子供たちに野球を教えること」
来年4月からは栃木県内の大学の教育学部に進むことが決まり、大切な夢の実現に一歩近づいた。

大学の教育学部に進学
大学の教育学部に進学

そこで私は、こんな質問を投げかけてみた。
「誰も経験したことのない感染症との戦いのさなかで、夢舞台に立ち“最後の夏”が“最高の夏”になったこと。
その経験をいつか『教師』や『コーチ』という立場で子供たちに教えるとしたら、どんなことを伝えたいですか?」
木村さんは悩んだような表情を浮かべた後、言葉を選びながら答えてくれた。
「なんだろう…なんかやっぱり、今までやってきた事は絶対にどこかで誰かが見て下さっているし、そういうのを誰かが助けてくれるというか…“繋げてくれる”人がいると思うので“諦めないで”頑張ってほしいです。」

取材の終わりに、写真撮影のため教壇に立ってもらった。
先生になった自分を想像できるか聞いてみると「なんとなくここってちょっと緊張しませんか?」と恥ずかしそうに言いながらも、その場所に立つ日を思い描いているようだった。

いつか、教科書に載る日が来るかもしれない、この先もずっと語り継がれていくであろう体験。
苦難を乗り越えた高校3年生たちは今、新たなステージに向かって突き進んでいる。
私たち大人が見習うべきは、それでも、ひたむきに夢に向かって歩み続ける“諦めない強さ”

来年7月。1年越しに「東京五輪」が開催される日は来るのかー。
その答えはまだ誰にも分からないが、世界がコロナに打ち勝ち、再び“平和の祭典”が開かれたなら2021年は、きっと、2020年以上に特別な年となるだろう。

(フジテレビ 報道スポーツ部 村山尊弘)

村山 尊弘
村山 尊弘