トヨタ自動車を世界トップの自動車メーカーに。その礎を築いたといえる元社長・奥田碩さんが8月8日、93歳で亡くなりました。
三重県津市出身の奥田さん。現在の形となったトヨタで1995年、創業家出身以外では初めて社長に就任しました。
最大の功績は、グローバル化に大きく舵を切ったこと。その牽引役が、97年に発売された世界初の量産型ハイブリッドカー「プリウス」です。
従来のガソリン車に比べて、およそ2倍の燃費を実現したプリウス。奥田さんは社長としてその開発・販売を後押しました。
プリウスから始まったハイブリッド車は、今でもトヨタの世界販売46%を担っています。
世界トップの自動車メーカーとなる土台を築いた奥田社長が、29年前にトヨタの入社式で語っていたのは…。
当時の奥田碩社長(1997年):
「この転換期に、トヨタとしては受け身ではなく、主体性と創造性をもって前向きに自らを変革しなければなりません」
百年に一度の自動車業界の大変革期の中で、今も問いかけているようです。
99年にトヨタの会長に就任した後は、経団連の初代会長も務めるなど、財界でも積極的に活動した奥田さん。
トヨタによりますと、8月8日、93歳で亡くなり「お別れの会」を開催するかなどは検討中だということです。
