81年前の8月15日、人知れず戦死したゼロ戦のパイロットたちがいます。
墜落現場や遺骨など“最期の痕跡”を今も懸命に探す遺族の思いを取材しました。
正午の玉音放送で、人々は敗戦の事実を知らされました。
実はその数時間前、千葉県の上空ではアメリカ軍などとの間で激しい空中戦が繰り広げられ、5人の若いパイロットが命を落としていたのです。
しかし、その記録はほとんど残されていません。
亡くなったパイロットの一人、杉山光平さん(当時20)。
戦後81年がたった今も、どこで、どのような最期を遂げたのか明らかになっていません。
私たちは遺族の元を訪ねました。
光平さんのおいにあたる杉山和由さん(69)は、伝え聞いた叔父の人柄について「すごくかわいがってくれて、面倒をよく見てくれて、優しくて(と父から聞いた)」と話します。
光平さんの死について知る数少ない手がかりが、戦後、軍から届いたという1枚のハガキです。
軍事郵便:
(1945年)8月15日、敵機と交戦中、被弾、機体炎上、壮絶なる戦死を遂げる。
しかし、これ以上の詳細な記録はなく、それでも和由さんたちは墜落場所や遺骨を懸命に探したといいます。
光平さんのおい・杉山和由さん:
(自分たちを含めて)戦死者を捜している家族はたくさんいると思う。とにかく早く戦死した場所を探してあげたい。
そんな思いをくみ取ろうと、ある調査が始まりました。
地元の資料館で調査員を務める久野一郎さん(70)は、目撃証言などをもとに、10年以上の長きにわたってゼロ戦の機体や遺骨を探してきました。
墜落現場を発掘調査・久野一郎さん:
どこで、どういうふうにして戦死したのか分からない。遺族にしたら80年間行方不明。キツいですよ、納得できない。
2021年には、墜落したとみられるゼロ戦の機関銃や遺骨が見つかりました。
また、2025年から2026年にかけて別の遺骨も見つかっていて、現在、千葉県警によるDNA型鑑定が行われています。
光平さんのおい・杉山和由さん:
(光平さんの遺骨が見つかれば)そこに行って手を合わせて、お線香を上げさせていただいて、骨をもらえるんであれば父親と一緒に葬りたい。
墜落現場を発掘調査・久野一郎さん:
あの戦争の歴史の事実を、事実として後の世に残していくこと、これが残された私たちの目標かなって気がする。
