太平洋戦争末期、宮城県七ヶ宿町の「不忘山」にアメリカ軍の爆撃機が相次いで墜落した。山には亡くなった兵士たちを悼む石碑がある。そんな不忘山で毎年行われているのが、険しい道のりを進んで犠牲者を追悼する慰霊登山だ。
81年前、3機のB29が相次いで墜落
宮城県と山形県にまたがる蔵王連峰。その最も南に位置するのが、標高1705mの不忘山である。
今から81年前、この山にアメリカ軍の爆撃機B29が3機相次いで墜落し、乗っていた兵士34人全員が亡くなった。いずれも10代から20代の若者だった。
墜落したのは1945年3月10日。東京大空襲があった日である。東京から離れたこの場所に3機がなぜ向かったのか、なぜ墜落したのか。詳しい原因は分かっていない。
慰霊登山へ 人の背丈を超える藪のなかを2時間
慰霊登山に臨んだのは、墜落事故の慰霊祭を行う不忘平和記念公園の職員の古山敏彦さん(69)と、地元・白石支部の山岳遭難救助隊の元隊長の志村正光さん(70)の2人だ。
古山さんは1年前に慰霊登山を行う予定だったが、悪天候のため行けなかった。一年越しの慰霊登山への挑戦だ。志村さんは「冥福を祈り、きょうは歩きたい」と語った。

最初に目指したのは、最後の1機が墜落した地点だ。不忘山の西側に位置するが、登山道から大きく外れており、今ではたどり着くことさえ難しい。
志村正光さん:
5~7mくらいの樹林帯の中、なおかつ足元は笹が生えているので、部分的にはかき分けていくような場所になっている。
報道関係者は立ち入ったことがない場所で、志村さんが訪れるのも11年ぶりだという。
行く手には、人の背丈を超える深い藪が立ちはだかった。登山道を外れておよそ2時間進んだところで、志村さんの足が止まった。
志村正光さん:
戻った方がいい、戻った方が間違いない。
かなり道が険しく、これ以上続けるのは危険ということで、断念。
志村さんは11年前、石碑を建てるために墜落地点を訪れたが、現在では草木はより一層生い茂り、道のりは想像以上に険しくなっていた。
2機目の墜落地点へ
安全を優先して登山道に引き返し、2機目の墜落地点を目指した。山頂が近づくにつれ、登山道には岩がむき出しの険しい場所も現れる。一歩ずつ進み、およそ2時間で墜落地点が見えてきた。
資料などによると、機体が激突したのは岩場の急斜面で、破片は広い範囲に散乱したようだ。
志村さんは、現場で拾った破片を保管している。機体と積んでいた焼夷弾とみられ、破片は大きくひしゃげていた。
志村正光さん:
飛んでいたらドンとぶつかってしまったような衝撃。突然のことだっただろう。
2機目の兵士をしのぶ石碑は、墜落地点を望む山頂付近にある。ここでは、兵士の遺族が自ら演奏し録音したというアメリカ国歌が流された。亡くなった兵士に聞かせてほしいと託されたものだ。
志村正光さん:
グアムやサイパンなど、遠くから飛んできた。もちろん、ここで死ぬわけではなく、戻っていくつもりで来たと思う。死んでも死にきれない気持ちを少しでも和らげて、静かに眠っていただければ。
この日は、山の中腹にある最初に機体が墜落した地点でも追悼を行い、慰霊登山を終えた。
戦争の記憶を忘れない 「不忘山」の名に重ねる思い
志村正光さん:
戦争があった。外国の方が亡くなった。この二つは記憶にとどめていただきたい。ここを通るときに見た人にも、そういう思いを感じてもらえたら。
不忘山のふもとにある不忘平和記念公園では、戦後70年の2015年から毎年、慰霊祭が行われている。戦争の憎しみを越えた友情と平和の象徴として、日米の関係者などが参加している。
戦後81年。戦争の記憶を忘れぬよう、「不忘山」という名にその思いが重なる。

