21日に71歳で亡くなった胎児性の水俣病患者、金子雄二さんの通夜が22日、営まれました。水銀被害の実相や患者の自立支援を最期まで社会に訴え続けた金子さん、参列した仲間たちは「勇敢な人だった」と語りました。
【胎児性患者 松永 幸一郎さん(63)】
「勇敢というか、自分がやりたいことは絶対にやり遂げる、そんな人だった。胃の手術をしてからは食事は管を通してとっていた。本人もいろいろな苦しさがあったと思うが、それを思えば逆に…〈楽になったのかな〉と。そう思うしかない」
水俣病が公式確認された前年の1955年・昭和30年8月、3人兄弟の三男として生まれた金子雄二さん。
母親の胎内でメチル水銀の被害を受けた胎児性の水俣病患者です。
一家全員が水俣病の被害を受け、父と、兄の一人は劇症型で亡くなり、認定患者の母・スミ子さんは10年前に他界しました。
雄二さんは語り部だった母の思いを受け継ぎ、胎児性や小児性患者の仲間と一緒に、水銀被害の実相を伝える活動に取り組んだほか、患者の自立と社会参加を求め続けました。
ここ数年は症状が悪化して、会話や歩行が困難となり、寝たきりの状態で24時間態勢での介護を受けながら、命をつないできました。
こうした中、自身が受ける訪問入浴介護をめぐっては、加齢に伴う介護保険ではなく、障害福祉サービスを適用するよう水俣市や環境省に訴え続けました。
【長年支援してきた加藤 タケ子さん】(『きぼう・未来・水俣』代表理事)
「私は〈美しい最期〉を迎えられたと思う。これだけ重篤な病に侵されながらもご自分が本来持っている力強さをその時々で発揮され、自分に降りかかってくる外圧などのきっかけをテコにしながら〈自分がこうやって生きたい〉とやりたいことをやり抜いてきた人生だったと思う」
