東日本大震災の津波で妻を亡くした元消防隊長が、宮城県気仙沼市で津波被害を受けた田んぼを自ら復旧させ、全国・海外から人々を呼び集めて続けてきた「稲刈りカップ」。2026年10月、その最終回が開かれた。2013年の初開催から、のべ約1000人が参加したこのイベントに、主催者はどんな思いを込めてきたのか。
秋晴れの田んぼに、日本各地と海外から約150人

この日、実りの秋を迎えた気仙沼の田んぼに、約150人が集まった。慣れない手つきながら、参加者たちは黄金色の稲を次々と刈っていく。稲刈りが終われば、その田んぼで取れたコメを囲みながら歌い、踊り、交流を深める。それが「稲刈りカップ」のスタイルだ。
主催者である佐藤誠悦さんのこの田んぼは、2011年の東日本大震災で押し寄せた津波によってがれきに覆われた。自力で懸命に片付けを続ける佐藤さんをボランティアが手伝ったことが、稲刈りカップの原点である。
その縁を大切にしながら、2013年から、コロナ禍での中止を挟みつつ続けてきたが、佐藤さんは2026年の開催を最終回とすることにした。初回から参加し続けている人は「本当に来年やらないんですか、やりましょうよ、と私たちもリクエストを続けていた」と、最終回を惜しんだ。
「去年の稲刈りカップでは頭に毛がなかった」
それでも佐藤さんが最終回と決めたのは、自身の病気が大きかったという。
佐藤誠悦さん:
抗がん剤を6カ月間投与して、去年の稲刈りカップでは頭にはすっかり毛がなかった。その時に来年やめようと思った。
現在はがんがほぼ見えなくなるまで回復したが、終わりにするという決意は変わらなかった。イベントの最後、佐藤さんは集まった参加者に語りかけた。
佐藤誠悦さん:
最終回という名前を付けたが、『卒業式』。私もこれを機会として新たな光に向かっていきたい。ありがとうございました。
助けられなかった妻に溢れ出す思い 「ごめんな、ごめんな」

翌日、佐藤さんは参加者とともに気仙沼市の小泉海岸を訪れた。
「来たからね」。静かにそう話しかけた場所は、妻・厚子さんの遺体が見つかった場所だ。
震災発生当時、佐藤さんは気仙沼消防署の指揮隊長として救命活動にあたっていた。41年間、地域の安全を守り続けた消防士が、自分の妻は守れなかった。その自責の念は今も消えない。
佐藤さんは、厚子さんに手を合わせながら語りかける。
佐藤誠悦さん:
地域住民の方々を懸命に41年間助けてきた。安全を守ってきたが、お前を助けることができなくて申し訳ない。ごめんな、ごめんな。
そんな経験を伝えるため、佐藤さんは語り部活動を始めた。語り部として話すときも、溢れ出すのは厚子さんへの思いだ。
佐藤誠悦さん:
私は遺体が発見された時の話を受け入れられなかったので、何を言っているか全然分からなかった。聞きたくなかった。いっぱい今までそういう人たちを見てきた。救助活動をしてきた。でも、それが妻のこととなると言われるのが嫌だった。ここに来られなかった。認められなかった。
この日、佐藤さんは海に花を手向け、厚子さんに稲刈りカップの終了を報告した。
佐藤誠悦さん:
稲刈りカップ、15年活動してきて卒業するからねと報告したら、『ご苦労様でした』と言われましたので、もう感無量ですね。
孫・葵さんと語りつないでいく東日本大震災
今回で最後となる稲刈りカップを振り返って、佐藤さんは感謝の思いを口にした。
佐藤誠悦さん:
今を生きることの大切さを教えてくれたのは、稲刈りカップのメンバー。そういった方々のつながりが、わたしをこれまで生き延びさせてくれた。
そんな最後の稲刈りカップで、佐藤さんの隣で稲を刈っていたのは、孫の葵さんだ。
葵さんは、今年から佐藤さんと一緒に語り部を始めた。声をかけたのは佐藤さんだったが、葵さんはそれ以前から祖父が語る姿に憧れを抱いていたという。
葵さん:
東日本大震災があったことは忘れてはいけないし、それを語り継いでいく人も必要。おじいちゃんもその一人。私もその一人になれるように、おじいちゃんの気持ちを語り継いでいきたい。
震災で妻を救えなかった後悔を抱え、がんの治療を続けながらも、語り部として前を向く佐藤さんと、その背中を追う孫の葵さん。
その思いは、確かに次の世代へと受け継がれていく。

