特定危険指定暴力団『工藤会』をはじめ、県内に5団体の指定暴力団を抱える福岡県。テレビ西日本のアーカイブ映像を紐解くと、福岡県警が違法な危険物を数多く押収してきた歴史をあらためて辿ることができる。
暴力団員1人につき1丁の拳銃
昭和の後期、福岡県内では暴力団同士の抗争が激しさを増し、それに伴って多くの銃器が摘発、押収されていた。

『暴力団員1人につき1丁の拳銃』とされていた時代。一度に押収される拳銃の数も多く、数10丁から、時には100丁を超えることもあった。

拳銃だけではない。手榴弾や連続して弾丸を発射できる自動小銃、マシンガンなど、より殺傷能力の高い銃器も県内各地で頻繁に押収。

さらには、発砲音を小さくするサイレンサー付きの銃やペンに見えるようにカモフラージュした銃など、まるでスパイ映画のような銃まで押収されていた。

そして暴力団の大きな資金源として摘発、押収されていたのが覚醒剤だった。
258キロ 451億5000万円相当
「警察だ!」と暴力団関係者宅に踏み込む警察官。家宅捜索、所謂“ガサ”だ。

警察が、容疑者の目の前で覚醒剤反応を確認する。
「よく見よきよ。覚醒剤ならインク色に変わるから」と警察官が、押収した“白い粉”に試薬を垂らす。

試薬を垂らすとサッと色が変わった。
「な、こんな色に変わっとるからさ、覚醒剤っていうことやからな」。

押収のたびに記者たちの前に並べられる覚醒剤。福岡県は、その量も桁違いだった。
昭和62年(1987年)。当時、全国で史上最も多い量の覚醒剤が押収された。

取材慣れした記者も驚くほどの押収量だった。「九州一円で抗争を起こした暴力団、道仁会の資金源とされた覚醒剤が、内偵していた福岡県警の手によって押収されました。実に258キロ、451億5000万円相当に上る史上最高のものです」

258キロに及ぶ覚醒剤は、台湾から漁船で密輸されたもので、主導した道仁会系の暴力団組長には、覚醒剤事犯としては、これも当時、史上最高となる罰金1000万円と無期懲役の判決が言い渡された。
人形の中やコインロッカーにも覚醒剤が…
麻薬関連では他にも、アヘン密造の原料に使われていたケシの実が押収されたり、福岡空港でフィリピンから持ち込まれようとした大量の大麻が押収されたりしていた。

銃器や薬物などの危険な押収物は、隠されていた場所もさまざまだった。
暴力団員の自宅では、覚醒剤が人形の中に隠されていた。

また杏仁豆腐の缶詰に偽装され隠されていた覚醒剤もあった。

危険なものは、身近な日常生活を送る場所に隠されていることもあった。
取り引きする場所だったのか、福岡市の中心部・天神のバスセンター内のコインロッカーの中から発見されたのは、覚醒剤。

福岡市内の神社の拝殿の床下からは、何とも“罰当たり”なことに殺傷能力のある拳銃が発見された。

さらに、信じられない場所が事件の舞台となることもあった。
刑務所の中で密かに作られていたのは…
昭和57年(1982年)。なんと刑務所の中で銃が密造され、のちに押収されていたのだ。

福岡刑務所(福岡・宇美町)で作られていた密造銃。一見するとただの金属の筒に見えるが、組み立て式になっていて、殺傷能力のある散弾銃だった。

元受刑者の証言によって明るみに出たこの事件。

当初、福岡刑務所の所長は「私たちとしては信じ難い事件であると。それらしい兆候を聞いたとか、それらしいものを作っておったのを見たとか、そういう調査は全く出てきておりません」と述べていた。

しかし、受刑者たちに金属加工などの作業を指導していた人物が決定的な証言をする。
「実は私が運び出したと。それも暴力団員に、刑務所の中のですね、暴力団員に脅されて、持って出た」。

刑務所の中で散弾銃を密造したとして、筑豊地方の元暴力団組長ら3人が逮捕された。

3人は、服役中に福岡刑務所内の工場で、溶接や穴あけなど役割分担をして銃を完成させたという。そして作業指導員を脅して外に持ち出させ、出所後に受け取っていたのだ。

この密造散弾銃。実際に使用されたことで押収に繋がった。
昭和55年(1980年)に起きた、筑豊地方に拠点を置く暴力団同士の抗争。

襲撃を受けた抗争当事者の暴力団をTNCテレビ西日本報道部が取材していた。

「こんなところですね、これずっと、これですね、分かるっすか。散弾撃ち込んできて、入ってきてからダーンとやっとる」と弾痕を示す組員。襲撃犯は、散弾を撃ち込んできたと組事務所に残る生々しい弾痕を見せる。

暴力団幹部は取材に対して、襲撃犯は散弾銃を打った後、その場に銃を放置していったと証言した。
放置された『手製の銃』こそ、福岡刑務所で密造された銃だったのだ。

この抗争で、10人が死傷した。
小学生が銃を発見 誤射も
さらに、密造された別の銃は、大牟田市内の線路傍に捨てられていたところを小学生が発見。誤って発砲までしてしまっていた。

銃を発見した現場近くに住む女性は「ものすごい音がした。プロパンガスが爆発したんじゃないかな、誰かイタズラしてと思って。だから見に来た。で、子どもが5~6人ね。自分たちで撃ってから恐ろしかったでしょう」と話す。

壁には弾痕が生々しく残されていた。
密造銃は、罪のない小学生にまで危険を及ぼしていたのだ。

「刑務所の中で、あってはならないことが発生したということでございますので…、誠に申し訳なく、責任を痛感しております」(当時の福岡刑務所長)。
昭和の時代の福岡は、何とも物騒な街だった。
(テレビ西日本)

