夕暮れの海に“もう一つの空”がある。
風が止まる、ほんのひととき「潮だまり」が「鏡」になる。

香川県三豊市「父母ヶ浜(ちちぶがはま)」を人はこう呼ぶ。

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「日本のウユニ塩湖」

今年、旅行情報誌で2年連続「総合満足度1位」を獲得した香川県にあるこの浜。

7月にはアメリカのトラベルガイドが選ぶ「SNSで最も注目を集めた日本のビーチ」で1位に輝いた。

海外からの観光客に話を聞くと「ここの美しさについて(ネットで)読んだので、自分たちの目で見てみたいと思った」という。

しかし、知っていただろうか。
今や年間50万人が押し寄せるここが、30年前には「ゴミだらけの浜」だったことを。
そして、埋め立てられ“この世から消える寸前”だったことを。

絶望の浜を救ったのは、たった7人の男たちだった。

そして、運命を変えた1枚の写真。

一度は消えかけた浜に、一体、どんな奇跡が起きたのか。

消えるはずだった父母ヶ浜 ゴミと埋め立て計画

朝7時、早朝の父母ヶ浜に、その人たちはいた。

塩田健治さん、85歳。相棒の菅磯夫さんも85歳、二人は、幼稚園からの幼なじみだ。
そんな80年来の親友の2人が奇跡を起こすきっかけとなる。

かつて、海水浴客で賑わった父母ヶ浜だが、昭和の終わり頃から、その姿は一変。
当時の様子を知る人は「何から手をつけていいか分からないくらいのゴミの量だった」と話す。

海流と西風により、瀬戸内のゴミがこの浜に集まりやすいことに加え、心ない不法投棄まで。

そんな中、町役場の議会事務局にいた塩田健治さんは、追い打ちをかけるような話を耳にする。

「父母ヶ浜を埋め立てて、企業誘致するらしい」

塩田さんはすぐさま、親友の菅磯夫さんに相談。すると菅さんは町長の自宅に押しかけた。

菅磯夫さん:
埋め立ての話は本当ですか?あの浜だけは、残してもらえませんか。
町長:
そうは言っても、町の発展のためだから。

しかし、二人は本来、反対などできるはずのない立場にあった。

菅さんの仕事は建設業。埋め立てが始まれば、仕事も増える―。
しかし、「そんなことは全く関係なかった。ここだけは絶対に守らないといかん、その一心だった」と振り返る。

一方の塩田さんは、町役場の公務員。町長に楯突くなど、もっての他のはずだが…。

菅磯夫さん:
(塩田さんは)自分の身分を守るのではなく、この町を守るんだという、そういう人間です。

二人を突き動かしたのは、子どもの頃から目に焼き付いた風景だった。

菅磯夫さん:
(毎日見る)この素晴らしい夕日の絶景をなんで埋めるのかという、悲しさと腹立たしさ。

塩田 健治さん:
(昔は)小さい貝や小魚がたくさんいて、時には大きい車エビが飛び出てきて。そんなきれいなところをなんで埋めるのかと。

二人は、漁師や農家、新聞記者など、知り合いに声をかけて回った。
そして集まったのはわずか7人。

彼らの「反対運動」は、デモでも署名活動でもなかった。

「日本一きれいな浜」への挑戦

1996年2月4日。彼らが始めたのは、「浜をきれいにする」活動だった。

1キロに及ぶ砂浜は、拾っても拾っても、翌日にはまた、新たなゴミが打ち上がる。
しかも、周囲の目は「掃除して何の意味がある?それより企業を呼んで、働く場所を作るべきだ」と冷たい。

それでも7人は浜に立ち続け、少しずつ仲間も増え始めた。
3年ほどが経ち、埋め立ての話が立ち消えになっても、彼らは掃除をやめなかった。

それどころか、塩田さんは「この浜を日本一きれいな浜にしよう!」と言い始めたのだ。

塩田健治さん:
(最初は)きれいにしたいという思いだったんだけど、途中から「日本一美しい海岸を目指そう」と。
菅磯夫さん:
日本一を目指すわけですから、永遠に続くわけです。

「ゴミだらけの浜を日本一に」、一体、誰が信じただろうか。

だが、ある年のゴールデンウィーク、菅さんはふと見た駐車場の光景に驚き、思わず写真を撮った。

菅磯夫さん:
(車が)20台くらい。うれしかったので写真を撮って、健ちゃん(塩田さん)に「これだけ人が来てくれとるぞ」と(見せた)。

こうして少しずつ変わり始めた運命が、やがて大きく動く。