2026年10月23日で発生から22年となった中越地震。新潟県長岡市山古志地区で開かれた集いでは、復興を祈る歌と地元自慢の「山古志汁」で住民たちの思いが表現された。山古志地区の復興の歩みは、「楽しさ」とともに受け継がれている。
歌声でつなぐ復興への願い
長岡市山古志地区で26年10月23日に開かれた「山古志の集い」。
そこで地元の小中学生が披露した曲がある。『しあわせ運べるように』だ。
♪地震にも負けない強い心をもって 亡くなった方々のぶんも毎日を大切に生きてゆこう
山古志中の男子生徒は「『地震にも負けない』という前向きな言葉が好き」と話し、山古志小の女子児童は「『亡くなった方々の分も毎日を大切に生きてゆこう』という歌詞がすごく大切で、本当にそうだなと感じる」と語った。
子どもたちが心で感じ、その思いを込めた合唱は、会場を温かく包み込んでいた。
臼井真さんが遺した『しあわせ運べるように』
この『しあわせ運べるように』を作詞作曲した臼井真さんが26年7月に65歳で亡くなった。
この曲は、神戸市の音楽教師だった臼井さんが1995年の阪神・淡路大震災後に作ったものだ。
生前、臼井さんは被災直後の神戸市内の情景について「もう神戸の街は消えてしまったと感じた。初めて“ふるさと神戸”という思いがぐっとこみ上げてきた」と振り返り、同時にこの曲が誕生した瞬間についても回想している。
「『地震にも負けない強い心を持って』。そのとき思っていることをバーッと走り書きしたような状態だった」
04年の中越地震発生後、臼井さんは当時の山古志村に、『しあわせ運べるように』の歌詞の「神戸」を「山古志」に書き換えた楽譜とデモテープを送っている。
それが、今日にわたり「山古志の集い」などで披露されている『しあわせ運べるように』のいわば山古志版だ。
「やまこし復興交流館・おらたる」では26年9月から臼井さんの追悼展示を行っていて、デモテープの歌声や歌詞カードに触れることができる。
『しあわせ運べるように』は神戸、山古志、そして全国へ
『しあわせ運べるように』は山古志にとどまらず、全国各地で歌い継がれている。
山古志小の児童はその広がりについて、「山古志にとって大切な歌で、熊本や福島など色んなところで歌い継がれている。復興し、立ち上がるために大切な曲なのではないかと思う」と、この曲の持つ力を受け止めていた。
感謝を伝える「山古志汁」
歌を通じて復興への思いが受け継がれる一方、22年目の10月23日も地元の人たちは感謝の思いを自慢の「山古志汁」で表現した。
星野京子さんは「あっという間の22年だった。自分たちはその災難をこうやって乗り越えてこられたことが最高の幸せ」と話し、星野美千代さんは、「色んな人から助けてもらって感謝でいっぱい。今あちらこちらで色んな災害があるが、この山古志が元気になったと教えてあげたいなと思う」と目に涙を浮かべていた。
集いを支える外からの力
地元のお母さんたちの感謝がこもった山古志汁に舌鼓を打っていたのは、集いの運営を手伝ったボランティアの人たちだ。
岐阜から参加した男性は「山古志の人がすごくいい。あとお米が最高においしい。色んな被災地を回っているが、ここが一番自分の中で落ち着くというか何回でも来たくなる」と目を細める。
東洋大学のボランティアサークルの学生は、「山古志の人たちは人柄もいいし、すごく楽しいというのが続けている理由」だと話したほか、「災害が最近増えているし、山古志の復興の軌跡を忘れてはいけない。私たちが生まれる前の災害だが、これからも伝えていくことが大事だなと思う」と経験の継承の重要性に言及した。
山古志に魅力を感じて外から参加する人々は、集いの大きな活力となっている。
教訓を「楽しく」伝える
集いに参加した長岡市の磯田達伸市長は、「ただ教訓をつなげるというのは難しいのではないか。みんなで気持ちよくつながっていく、楽しくつながっていくというものがないといけない。その点で山古志は、教訓を伝える一つのモデルになると思う」と述べた。
「教訓を伝える」だけではなく「楽しくつながる」こと。その積み重ねが山古志の復興の歩みを支えてきた。
復興の歌声が響き、地元の味で笑顔が広がった「山古志の集い」。

中越地震が発生した10月23日は、山古志地区にとって復興の歩みと人と人とのつながりを確かめる一日だ。

